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2020年11月11日

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パレスチナ解放機構(PLO)のサエブ・エレカット事務局長が10日、新型コロナウイルスの感染症COVID-19のためエルサレムの病院で死去した。65歳だった。

エレカット氏は先月、COVID-19の診断を受け、イスラエル・エルサレムの病院に入院していた。

同氏は長年にわたり、イスラエルとの間で断続的に続いている和平交渉に関わってきた。

パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長は、「我々の親愛なる兄弟であり友人、偉大な闘士であるサエブ・エレカット博士の死は、パレスチナと我々にとって大きな損失だ」と追悼。パレスチナ全土で3日間、喪に服すと宣言した。エレカット氏はアッバス氏の顧問を務めていた。

エレカット氏は、1993年の歴史的なオスロ合意の実現に尽力した。オスロ合意ではパレスチナ自治政府が樹立され、ヨルダン川西岸とガザ地区で、1967年にイスラエルが占領して以降初めて暫定自治が行われた。

先月8日、新型ウイルス検査で陽性と判定されたと発表。病状が悪化し、発表の11日後にヨルダン川西岸ジェリコの自宅からイスラエルの病院に運ばれた。

エレカット氏は3年前に片方の肺の移植を受けていた。治療に当たった医師団は、同氏は「免疫力が低下し、新型ウイルスの他にも細菌に感染していた」ため、治療が「かなり困難だった」と述べた。

入院中、人工呼吸器が装着され、医療的な昏睡(こんすい)状態に置かれていた。


エレカット氏は、イスラエルとパレスチナの紛争で「2国家解決」と呼ばれる解決案(パレスチナが独立国としてイスラエルと共存)を提唱。最近になってアラブ諸国が相次いで、イスラエルと関係正常化に向けて動いているのを非難した。

アラブ首長国連邦が8月にイスラエルと国交を結んだ際には、「2国家解決をつぶすものだ」と発言。ドナルド・トランプ政権の下でイスラエルを支持するアメリカは、「問題の一部となっており、中東での存在感をどんどん失っている」と述べた。

エレカット氏は国際社会に対しても、ヨルダン川西岸と東エルサレム、ガザ地区を占領するイスラエルに対する制裁措置や、それらの地域にあるイスラエル企業との取引中止を求めていた。

「PLOの顔」

エレカット氏は1955年、エルサレムで生まれ、ジェリコで育った。

1972年に米サンフランシスコ州立大学に留学。国際関係を学び、学士と修士の学位を取得した。

ヨルダン川西岸に戻ると、ナブルス市のナジャフ大学で教壇に立った。その後、奨学金を得て、英ブラッドフォード大学で紛争解決と平和学を研究し、博士号を取得した。


1983年に学業を終えると、パレスチナとイスラエルの学者らによる対話を提唱する記事を、パレスチナの新聞に書き始めた。ナジャフ大学での自らの講義に、イスラエルの学生を招いたこともあった。

こうした行動は時に、大きな議論を呼んだ。

和平交渉には1991年から参加。PLO議長だったヤセル・アラファト氏(故人)に、マドリード会議に参加するパレスチナ代表団の副団長となるよう求められたのがきっかけだった。

1993年と1995年に歴史的なオスロ合意の成立に関わったのち、パレスチナの交渉人代表となった。

2000年には、米キャンプ・デイヴィッドでのサミットにアラファト氏と共に参加。2007年には、アラファト氏の後任のアッバス氏と、米アナポリス会議に臨んだ。

しかし一連の中東和平会議では、境界やエルサレム、難民などに関する「最終地位」交渉で合意はみられなかった。

地元議員としても

和平交渉を担当した一方、パレスチナ自治政府内の自治体の要職も務め、立法評議会にはジェリコを代表して出席した。

2009年にはPLO執行委員会と、アッバス氏が率いるファタハの中央委員会の両方のメンバーに選ばれた。その6年後、PLOの事務局長に就任した。

ここ数年は健康問題に悩まされていた。2012年には心臓発作を発症。2017年には米ヴァージニア州の病院で片方の肺の移植を受けた。

妻と4人の子ども(双子の娘と息子2人)が遺された。

(英語記事 Top Palestinian figure Saeb Erekat dies of Covid

提供元:https://www.bbc.com/japanese/54899636

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