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2020年7月26日

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ジェニファー・スコット、BBCニュースオンライン政治担当記者

ボリス・ジョンソン氏がイギリスの首相になってから、ちょうど1年がたった。

この間の12カ月は本人も、そして私たちも、そうそう忘れることができないはずだ。

首相就任1年を機に、ジョンソン政権を決定付けた、あるいは物議を醸した、いくつかの瞬間を振り返る。

「ブレグジットを実現する」

イギリスの欧州連合(EU)離脱、つまりブレグジットをめぐる英議会での丁々発止、紆余曲折(うよきょくせつ)のひとつひとつが、国内で注目されていた。

ジョンソン氏が昨年7月24日に英首相に就任した当時、まずやるべきことはブレグジットだった。計画していた通り、前任者テリーザ・メイ前首相がEUと交わした離脱協定を反故(ほご)にして、EUと離脱条件を交渉し直すのが、まず最初の課題だった。

この当時、ブレグジットの締め切りは10月31日だった。ジョンソン氏は、それまでにEUと合意に達するなど不可能だと「疑い、なんでもかんでも否定する連中」を批判した。

EU離脱派も残留派も議会議事堂を取り囲んでいた。与党・保守党は下院でぎりぎり多数党ではあったものの、野党との差はごくわずかだった。当時のジョン・バーコウ下院議長は毎日何度も「静粛に!」と叫んでいたし、保守党内からの造反議員はさらに多かった。

ジョンソン氏はそれでもEUとの合意にこぎつけた。ただし、アイルランドをめぐるバックストップ(イギリスとEUとの間で通商協定がまとまらなかった場合に、北アイルランドとアイルランドの国境に厳格な検問所等を設置しないための措置)の条項はなくなっていた。

それでも、自分に造反する保守党議員21人を除名し、下院採決で何度も敗れ、土曜審議に議会閉会という異例の事態になっても、なかなかブレグジットは実現できなかった。期限延長をEUに要請するくらいなら「溝でのたれ死にした方がましだ」とまで発言したが、期限は延長されたものの、ついに解散総選挙と選挙圧勝を経て、離脱法案の成立にこぎつけた。

イギリスは今年1月31日にEUを離脱した。そして3月には、双方の通商協定の交渉が始まり、またしても交渉期限を気にすることになった。通商協定の交渉期限は今年の年末だ。

違法な議会閉会

下院はただでさえ議論で侃侃諤諤(かんかんがくがく)状態だったのだが、そこに首相は就任から間もなく、手続き上の爆弾を放り込んだ。

英政界が夏休みをとっていた昨年8月、ジョンソン首相は9月の審議再開と共に10月14日まで議会を閉会する方針を発表した。そうすることで、新首相として「とてもワクワクする政策目標」を盛り込んだ女王の施政方針演説を用意する好機になるからと、理由を説明していた。

しかし、多くの下院議員がこの発表を批判した。議会を長期間閉じることで、ジョンソン氏は議会の監視を避けようとしていると。そして、離脱条件についてEUと何の合意もないまま強引に離脱する「合意なし」離脱を回避するための法案について、十分な審議期間を与えず、離脱期限の2週間前に議会を再開することで、法案をごり押ししようとしていると。

大騒ぎになり、バーコウ下院議長も介入し最高裁が首相のやりようを違法だと判断した。

その後、議員たちは下院に戻り、「合意なし離脱」を阻止する立法を確保した。一方でジョンソン氏も、自分の施政方針を並べた女王演説を実現させた

まさかそのわずか2カ月後に、新しい顔ぶれの議会が召集され、女王があらためて政府の施政方針演説を読み上げることになるとは、誰が予想しただろう。

冬の選挙

ジョンソン政権発足から数カ月の内に、何かと取りざたされるようになった話題はもうひとつ。解散・総選挙のタイミングだ。

保守党は与党と言ってもわずか数議席、野党を上回っているに過ぎず、ジョンソン首相が自分の政策を実行するには、下院の支持が必要だった。

保守党の大物議員が次々と造反し、北アイルランドの民主統一党(DUP)との連携も覚束ない状態では、下院の支持を確保するのはほぼ不可能に思えていた。

首相官邸の住人となってから数日の内に、ジョンソン氏はブレグジット以前の総選挙はあり得ないと言明した。有権者はまずはEU離脱の実現という公約を果たすよう求めているのであって、またもや選挙になるなど望んでいないと。

