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BBC News

2022年9月13日

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イギリスのエリザベス女王が8日、滞在先のスコットランド・バルモラル城で、家族に囲まれて亡くなった。96歳だった。国葬は19日に、ロンドンのウェストミンスター寺院で行われる。

イギリスは19日の国葬が終わるまで国全体で喪に服している。国葬当日は休日になる。今後どのように葬儀が行われるのか、その予定を説明する(日時はすべてイギリス時間。日本との時差は現在8時間で、日本が8時間先行している)。


女王の棺(ひつぎ)は11日にバルモラル城からエディンバラのホリールード・ハウス宮殿に運ばれたのち、12日には同市内のセント・ジャイルズ大聖堂に安置された。13日午後までの間、大勢が並んで棺の前を通り、弔問した。

13日午後5時、女王の棺は大聖堂からエディンバラの空港に運ばれた。棺はアン王女に付き添われ、午後7時前にはロンドン北西部ノースホルト空軍基地に到着し、バッキンガム宮殿に戻った。

エディンバラでもロンドンでも、多くの市民が葬列を沿道から見守った。

バッキンガム宮殿では国王夫妻をはじめ王室関係者が、女王の「帰宅」を出迎えた。

近衛兵たちが棺を宮殿内に運び入れ、儀仗兵(ぎじょうへい)として警護についた。聖職者たちも交代で、棺の見守りを始めた。

この日はそれに先立ち、国王夫妻は北アイルランド・ベルファストへ向かい、クリス・ヒートン=ハリス北アイルランド担当相らと会談。また現地のセント・アン大聖堂で礼拝に出席した。

チャールズ3世は君主として初めて、連合王国の4つの「国」(イングランド、スコットランド、北アイルランド、ウェールズ)を歴訪している。

14日に棺はバッキンガム宮殿からテムズ川沿いのウェストミンスター宮殿に運ばれた。宮殿内の大広間、ウェストミンスター・ホールで女王の棺は4日間、公開安置される。

棺を運ぶ葬列は、午後2時22分にバッキンガム宮殿を出発。棺の後ろに国王夫妻や王室関係者が続き、宮殿前の大通り「ザ・マル」から官庁街ホワイトホール、ウェストミンスター宮殿に入るイギリス議会の前などを通り、38分をかけてウェストミンスター宮殿に到着した。

この間、ウェストミンスター宮殿の時計塔「エリザベス塔」から「ビッグベン」と呼ばれる鐘が鳴らされ、市内のハイド・パークでは弔砲が撃たれた。

棺は午後3時、11世紀に造られた大広間のウェストミンスター・ホールに入った。棺は閉じられた状態で、棺台の上に安置された。台の四隅には、王家に仕えるイギリス軍部隊から兵士が護衛として立つ。

ウェストミンスター宮殿の中には、イギリス議会の議事堂などもある。その大広間は、宮殿でも特に古い部分。エリザベス女王の母エリザベス皇太后が2002年に亡くなった際も、この大広間に安置され、20万人以上が行列して別れを告げた。王室関係者の遺体がここで安置されるのは、それ以来となる。

大広間に棺が安置された後、短いミサが行われた。午後5時から、一般市民が入れるようになった。ウェストミンスター・ホールはこの時から19日午前6時半まで、一般に開放される。

多くの弔問者が行列しており、列は常に動くため、腰を下ろす機会はほとんどないとされる。何時間も立ち続けることになり、一晩中待つ可能性もあるとして、飲食物の持参が推奨されている。


公共交通機関の遅延や周辺道路の閉鎖も予想されている。

弔問に訪れる人は、空港で実施されるのと似た保安検査の対象になる。1人につき、開口部が1カ所の小型バッグ1個だけ、持ち込みが許される。所持品の内容は制限される。

ウェストミンスター宮殿内では沈黙を守り、適切な服装で訪れるなど、品位を保つことが求められる。「政治的および人の気分を害する言葉が書かれた」衣服は禁止される。

保安検査区域とウェストミンスター宮殿内では、動画や写真の撮影は禁止される。携帯電話などの電子機器は、電源を切るか、消音モードにするよう求められる。

列に並ぶ人には、誰かの代わりに並んだり、私物を放置したりしないよう求められる。

15日から、4日間の公開安置が正式に始まった。女王の棺は19日午前まで、大広間にとどまる。王旗がかけられた棺には、王冠に加えて、宝玉と勺杖(しゃくじょう)も置かれた。


