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2021年9月27日

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ジェレミー・ボウエン、BBC中東編集長(アフガニスタン・ヘルマンド州)

泥れんが造りの家の中は涼しく、きれいに片付いていて、落ち着いた雰囲気だった。シャムスラーという名の男性が、来客用の部屋に案内してくれた。男性の足には幼い息子がしがみついていた。

床にはじゅうたんが敷かれ、厚さ60センチほどの壁にはクッションが並べられていた。大切なものがいくつか飾ってあった。小さなキャビネットには色のついた小さなガラス瓶が6つ並んでいたが、この一家は貧しい。なけなしの財産は過去20年間の戦争で破壊されたり、略奪されたりした。

この家に入ると、外の暑い日差しや埃っぽい空気から逃れられた。戦場と化したヘルマンド州マルジャの野原に並ぶ他の家屋と同様に、この家も背の高い土壁で囲まれていた。

シャムスラーさんがすでに畑から採ってきた綿の俵に加えるため、家の中で綿花の処理をしようとしていた。

シャムスラーさんは母親のゴルジュマさんを呼んだ。シャムスラーさんによると、母親は65歳だという。ゴルジュマさんは頭から膝までを覆う長いショールを身にまとい、わずかな隙間から外をのぞいていた。

時折、ゴルジュマさんの目の光や鼻筋が見えた。悲しみに満ちた人生や、自分の人生を壊した戦争、そして4人の息子の死について語るゴルジュマさんの声は力強かった。生き残ったのは末っ子のシャムスラーさんだけだったという。24歳のシャムスラーさんの顔は10歳も老けて見えた。

ゴルジュマさんの長男ジア・ウル・ハクさんは11年前に亡くなった。タリバンの戦闘員だったという。「息子はアメリカがイスラム教とアフガニスタンを破壊しようと理解し、タリバンに参加した」と、ゴルジュマさんは説明した。

ほかの3人の息子たちは2014年、数カ月の間に相次いで亡くなった。クアドラタラーさんは空爆で死亡し、ハヤトゥラーさんとアミヌラーさんは警察が家族の家を強制捜査した際に逮捕された。シャムスラーさんによると、兄たちはアフガニスタン軍に従軍させられ、死亡したという。兄弟の中で唯一生き残ったシャムスラーさんは、自分が家族の責任を負わなければならないと、神が決めたのだと語った。

「5つのスイカを片手で持ってバランスを取ろうとしたことはありますか? 私がやっているのはそういう感じです」と、シャムスラーさんは私に話してくれた。タリバン戦闘員だった長兄ジアさんを亡くして未亡人となった、ジアさんの妻の面倒を見るのも、シャムスラーさんの務めだ。

「兄たちに会いたい」と、シャムスラーさんは言った。「1番上の兄の妻は、兄が死ぬと次男と結婚しました。そして次男が殺されると三男と。三男が殺されると4男と結婚したんです。4男が殺された後、私は彼女と結婚しました」。

「カブールの女性とは違う」

ヘルマンド州マルジャは2010年、バラク・オバマ米大統領(当時)が命じた米部隊「増派」に伴う作戦行動の、最初の現場になった。

米軍が部隊を増派すれば、戦争の流れをアフガニスタン政府や、それを支える米英や同盟軍に有利なものへと決定的に変える一撃になるというのが、当時の米政府の考えだっただ。

その年の米軍広報によると、「タリバンを追い出せば、良い学校や良い診療所、自由な市場といった明るい未来が待っている」はずだった。

マルジャの綿花やケシの畑は、巧みに潜伏しては攻撃するタリバンと戦う外国部隊にとって、悪夢のような場所となった。長期にわたる作戦が始まって3カ月後、アフガニスタン駐留米軍のスタンリー・マクリスタル司令官(当時)はマルジャを「出血性潰瘍」と呼んだ。その後10年間、何度も戦いが繰り返された。

自分たちはアフガニスタン国民のためにアフガニスタンをより良い場所にしようとしているのだと主張する欧米の指導者たちを、ゴルジュマさんは軽蔑していた。「どういう任務だったのかなど知らない。連中はこの国を破壊した」と、ゴルジュマさんは言った。

アフガニスタンの女性がこの20年間で機会や権利を得たのに、タリバン復権でそれを失いそうで、多くの女性が悲しんでいるのだがと、私はゴルジュマさんに尋ねてみた。

するとゴルジュマさんは、信じられないといった様子で答えた。「彼ら(外国部隊)がここにいる間、この国の本当に多くの人が苦しみを味わいました。彼らは私たちの夫や兄弟、息子たちを殺したんです」。「私がタリバンを好きなのは、タリバンはイスラム教を尊重しているからです。私のような女性と、カブールの女性は違います」と、ゴルジュマさんは述べた。

ゴルジュマさんは、タリバンが戦争で勝つ前は、誰もがタリバンを恐れていたが、今では戦争が終わってほっとしているとした。

しかし、ゴルジュマさんが本心から自由に話していたのかどうか、疑問は残る。

タリバンの報道担当事務所は、BBCの取材チームがヘルマンドに滞在する条件として、武装したタリバンのボディガードと翻訳者を付けることを要求したためだ。もし彼らの同行がなければ、タリバンが多くのアフガニスタン人にどのような恐怖を受け付けたのか、もっと話が聞けたかもしれない。

とはいえ、世界最強の軍隊によってヘルマンドの伝統的な農村が破壊されたことを非難し、亡くなった4人の息子を悲しむゴルジュマさんの気持ちに偽りがあったとは、私は思わない。

地方の貧困層には恩恵なく

アメリカでの9/11同時多発攻撃から間もない2001年10月、米英とその同盟国は、イスラム原理主義の過激派組織アルカイダを壊滅させるため、そしてアルカイダをかくまっていたタリバンを罰するためという明確な使命を持ち、アフガニスタンに侵攻した。

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しかし、その後の展開は理解するのも正当化するのもはるかに難しい。勝ち目のない戦争は、アフガニスタンの人々の生活を向上させるため欧米が重ねた努力を、すべて帳消しにしてしまった。

発展とは、民主主義と同じで、銃口から生まれるものではない。西洋諸国は時には成果も挙げた。都市部の男女が教育を受け、視界が広がったのは確かだ。しかしこうした恩恵は、ほとんど教育を受けていない地方の貧しい人たち、ゴルジュマさん一家のような人には届かなかった。

1996年にタリバンが初めて実権を握った際、彼らは自らの宗教的・文化的信念を貫くために暴力を用いた。現在はというと、ほとんどのアフガニスタン人はあまりに若く、9/11や侵攻以前のことは覚えていない。

ヘルマンド州の州都ラシュカル・ガーでは、若いタリバン戦闘員がBBCの取材カメラに反応し、携帯電話を取り出して私たちのことを動画で撮影したり、外国人と一緒にセルフィー(自撮り写真)を撮るなどしていた。ここでは携帯電話のデータ通信料が安価で、私たちに同行していたタリバンの護衛は携帯電話でBBCパシュトー語の放送を見ていた。タリバンが写真撮影を禁止していた1990年代にはなかった方法で、彼らには世界が開かれているといえる。

タリバンの戦闘員は今や、外界のことを何も知らない少年の集まりではない。ではタリバンは、国民はもちろんのこと、自分たちの戦闘員にも、スマートフォンやインターネットを諦めさせ、そして彼らを手招きする世界との関係も、強制的に諦めさせるのだろうか。

前回に比べて今回は、今ある国の形をへし折って壊してしまうのは、なかなか難しいかもしれない。

(英語記事 In rural Afghanistan, a family welcomes Taliban rule

提供元:https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-58702237

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