しかし、EUとの合意を下院は承認しようとせず、このためジョンソン氏の姿勢も変わった。

首相は3回にわたり下院に総選挙の実施を求めたが、下院は3回にわたりこれを否決した。イギリスでは2011年の議会任期固定法により首相の議会解散権が制限されており、解散には内閣不信任案の可決、または下院議員の3分の2以上の同意が必要と定められているからだ。

このためジョンソン氏はEUにブレグジット延期を求める書簡を書き送った。そして下院はついに4度目の正直で、解散・総選挙を認めた。投票日は12月12日と決まった。12月の総選挙は実に1923年以来のことだった。

5週間の選挙運動が始まり、各党が政策を発表した。与党・保守党が「ブレグジット実現」と繰り返すのに対し、ジェレミー・コービン氏率いる最大野党・労働党はEUとの再交渉と交渉結果確認のための国民投票実施を主張した。自由民主党は、ブレグジットそのものの中止を訴えた。

様々な討論会、歓声や罵声を口にする群衆、発泡スチロールの壁を打ち壊すショベルカーまで登場した。

最終的には、ジョンソン氏の圧勝で終わった。近年では異例なほどの、実に80議席もの差を野党につけて。首相の地位は固まり、コービン氏は労働党党首の座を降りることになり、そしてイギリスはいよいよEUを離脱することになった。

新型コロナウイルス

ジョンソン首相が就任してから最初の半年間は、大方の予想通り、ブレグジットが話題を独占した。待ち受けていた次の展開は、本人と、国と、世界に、衝撃を与えた。

新型コロナウイルスの感染者がイギリスで最初に確認されたのは、2月のことだった。それが3月下旬にもなると、ジョンソン氏は市民に向けて、自宅に留まり、国民保健サービス(NHS)が逼迫(ひっぱく)しないようNHSを守り、自分や他人の命を守るよう呼びかける事態になっていた。

行動制限を強制するロックダウン(都市封鎖)にもっと早く踏み切るべきだったと批判されたし、感染者がいると分かっている病院を訪問した際に「みんなと握手した」と発言したことも批判された。しかし、ロックダウン宣言の数日後に本人の感染が明らかになると、情勢は一変した。

首相は間もなく入院し、集中治療室に入れられた。首相代行はドミニク・ラーブ外相が務めた。

ジョンソン氏はやがて回復し、首相別荘チェッカーズでしばらく静養した後、首相官邸に戻った

公務に復帰したジョンソン氏は、感染拡大への政府の取り組みについて再び批判されるようになった。

新型ウイルス治療に特化した仮設の「ナイチンゲール病院」を国内各地に設置したことや、多数の人工呼吸器の確保、雇用を維持する企業で一時帰休させられる従業員の給与補償など、評価された施策もあった。

しかし、検査実施件数の目標が長く未達成だったことや、介護施設での感染予防対策の不備医療従事者の個人用防護具(PPE)不足などが、厳しい批判を浴びた。

首相の上級顧問を務めるドミニク・カミングス氏がロックダウン中に国内を長距離移動していた問題で、首相がカミングス氏を擁護したことも、多くの反発を呼んだ。

カミングス氏は自分と妻が新型ウイルスに感染している状態で、幼い息子の世話をしてもらおうと、自動車に妻子を乗せて親族のいる北東部ダラムまで400キロ以上を運転した。滞在中に観光地に立ち寄ったことも明らかになった。

その後イギリスでは厳しい行動制限が徐々に緩和されるようになった。しかし、感染対策が政界の最重要課題だという状態は、今後も当面は変わりそうにない。

ホットな話題

ここ数カ月は当然ながら、新型ウイルスが英政界だけでなく世界全体の話題の中心だった。しかし、ジョンソン氏にまつわる問題はほかにもある。

今年2月にイギリス各地が深刻な浸水被害に見舞われたとき、首相は「隠れて」いて無策だと、しきりに批判された。

イングランドの南北を結ぶ高速鉄道「ハイスピードツー(HS2)」の敷設計画を首相が支持した際には、与党内からも反対の声が上がった。

中国通信大手・華為技術(ファーウェイ)との関係も、度重なる争点となった。

ジョンソン氏は今年1月の時点で、ファーウェイの第5世代移動通信システム(5G)を導入する方針を固めたものの、市場シェアを制限するという政府の約束に多くの与党議員が納得せず、やがて首相は方針を翻した。