イギリス政府の中心をなすイギリス議会が入るこの宮殿を、数十万人が訪れ、エリザベス女王に最後のお別れをすると予想される。

弔問者の行列は15日午後の時点で、テムズ川を挟んで宮殿の対岸にあるランベス橋のたもとから、川沿いを東に7キロ以上続いた。

女王の棺の公開安置2日目の16日、国王夫妻は南西部ウェールズを訪問する。これをもって、新国王としての連合王国内4カ国への初訪問が終わる。

この日にはチャールズ国王とアン第一王女、ヨーク公アンドリュー王子、ウェセックス伯爵エドワード王子の4人の子供が、近衛師団や衛兵隊と共に10分ほど棺を守った。

また、サッカーの元イングランド代表デイヴィッド・ベッカム氏が弔問のため、一般市民と共に長時間、行列して話題になった。


17日は、女王の棺の公開安置3日目。

この日にはウィリアム皇太子、サセックス公爵ハリー王子、ピーター・フィリップス氏、ザラ・ティンドル氏、ベアトリス王女、ユージーン王女、レイディー・ルイーズ・ウィンザー、セヴァーン子爵ジェイムズの8人の孫たちが、15分ほど不寝の番についた。


チャールズ国王とウィリアム皇太子は、テムズ川の南岸を訪れ、弔問のために行列する人たちにあいさつした。


18日は、女王の棺の公開安置4日目。

午後8時からイギリス全土で1分間の黙とうが行われた。


英政府は同日夜、公開安置されている女王の棺に弔問するための行列について、新規の受付を終了したと発表した。新国王チャールズ3世は同日、世界中からの支援と思いやりに「深く感動した」とメッセージを発表した。

https://twitter.com/DCMS/status/1571615372758876161


ウェストミンスター寺院で国葬

19日には、女王の国葬がウェストミンスター寺院で行われた。当日は国民の休日となった。

ウェストミンスター・ホールでの棺の公開安置は午前6時半に終わった。

午前8時にウェストミンスター寺院の扉が開かれた。女王の棺は同10時44分にウェストミンスター宮殿から運び出され、同10時52分にウェストミンスター寺院に到着。同寺院での国葬は同11時に始まった。

葬儀の様子はBBCテレビが生中継した。

ウェストミンスター寺院はイギリス王家の戴冠式や結婚式が行われる場所でもあり、女王は1947年にここでフィリップ殿下と結婚した。戴冠式はここで1953年に行われた。ただし、君主の葬儀がこの寺院で行われるのは18世紀以来となる。エリザベス女王の母、エリザベス皇太后の葬儀はここで2002年に行われた。

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女王の棺は海軍の砲車に載せられ、ウェストミンスター宮殿からこの寺院へ運ばれた。海軍の砲車は1979年に、フィリップ殿下の叔父、マウントバッテン卿の葬儀で使われて以来となる。その時は海軍兵142人が、砲車を引いた。

棺の後ろには、新国王チャールズ3世やウィリアム皇太子、サセックス公爵ハリー王子など、王族が徒歩で付き添った。18日には、ウィリアム皇太子の子供のジョージ王子(9)とシャーロット王女(7)も葬列に参加した。4歳のルイ王子は参加しなかった。

葬列は、王室空軍とグルカ旅団に所属するスコットランド連隊およびアイルランド連隊のバグパイプやドラムの演奏に先導された。

道中は王立海軍と王立海兵隊が警護し、議会前広場には陸軍の儀仗兵が、王立海兵隊の軍楽隊に伴われ立った。

葬儀には遺族に加えて、イギリス政界幹部や首相経験者、世界各国の元首や政府首脳が出席。エリザベス女王が支援したさまざまな慈善団体の代表も、参列した。

葬儀では、ウェストミンスター寺院のデイヴィッド・ホイル首席司祭が女王の「無私の奉仕に尽くした長い生涯」をたたえた。カンタベリー大主教ジャスティン・ウェルビー氏が説教で、新型コロナウイルスのパンデミックが始まって当初、エリザベス女王が「またお会いします」と国民に演説したことを振り返り、「私たちはまた会います」と述べた。

