
「ロックンロールの女王」と称されたアメリカの歌手ティナ・ターナーさんが24日、スイス・チューリヒ近郊の自宅で死去した。83歳だった。
ターナーさんの死は、公式インスタグラムで公表された。
「彼女は、彼女の音楽と、人生への限りない情熱で、世界中の何百万人ものファンを魅了し、未来のスターたちをインスパイアしてくれた」
「きょう私たちは、彼女の音楽という最高の作品を私たちに残してくれた、親愛なる友人に別れを告げます」と、発表文は書いている。
「The Best」や「What's Love Got to Do With It」(邦題:愛の魔力)などのソウルの名曲やポップスのヒット曲でスーパースターになったターナーさんは近年、がんや脳卒中、腎不全など多くの健康問題に悩まされていた。
エネルギッシュなパフォーマンスと歌声で人気を獲得
ターナーさんは1960年代、当時の夫アイク・ターナーさんと共にリリースした楽曲「プラウド・メアリー」や「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」などで、一躍有名になった。
1978年にアイクさんと離婚し、1980年代にはソロ・アーティストとしてさらに成功を収めた。
セクシーでエネルギッシュなステージパフォーマンスと、ハスキーでパワフルな歌声で人気を博した。
米グラミー賞を8回受賞したほか、1991年にはアイクさんと揃って「ロックンロール名誉の殿堂」入りした。2021年には、ソロ・アーティストとして2度目の殿堂入りを果たした。
「ロックンロール名誉の殿堂」は、ターナーさんのソロデビューに際し、「黒人女性がいかにステージを支配し、強大なパワーを持つと同時に多面的な存在になれるのかについて、それまでの狭い認識を拡大した」と指摘した。
ターナーさんの影響を受けたスターには、ビヨンセさんやジャネット・ジャクソンさん、ジャネール・モネイさん、リアーナさんなどがいる。
「自然の力」
ターナーさんの30年来のマネージャー、ロジャー・デイヴィスさんは声明で、「ティナはその力強さ、信じられないほどのエネルギー、そして計り知れない才能を兼ね備えた、ユニークかつ驚くべき、強大な自然の力のような存在だった」と述べた。
「1980年に彼女に初めて会った日から、彼女は自分自身を完全に信じていた。(彼女を信じている)人がほとんどいなかった、あの頃から。(中略)彼女がいなくなって、とても寂しくなる」
同じ1960年代に有名になった米歌手グロリア・ゲイナーさんは、ターナーさんは「黒人も白人も含め、ロック界にいる多くの女性たちに道を開いた」と述べた。
スーパーモデルのナオミ・キャンベルさんや、バスケットボール界のレジェンド、マジック・ジョンソンさん、歌手のケリー・ローランドさんやシアラさん、ロックバンド「ブロンディ」のデビー・ハリーさんからも追悼のメッセージが寄せられた。
英ロックバンド「ローリング・ストーンズ」の歌手サー・ミック・ジャガーはインスタグラムに、ターナーさんは「人をインスパイアし、温かく、面白く、寛大」な人で、若い頃の自分を助けてくれたと投稿した。
英歌手サー・エルトン・ジョンは、ターナーさんは「世界で最もエキサイティングでエレクトリックなパフォーマー」の1人だったと語った。
人生は「素晴らしい旅」
ターナーさんはテネシー州の小作農家に生まれた。前夫のバンド「キングス・オブ・リズム」のバックシンガーの1人として注目を浴びた。
夫妻は60年代前半、全米チャートを飾った「Fool in Love」や「It's Gonna Work Out Fine」で商業的成功を収めた。
その後も、ターナーさんが生まれた小さな町を歌った「Nutbush City Limits」(1973年)などのヒット曲が誕生した。
しかし一方で、ターナーさんは前夫による肉体的、精神的な虐待による影響で苦しんだ。
ターナーさんの出生時の名前「アナ・メイ・ブロック」を、本人の知らないうちに「ティナ・ターナー」に変更したのも前夫だった。
ターナーさんは2018年の回顧録「My Love Story」で、2人の関係を通して受けたトラウマを振り返り、前夫とのセックスを「一種のレイプ」と例えた。
「彼は私の鼻を何度もサンドバッグとして扱ったので、歌っているときにはのどを流れる血の味がした」
前夫から逃れたターナーさんはキャリアを立て直し、80年代と90年代にポップスやロックの大スターとなった。
2013年にドイツの音楽会社経営者エアヴィン・バッハさんと再婚した。
2人はスイスで暮らし、ターナーさんはスイス国籍を取得した。ターナーさんが腎不全と診断されると、バッハさんは自分の腎臓の片方を提供した。
2018年には長男のクレイグさんを自殺で亡くした。クレイグさんの父親は元バンドメイトのレイモンド・ヒルさん。
もう1人の息子のロニーさん(父親は前夫アイクさん)は2022年に亡くなっている。
2018年、ファッション誌マリー・クレール南アフリカとのインタビューで、ターナーさんは次のように語っている。
「私の人生は苦労だらけで大変だったと、大勢に思われているけど、私は素晴らしい旅だったと思っています。年を取れば取るほど、何が起こったかではなく、それにどう対応するのかが重要だと気づくので」