BBC News

2021年5月15日

»著者プロフィール

アンドレアス・イルマー、BBCニュース

東京オリンピックの開始まで約2カ月となり、パンデミックを前に開催を中止するよう求める声は日に日に高まっている。ではなぜ日本政府は、中止について何も言わないのか。事態はそう簡単ではないというのが、その理由だ。

日本の状況は芳しくない。

新型コロナウイルスの感染状況が悪化するに伴い、緊急事態宣言が東京を含む4都府県で延長され、さらに3道県に拡大されることになった。

それでも、東京オリンピック・パラリンピックの中止について、政府からの発言はない。医療関係者も世論も、大多数は予定通りの開催に反対しているのだが。

最近の国内世論調査では、70%近い人が、7月23日からの予定通りの開催を望んでいない。しかし、国際オリンピック委員会(IOC)は依然として、大会は実施すると強い姿勢を堅持している。

東京五輪はそもそも昨年夏に予定されていた。そして日本政府はかねて、大会は確実に安全に実施すると、一貫して主張してきた。

それでも10日の衆議院予算委員会で菅義偉首相が、「私はオリンピックファーストでやってきたことはありません。国民の命と暮らしを守る。最優先に取り組んで来ている」と野党の質問に答えた。この日の答弁では世論の圧力に初めて姿勢を曲げたかのようにも見えたが、14日の記者会見では「国際オリンピック委員会は7月開催を既に決定している」と、従来の主張を繰り返した。

ではいったい、五輪中止を決める権限はいったい誰にあるのか? そして、中止はあり得るのだろうか?

中止への手順は?

IOCと開催都市・東京都の契約日本語版はこちら)は、明確だ。開催契約を解除し、開催を中止する権利はIOCのみにある。開催都市側に、その規定はない。

なぜかというと、オリンピック大会はIOCの「独占的財産」だからだと、国際スポーツ法を専門とするアレクサンドル・ミゲル・メストレ弁護士は、BBCに説明した。オリンピックの「所有者」として、開催契約を解除できるのはIOCなのだという。

契約解除、つまり開催中止の正当な事由としては、戦争や内乱などのほか、「IOCがその単独の裁量で、本大会参加者の安全が理由の如何を問わず深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠がある場合」という項目が記載されている。パンデミックはこの、深刻な脅威に相当するのではないかという主張もあり得る。

オリンピック憲章にも、「選手のための医療と健康対策を促進し支援する」、「安全なスポーツを奨励」という規定があると、メストレ弁護士は指摘する。

しかしこうした諸々にもかかわらず、IOCはなんとしても大会を実施するつもりに見える。

それでは、IOCの意向に反して日本が自ら率先して、開催をやめることはできるのか?

「この開催都市契約の様々な取り決めのもと、もし日本が一方的に契約を解除する場合、それによるリスクや損失はもっぱら地元の組織委員会のものとなる」と、豪メルボルン大学のジャック・アンダーソン教授(スポーツ法)はBBCに話した。

スポーツ法に詳しいアンダーソン教授によると、この開催都市契約はよくある内容のもので、東京都はもちろん内容を承知して締結した。東京都が承知していなかったのは、パンデミックの発生だ。

「契約はいくつかの不測の事態は予見できるものの、現状の性質は言うまでもなく前例がないものだ」と教授は言う。

「オリンピックは最大のスポーツイベントで、日本とIOCにとっては放送権とスポンサーシップという意味で数十億ドル規模がかかっている。巨大イベントなだけに、全ての当事者に巨大な契約上の義務が伴う」

つまり、日本とIOCが開催都市契約の枠組みの中で、共に中止を決定することが、唯一の現実的なシナリオになる。

もしそういう展開になれば、ここに保険という要素がからんでくる。IOCは保険に入っているし、地元の組織委員会も保険に入っているし、放送各社やスポンサー各社も保険をかけているはずだ。

「もしも東京五輪が中止になるなら、こうした大会に関わる保険金支払いの案件として、おそらく過去最大規模のものになるはずだ。紛れもなく」と、アンダーソン教授は言う。

保険金は大会主催者側の経費実費は補償する。しかし、五輪開催を期待して日本国内で行われた数々な関連投資はほとんど補償されない。たとえば、海外から観客が押し寄せると期待して各地のホテルやレストランが投資した改修費などは、取り戻せない。

