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2021年6月9日

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国連国際刑事法廷メカニズムは8日、1992~95年のボスニア・ヘルツェゴビナ内戦でジェノサイド(集団虐殺)などの罪に問われたセルビア人司令官ラトコ・ムラディッチ被告の上訴審で、一審の有罪判決を支持した。これにより、ムラディッチ被告の終身刑が確定した。

2017年の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷は、約8000人のボシュニャク人(イスラム教徒のボスニア人)の男性や少年たちが殺された1995年の「スレブレニツァの大虐殺」で、ムラディッチ被告が「大きな役割を果たした」と認め、戦争犯罪や人道に対する罪などで有罪判決を言い渡した。

この事件は第2次世界大戦以降の欧州で最悪の規模の犠牲者を出した。

「ボスニアの虐殺者」と呼ばれたムラディッチ被告は、旧ユーゴ国際戦犯法廷で裁かれた最後の政治家のうちの1人。1995年の内戦終結後に逃亡したが、2011年にセルビア北部で発見され、逮捕された。

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2017年の一審では、スレブレニツァの大虐殺への関与が認められ有罪となった一方、1992年に他地域でボスニアのイスラム教徒やクロアチア人に対して行ったとされる犯罪については無罪とされた。

オランダ・ハーグで開かれた控訴審は、ムラディッチ被告が一審判決を覆す証拠を提出できなかったと判断した。ただし、裁判長を務めた判事がほぼ全ての罪状に異議を唱えた。

検察側は一審で有罪と認められなかった罪状について控訴したが、却下された。

ムラディッチ被告がどこで服役するのかは明らかになっていない。

終身刑確定への反応は

スレブレニツァの大虐殺で家族23人を殺されたセムソ・オスマノヴィッチさんはBBCの取材に対し、判決を聞いてやっと地元に帰れる気持ちになったと語った。

「国際法廷が正義の判決を下す、その瞬間のために生きてきた。妻や子どもたちをスレブレニツァに連れて行きたい。私のふるさとだから」

虐殺で夫を殺されたセヒダ・アブドゥラマノヴィッチさんは、スレブレニツァ郊外にあるポトチャリ追悼記念センターで判決を聞いた。

BBCセルビア語の取材でアブドゥラマノヴィッチさんは、「耳もほとんど聞こえない、目も見えない、病気で歩くことも難しい、そういう母親たちがこの判決を見に来た。今でも昨日のことのように鮮明だ」と話した。

「ムラヴィッチが終身刑になり、スレブレニツァの大虐殺が認められることが何よりも大事だ」

サラエヴォのある新聞は、「刑務所で死ぬことが確定した虐殺者の目に涙」という見出しで判決を報じた。

一方、ムラディッチ被告の支援者の反応は異なっている。

息子のダルコ・ムラディッチ氏は、「父は公正な裁判を受けさせてもらえなかった」と述べた。

ボスニア・ヘルツェゴビナを構成するスルプスカ共和国(セルビア人が主体)のジェリカ・ツヴィヤノヴィッチ大統領は、この裁判が「戦争犯罪の責任を証拠ではなく被告人の民族で決め付ける、反セルビア的な法廷だったことが再び明らかになった」と語った。

審理の様子は

審理はムラディッチ被告の健康上の理由や新型コロナウイルスによる制限で遅れ、昨年8月に行われた。

ムラディッチ被告は法廷を、西側諸国の権力の申し子だと非難。ボシュニャク人の軍と、スレブレニツァなどの安全地帯を尊重することで合意していたとし、それらの地帯での違反行為には一切関わっていないと示唆した。

弁護人は、ジェノサイドが行われた際、同被告はスレブレニツァから遠く離れた場所にいたと主張した。

しかし検察側の弁護士は、ムラディッチ被告が「20世紀最悪の犯罪を犯した」と指摘した。

「被告はスレブレニツァの大虐殺の指揮を取っていた。自分の支配下にある軍を使って、何千人もの男性や少年を殺した」

一方、被告側のドラガン・イヴェティッチ弁護士は、「ムラディッチ氏は悪者ではない。スレブレニツァで国連ができなかった人道支援を助けようとしていただけだ」と主張した。

虐殺はどのように起きたか

旧ユーゴスラヴィアは1991~1999年にかけて内戦状態となり、現在のセルヴィア、モンテネグロ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、クロアチア、マケドニア、スロヴェニアに分裂した。

特にボスニアでの紛争は、民族や宗教の違いから対立が深まり、多数の死者が出た。

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争(1992~1995年)の末期、ボスニアのセルビア人勢力はスレブレニツァ近くの地域を包囲した。

当時のスレブレニツァは国連平和維持活動部隊として駐留していたオランダ軍が警備しており、セルビア人勢力の進軍を受けて約2万人のボシュニャク人が避難していた。しかし、7月11日にセルビア人勢力がスレブレニツァを占拠した。

オランダ軍は降伏し、セルビア人勢力は2週間のうちにボシュニャク人の男性や少年を隔離し、次々に虐殺した。

このいわゆる「民族浄化」で100万人以上のボスニャク人とクロアチア人が家を追われ、セルビア人側にも犠牲者が出た。1995年の終戦までに、少なくとも10万人が殺害された。

(英語記事 UN court rejects Mladic genocide appeal

提供元:https://www.bbc.com/japanese/57408988

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