2023年1月30日(月)

BBC News

2023年1月6日

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近く出版される回顧録「スペア(予備)」でイギリス王室のハリー王子が、兄で現在は皇太子のウィリアム王子に暴力を振るわれたり、父親に再婚しないよう兄弟で訴えたりしたなどと、これまで知られていなかった多くの内容を書いていることが、明らかになった。

ハリー王子は回顧録で、王室内のさまざまな不和やいさかいについて触れている。たとえば、自分と兄ウィリアム王子がかつて父親に再婚しないよう強く求めていたことや、兄に襟元をつかまれ床に倒されたという内容が、注目を集めている。

兄王子に暴力を振るわれたというハリー王子の主張は、回顧録の出版に先立ち抜粋を入手した英紙ガーディアンが5日付で最初に伝えた

回顧録の正式な出版は1月10日だが、スペインではスペイン語版がすでに出版された。BBCはこれを入手している。英紙サンなど複数の報道機関も、スペイン語版を入手した。

ハリー王子の主張について、英王室はコメントを控えると述べている。

王子はほかに、自分が2005年に仮装パーティー用にナチス・ドイツの衣装を着たせいで大問題になったことを振り返り、自分の姿を見てウィリアム王子と、当時ウィリアム王子の恋人だった現キャサリン妃が大笑いしたと書いた。また、陸軍のヘリコプター操縦士としてアフガニスタンでタリバン戦闘員を25人殺害したと振り返っている。若いころの薬物使用についても触れている。

これまでに明らかになっている内容では、和解や妥協を求める気持ちよりも、家族への怒りや不満、糾弾、消えない悲嘆などが浮き彫りになっている。

父チャールズ国王の戴冠式を5月に控え、ハリー王子がこの時点で家族についてプライベートな内容と負の感情を公表したことで、今後はハリー王子が果たして戴冠式に出席するのかが注目されるかもしれない。

ハリー王子の回顧録で注目されるいくつかの主張を取り上げる。

兄弟で父にカミラさんと結婚しないよう強く求めた

正式な出版日に先立ち誤って出版されたスペイン語版を入手したサン紙によると、自分たち兄弟は父親に、今や王妃となったカミラさんと結婚しないでほしいと訴えていたのだと、ハリー王子は書いている。結婚前には、両王子は個別にカミラさんと面談したという。

王子は、カミラさんがいずれ自分にとっていわゆる「意地悪な継母」になるのだろうかと想像していたものの、もし父を幸せにするのなら自分も兄も「心の中」でカミラさんを許すつもりだったと書いている。カミラさんとの面談がいつのことかは、明示されていない。

「特殊能力者」経由で亡き母からの伝言

ハリー王子は母ダイアナ元妃が1997年にパリで事故死したとき、12歳だった。

悲しみのあまり、特殊な「能力があると主張する」女性の助けを求めるに至ったことを、王子は明らかにしている。その女性は王子に、「あなたのお母さんは、自分が生きられなかった人生を、あなたが生きているのだと言っています。お母さんがあなたに望んだ人生を、あなたは生きているんです」と語ったのだという。

ガーディアン紙によると、このくだりの描写は短く、この女性との面談の時期や場所も明らかにされていない。

兄王子とのけんか

ハリー王子は、ロンドンの自分のすまいで兄に暴力を振るわれたと書いている。

王子の妻メガン妃についてウィリアム王子が、「無礼」で「ぶしつけ」で「つきあいにくい」人だと発言したのを機に、いさかいになったとハリー王子は書いている。

ガーディアン紙によると、ウィリアム王子はイギリスの「メディアの論調を繰り返しているだけ」だったと、ハリー王子は書き、続けてことの次第を次のように描いている。

「(兄は)水の入ったコップを置いてから、僕をまた別の悪口で呼んで、こちらに向かってきた。あっという間のことだった」

「僕の襟をつかんで、ネックレスを引きちぎって、僕を床に放り投げた」

「僕は犬の皿の上にあおむけに倒れた。皿は僕の背中の下で割れて、破片が肌に食い込んだ。しばらくそのままの姿勢でぼうぜんとしていたが、やがて立ち上がって、兄に出ていけと告げた」

ナチスの衣装に「ウィリーとケイトは大笑い」

ハリー王子は20歳だった2005年、仮装パーティーにナチス・ドイツの衣装を着て出席した。その様子の写真をサン紙が一面に掲載し、大問題となった。王子は間もなく謝罪コメントを発表。その後たびたび、後悔の念を口にしている。