イギリス政府は7月になって、来年以降はファーウェイの5G設備の購入を禁止すると発表した。携帯サービスプロバイダーがすでにファーウェイの5G技術を購入していた場合も、2027年までに通信網から撤去する必要があるとしている。

カミングス顧問が計画している大胆な省庁改革も、複数の上級官僚が今年一杯で辞任すると発表するなど、不穏な動きを見せている。

半年のうちにすでに主要官庁の幹部6人が辞任しており、公務員トップのサー・マーク・セドウィル内閣官房長官・首相補佐官(国家安全保障担当)は、国家安全保障担当の職務を外された。その後任はキャリア公務員ではなく、ブレグジット交渉責任者だったデイヴィッド・フロスト氏が政治任用で選ばれた。

そしてもちろん、特に最近大きな物議を醸したのが、ロシアに関する議会報告書だ。英議会下院の情報安全保障委員会(ISC)は21日、英政府がロシアの脅威を「甚だしく見くびり」、介入を防ぐための必要な対応を怠ったとした。

議会報告書によると、イギリス政府はロシアの脅威を前に常に後手後手に回り、ブレグジットの是非を決めた2016年の国民投票にロシアが介入したという疑惑を調べもしなかったという。

ロシアの介入についてのこの報告を首相は何カ月も公表せず、総選挙前の公表を阻止したと批判されている。また、この報告をまとめた情報安全保障委員会の新委員長に下院が、官邸が支持する候補ではなく、別の議員を選んだ際には、官邸はこのジュリアン・ルイス下院議員を保守党から除名した。

しかし、ジョンソン首相は一連の批判を一蹴。安全保障関連の法律を刷新し、ロシアの脅威に真正面から取り組むと約束している。

プライベート

ジョンソン氏はこの1年、政治家としてだけでなく、プライベートでも大きな変化に見舞われた。

昨年7月に首相官邸に引っ越した際には、ガールフレンドのキャリー・シモンズさんが一緒だった。世界に知られる「ダウニング街10番地」の住所に、未婚のカップルが同居するのはこれが初めてだった。

ジョンソン氏は2人目の妻、マリナ・ウィーラーさんと2018年9月に別居を発表。保守党党首に選ばれた当時は離婚協議の最中だった。

首相とシモンズさんは首相官邸に移り住んで間もなく、保護犬の「ディリン」を引き取り、一緒に住むようになった。2人が共有する初のペットだった。

2月になると首相とシモンズさんは婚約を発表。同時に、シモンズさんが2人の第一子を妊娠中だと明らかにした。

4月末に生まれた男の子は、「ウィルフレッド・ローリー・ニコラス」と名づけられた。2人の祖父と、新型ウイルスに感染したジョンソン首相を治療した2人の医師にちなんだ名前だという。

ウィルフレッドちゃん誕生から間もなく、首相とウィーラーさんは正式に離婚した。

ほかに首相は、アメリカの実業家、ジェニファー・アーキュリさんとの関係が取りざたされた。ロンドン市長時代にアーキュリ氏を特別扱いしたとか、単なる友人以上の関係だったなどと言われた。

しかし首相はこうした疑惑を否定し、すべて「適切に行われた」と反論した。

そして今後は

前述した通り、2011年の議会任期固定法にもとづき、下院の3分の2が解散・総選挙を求めない限り、ジョンソン氏の任期は5年だ。

新型ウイルスについては首相の言うように「まだ問題が片付いたわけではない」し、政府対応を検証する外部独立調査の実施を約束している。

イギリス経済は大打撃を受けたし、政府の巨額債務をどう返済するのかについても疑問は尽きない。

さらに加えて、ブレグジット後のEUとの協議は続いている。

ジョンソン政権が続く限り、劇的な展開も続くはずだ。待て、次号。

(英語記事 Boris Johnson: The prime minister's year in No 10

提供元:https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-53535318

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