2024年4月19日(金)

ベストセラーで読むアメリカ

2021年6月11日

The Premonition: A Pandemic Story

■今回の一冊■
The Premonition: A Pandemic Story
筆者 Michael Lewis 
出版社 W. W. Norton & Company

 アメリカの疾病対策センター(CDC)は自己保身を最優先する頭の固い専門家の集まりで何もしない。アメリカ国民の命を守るという本来の使命よりも、感染症の正確なデータを収集し学術誌に論文を発表することに熱心だ。何の権限も持たない在野の医者や研究者たちが独自にパンデミックと戦う姿を描き、政府やCDCの不作為に警鐘を鳴らすノンフィクションだ。日本版CDCの設立を提唱する人々にはぜひ読んでもらいたい。

 人気作家のマイケル・ルイスの手になる新作とあって、本書はニューヨーク・タイムズ紙の週間ベストセラーリスト(単行本ノンフィクション部門)で、5月23日付で3位で初登場した。4週連続でトップ10入りとなった6月13日のリストでも6位につけた。

 CDCに所属しているわけではないのに、まさに舞台裏で、危機感から新型コロナ対策に奔走した人々を描く。CDCやトランプ政権が有効な対応策を打ち出せないなか、大学の研究者や医者らが自発的に電子メールやオンライン会議で議論を繰り広げる。やがて、政府高官やCDC関係者、感染症の専門家らも、この自然発生的にできた議論の場に参加して耳を傾け、実際の政策運営にそのアイデアが採用されたという。

 本書はこの舞台裏で活躍した数人の人々の動きに焦点を合わせる。そのうちの1人が当時、カリフォルニア州の公衆衛生局のナンバー2だったチャリティという女性だ。医師の資格を持ち、地方自治体の職員として公衆衛生に携わってきた。結核や脳炎、肝炎など伝染性の病気が発生すると、迅速な調査をもとに、発生源とみられる施設の閉鎖など迅速で果敢な危機対応で実績をあげてきた。当然、職務をこなすなかで幾度となくCDCにも助言を求めたり報告をしたりしてきた。そのチャリティが得た教訓は「CDCは何もしない」というものだ。

The root of the CDC's behavior was simple: fear. They didn't want to take any action for which they might later be blamed. “The message they send is, We're better than you and smarter than you, but we're letting you stick your neck out to take the risk,”said Charity.

「CDCの行動原理は単純で、恐怖が根っこにある。のちのち批判されかねないことは、やりたがらない。『CDCの理屈は、自分たちのほうがお前らよりも詳しいし優れているんだぞ、お前らがやりたいようにやっていいけれども、責任をとるのはお前らだからな、というものだ』とチャリティは話す。」

 チャリティは地方自治体の現場で感染症の問題に取り組み、何度もCDCとやり取りしてきた。そのたびに、「十分なデータや証拠が集まっていない」などと、CDCの職員らが言い訳をして行動を起こさないのを目の当たりにしてきた。しかし、十分なデータが集まるころにはウイルスが地域住民に広まってしまう。人々の健康を守るためには、素早い行動が求められる。チャリティはたびたび、自分の判断でクラスターの発生源と疑われるクリニックを営業停止にするなどしてきた。その経験から得た結論は次の通りだ。

In theory, the CDC sat a top the system of infectious-disease management in the United States. In practice, the system had configured itself to foist the political risk on to a character who had no social power. It required a local health officer to take the risk and responsibility, as no one else wanted to. Charity could see that the CDC's strategy was politically shrewd. People were far less likely to blame a health officer for what she didn't do than what she did.

「建て前では、CDCはアメリカにおける伝染病対策を担う関係機関の頂点に位置する。実際には、公的な権力を持たない一個人に責任を押し付ける仕組みになっている。地方自治体で働く公衆衛生の担当者にリスクと責任をとらせて、他の人たちはリスクや責任をとろうとしない。チャリティがみるところ、CDCのやり方は政治的に巧妙だ。なにか行動を起こすよりも、何もしないほうが、公衆衛生の責任者は、世間から批判されにくいのだ」

 チャリティは自分の勤め先であるカリフォルニア州公衆衛生局の中でも孤立していく。新型コロナウイルスの脅威を2020年初めに、いち早く理解し、対策を講じようとするのだが、直属の上司である局長の反対にあう。主要な会議からも外されて発言の機会を奪われていく。まだ、米国に感染が広がっていなかっただけに、組織のトップはチャリティの言動を「いたずらに騒ぎ立てて社会を混乱させかねない」とみて、邪魔者扱いしたのだ。

 感染症との戦いのポイントは、パンデミックという危機が実際に起きる前に、対策を講じる点にある。しかし、感染が広がる前に感染を抑える対策をとる、というのは非常に難しい。具体的なデータなど十分な判断材料がないなかで、場合によっては社会的な損失を伴う決断をしないといけないからだ。ましてや、判断材料が少ないなかで下す決断は、かなりの確率で間違っている可能性もある。特に、責任逃れを優先しがちな公的な組織では、対応が後手後手に回りパンデミックを防げない。

 CDCが責任回避を優先し行動を起こさない体質になったのも歴史的な経緯を考えれば無理はないという。1976年に新型の豚インフルエンザの感染例がアメリカ国内で見つかったとき、CDCはアメリカ全国民にワクチン接種する必要性を、時のフォード政権に訴え実行に移した。しかし、ワクチンの副作用で死亡する例が一部出たうえ、恐れていた豚インフルの感染は広がらずウイルスが消えてしまった。当時のCDCのトップは、無駄で有害なワクチン接種を推奨したとして批判を浴び職を追われた。

 後任のCDCトップも1983年に、レーガン政権との軋轢が原因でポストを去った。CDCの研究チームが、アスピリンの重大な副作用を発見し公表しようとしたところ、製造メーカーの意を受けた政権中枢から待ったをかけられた。当時のCDCのトップは政権からの不当な圧力に抗議する意味を込めて辞職した。その後、レーガン政権はCDCトップのポストを大統領による政治任用ポストに切り替えた。大統領がトップの人事権を握ってCDCをコントロールしやすい体制にしたのだ。

 こうしたCDCの歴史や、昨年来の新型コロナへのアメリカの対応の遅さをみると、日本版CDCの設立を求める声がなぜ、日本の経済界や政治の世界から出てくるのか理解に苦しむ。皮肉にも、本書では、日本が初期にみせた新型コロナウイルスに対する対応を好意的に描いてさえいる。


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