このほか、リズ・トラス新首相が聖書の一説を朗読したほか、カトリック教会のウェストミンスター大司教ヴィンセント・ニコルズ枢機卿を含む、さまざまな宗教指導者も祈りを捧げた。

葬儀で演奏・歌唱される楽曲にも、女王の信仰と好みが反映された。1947年の結婚式でも歌われた「主はわが羊飼い」のほか、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ、バッハ、エルガーなどによる曲が演奏された。スコットランドの作曲家、サー・ジェイムズ・マクミランがこの葬儀用に用意した新曲も披露された。


葬儀の後半、午前11時55分ごろに軍葬ラッパが吹かれた後、2分間の黙とうがささげられた。葬儀は正午ごろ、女王専属のバグパイプ奏者による哀悼曲の演奏と国歌斉唱で締めくくられた。

葬儀の後、女王の棺は午後12時15分ごろから徒歩の葬列に伴われ、寺院から市内のハイド・パーク・コーナーにあるウェリントン・アーチへ向かった。

兵隊と警察官に警護された道中では、1分おきにエリザベス・タワー(ビッグ・ベン)の鐘が鳴らされるほか、近隣のハイド・パークでは5分ごとに弔砲が撃たれた。

この葬列は王立カナダ騎馬警察(RCMP)に先導される。7隊に分けられた葬列にはそれぞれに楽隊が付き、イギリスや英連邦の各軍や、警察、国民保健サービス(NHS)の職員も加わった。

また、カミラ王妃、ケイト皇太子妃、ウェセックス伯爵夫人ソフィー妃、サセックス公爵夫人メガン妃が、車で参列した。

午後1時ごろにウェリントン・アーチに到着した棺は霊柩(れいきゅう)車に移され、ロンドン近郊のウィンザーへ向かった。

ウィンザー城で埋葬式

霊柩車は午後3時過ぎにウィンザーに到着。午後3時10分からは、ウィンザー城へ続く並木道「ロング・ウォーク」で最後の葬列が行われた。

チャールズ国王と王室の主要メンバーは城内の中庭で、午後3時40分ごろに葬列を出迎えた。女王の棺はその後、午後4時からの埋葬式のため、聖ジョージ聖堂へ運ばれた。

ウィンザー城のセヴァストポルの鐘とカーフュータワーの鐘が1分ごとに鳴らされ、敷地内では弔砲が撃たれた。

埋葬式には、女王に近しかった800人ほどが参列。ウィンザー司教のデイヴィッド・コナー氏が執り行い、カンタベリー大主教が祈りを捧げた。

フィリップ殿下が自分の葬儀のために選んだロシア正教会の聖歌「死者のコンダク」が歌われたほか、女王のピアノ教師を務めたオルガン奏者、サー・ウィリアム・ヘンリー・ハリスが作った楽曲も披露された。

式の後半には、王権を象徴する王冠と宝玉、王杖(おうじょう)が棺の上から取り除かれた。

女王専属のバグパイプ奏者が再び哀悼曲を奏でた。英王室バッキンガム宮殿によると、バグパイプの演奏は女王が自らリクエストしたものだという。

さらに、「神よ国王を救いたまえ」と国歌の斉唱があり、女王の棺は聖堂内の納棺堂へと下ろされた。

午後7時25分からは聖堂内にあるジョージ6世記念礼拝堂で近親者のみの礼拝が行われ、女王の棺は、昨年4月に亡くなった夫フィリップ殿下に並んで納められた。

女王の大理石の棺台には、「ELIZABETH II 1926-2022(エリザベス2世 1926~2022年)」と刻まれた。

ウィンザー城は過去1000年近くの間、エリザベス女王まで40代の国王が居城としてきた。女王は若いころ、第2次世界大戦中にロンドン空襲が続いた間はここに疎開したほか、最近では新型コロナウィルスのパンデミックが始まってから、ウィンザー城で暮らしていた。

敷地内にある聖ジョージ聖堂は、王家の結婚式や洗礼式、葬儀などがしばしば行われる。ハリー王子夫妻の結婚式や、女王の夫フィリップ殿下の葬儀もここで行われた。

(英語記事 Queen Elizabeth II: A day-by-day guide from now to the funeral / Queen Elizabeth II: Plans for the Queen's lying in state and funeral

提供元:https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-62847201

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