この衣装について王子は今回の回顧録で、当時の自分はパイロットの衣装とナチス衣装のどちらにするかで迷っていたのだと振り返っている。

「そこでウィルとケイトに電話して、意見を聞いた。『ナチスの制服』と2人は答えた」のだという。「ケイト」はキャサリン妃の愛称。

「ばかばかしい付けひげと一緒にナチスの衣装を借りて帰宅すると、ウィリーとケイトは大笑いした。ウィリーのレパードの衣装よりひどくて、ずっとばかげていた」

17歳でコカイン、イートン校では大麻

ハリー王子は、17歳の時に誰かの家でコカインを吸わないかと誘われたと書き、ほかにも何度かコカインを使ったと認めている。ただし、楽しくはなかったとも書いている。

「あまり楽しくなかったし、ほかのみんなはハッピーになっていたみたいだけれど、自分は特にそれほどでもなかった。ただいつもと違う気分にはなれた。それが一番の目的だったので」

「自分は17歳の少年で、決められた秩序を変えるものならなんでも試したかった」のだという。

王子はほかに、学んでいたイートン校のトイレで大麻を吸ったとも書いている。自分の警護を担当していた警官が、建物の外をパトロールしていた最中のことだという。

兄は自分が同じイートン校に行くのを嫌った

「ハロルド、お前は僕のことを知らない。僕もお前を知らない」。ハリー王子がイートン校に入学する際、これが兄に言われたことだという。ハリー王子の名前は「ハロルド」ではなく、「ハリー」は「ヘンリー」の愛称。

ハリー王子によると、兄にとって寄宿学校イートン校での最初の2年間は、弟に邪魔されることなく過ごせる「聖域」のようなものだった。

「自分を質問攻めにしたり、自分の仲間に首を突っ込んでくる弟がいない」2年間が、弟の入学によって終わることを、兄ウィリアム王子は心配していたのだという。

そこで自分は兄に「心配しないでいいよ」、「知り合いだったなんて忘れちゃうから」と答えたのだと、王子は書いている。

アフガニスタンでタリバン戦闘員25人を殺害

ハリー王子は、陸軍のヘリコプター・パイロットとして2012年から2013年にかけてアフガニスタンで軍務についた。その間に6回の作戦に参加し、そのどれも死を伴うものだったが、正当なことだったと考えていると書いている。

「特に誇りに思える人数でもないが、恥ずかしいとも思わなかった」

「戦闘の勢いと混乱の中に放り込まれた時、自分はその25人を人間とは思っていなかった。チェス盤から取り除かれた駒だ。善人を殺す前の悪者を排除したのだと思っていた」

自分たちの結婚式に兄は村のチャペルを提案

ハリー王子によると、自分がメガン・マークルさんと結婚するにあたり、王室は日にちや場所の決定に積極的ではなかった。

ウェストミンスター寺院やセントポール大聖堂はどうかと兄ウィリアム王子に尋ねたところ、前者は自分たちの両親の、後者は自分とキャサリン妃の結婚式に使った場所だから、それは無理だと言われたという。

その代わりに……と兄に提案されたのは、美しい田園地帯で有名なコッツウォルズにある父の別邸ハイグローヴ・ハウスに近い、村のチャペルだったと、ハリー王子は書いている。

結局、ハリー王子とメガン妃は2018年5月、ウィンザー城内の聖ジョージ聖堂で挙式した。

公の場に出る前の「恐ろしい」パニック発作

「2013年の夏が終わるころには、自分はひどい状態だった。何もできずまったく動けない時期と、恐ろしいパニック発作が続く時期を交互に繰り返していた」と、ハリー王子は書いている。

スピーチをしたりインタビューに応じたりすることが当時の自分の公務だったものの、「そういう基本的な役割すら果たすことができない」状態だったという。

スピーチの本番直前になると、全身が汗まみれだったと王子は書いている。パニック状態が始まると、スーツを着ることで症状が引き起こされたという。

「ブレザーを着て靴のひもを結び終えたころには、もう頬や背中を汗が流れ落ちていた」

(英語記事 Prince Harry makes series of sensational claims in new memoir

提供元:https://www.bbc.com/japanese/64183106


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