相次ぐ批判

現時点では、五輪開催は不確定なままだ。

ここまでの道のりも難関続きだった。昨年実施のはずが1年延期され聖火リレーは何度も何度も中断された。海外からの一般観客受け入れは中止。そして今や、完全に無観客で空のスタジアムで競技をするという選択肢さえ検討されている。

開催の是非について発言する選手は少なく、おそらく自分たちも悩み、揺れているのではないかと想像される。代表選手になったアスリートにとってオリンピックは長年の訓練の末に獲得した、競技生活の大きなハイライトのひとつだ。

同時にその一方で、パンデミックの渦中、個人や大勢の健康が不安視されている。

日本有数のスター選手、テニスの大坂なおみ選手は五輪について発言した数少ない1人だが、その大坂選手も慎重なためらいを口にするにとどまった。

大坂選手は今月半ば、「私はアスリートなので、もちろんオリンピックは実現してほしい」と述べつつ、「あまりにたくさん大事なことが起きていて、特にこの1年間」と慎重だった。

「私にとって、もし人をリスクにさらすことになるなら(中略)もちろん話し合うべきだし、今そうなっていると思う。結局のところ私はただのアスリートで、今はパンデミックの最中なので」と、大坂選手は話した。

「でも人として考えたとき、私たちはパンデミックのただ中にあると言えるでしょうし、みんなが健康でなければ、そして安全だと思えなければ、それは間違いなくとても心配なことです」

パンデミックの中でオリンピックを開くのは適当だと思うかという質問には、「率直に言って、確信がもてません」と答えた。

千葉県によると、アメリカの陸上チームが県内で予定していた東京オリンピックの事前合宿を取りやめた。「選手の安全面に関する懸念」が理由だという。これを受けて千葉県の熊谷俊人知事は、「中止の判断は大変残念ではあるものの、米国陸連が現在の状況下での最善策として判断したものと考えています」とのコメントを出した。

五輪開催に関わる大勢が同じように、不確実な状況に揺れている。

各国の選手団を受け入れる「ホストタウン」については、すでに40以上の自治体が感染拡大の懸念から、交流事業や事前合宿の受け入れ中止を決めたという。

また、茨城県の大井川和彦知事は12日、大会組織委から選手用の専用病床を確保するよう打診されたものの、「県民より選手を優先できない」として断ったことを明らかにした。五輪開催については、「必ずやらなければいけないことではない。状況に応じて中止の判断もあり得る」と発言している。

さらに、医師の労働組合「全国医師ユニオン」は13日、「コロナ禍においては安心・安全なオリンピックの開催などありえない」として、「政府に対しては、オリンピック選手や関係者の苦悩を考慮し、医療従事者への社会的要請を明確にするためにも、1日も早いオリンピック開催中止の決断を求めるものである」という要望書を日本政府に提出した。

五輪中止そのものを求める意見ばかりではないものの、反対の声が国民や医療関係者の間で高まる中、開催を不安視する人も増え続けている。

金銭だけの問題ではなく

五輪中止で問題になるのは、金銭だけではない。

もし東京大会が中止となった場合、次にすでに予定されているのは2022年2月開幕の北京冬季五輪だ。

アジアで日本と勢力を競い合う中国開催の大会が次に控えているとあっては、日本政府は出来る限りのことをして東京大会を実現しようとするはずだと、これが大方の見方だ。

日本で前回、夏季五輪が開かれたのは1964年の東京五輪だ。当時は、第2次世界大戦後の日本の復興と再建を表す重要な象徴だと、オリンピックはみなされていた。

今回の東京五輪も、日本にとって象徴的な意味合いがあると、アンダーソン教授は説明する。

「日本ではもう長いこと経済が停滞していたし、津波と福島の原発事故もあった。そのため、東京五輪は日本復興の象徴となったはずだ。そういう意味では特に大事な大会だ」

究極的に、大会を実施すべきかどうかの議論は、実際に実施されるかどうかとは別の話になる。近代五輪の歴史で、オリンピックが中止されたのは過去3回のみ。1916年と1940年と1944年の大会中止はいずれも、世界大戦がその理由だった。

それだけに、どれだけ逆風が高まろうとも、IOCが中止を検討さえしようとしない姿勢から、五輪に詳しい人の多くは東京大会は予定通り7月23日に始まるだろうと見ている。それがどういう形での開催になるのかは、まだ不透明だ。

(英語記事 Tokyo Olympics: Why doesn't Japan cancel the Games?

提供元:https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-57125337

関連記事

新着記事

»もっと見る