『古事記』は、『日本書紀』と並んで、日本神話および日本古代史に関する最も基礎的な資史料であり、この2つはしばしば「記紀」と総称され、神道では聖典視されてきました。では、両書は正確にはいつ書かれたのでしょうか。

まず『古事記』について見てみると、その成立年を知るうえで有力な手掛かりとなるのが、巻頭に置かれた編纂者・太安万侶による「序」です。それによると、『古事記』の編纂を最初に命じたのは天武天皇で、天皇は正しい歴史を世に伝え残すべく、稗田阿礼に「帝紀」と「旧辞」の誦習を命じました。「帝紀」も「旧辞」も伝存しないので詳細は不明ですが、天皇の系譜や神話・伝説・歌謡などを書き記した文献だろうとされています。

「誦習」については、テキストを声に出して読むことだとする説もあれば、暗誦のことだろうとする説もあります。いずれにせよ、すでにテキスト化されていた神話・伝説の類いを、記憶力がとびきり優れていたという稗田阿礼に改めて口でとなえさせて整理し、それをもとに体系的な史書を編纂しようとしたということでしょう。

序の続きによれば、この修史事業は天武天皇の崩御によって頓挫してしまうのですが、711年、天武天皇の姪にあたる元明天皇の命によって官人の太安万侶が編纂作業を再開し、翌年の正月にそれが完成したので、天皇に献上されました。つまり、序にもとづけば、『古事記』の成立は奈良時代の712年となります。

一方、『日本書紀』は「序」がありませんが、成立年が720年であることははっきりしていいます。奈良時代の正史『続日本紀』の同年五月二十一日条に、天武天皇皇子の舎人親王が勅を奉じて『日本書紀』を編んで元正天皇に奏上したことが明記されているからです。

それにしても、なぜほぼ同時代に『古事記』と『日本書紀』という似通った内容をもつ書物が編まれたのでしょうか。この問題については従来、『古事記』は国内向けのローカル系の史書として、『日本書紀』は国外向けのグローバル系の史書として編まれた、というふうに説明されてきました。

しかし、近年では『古事記』冒頭の「序」を、信憑性を高めるために後世に偽作されたものと考える説が注目され、712年という成立年を疑問視したり、本文部分を推古朝に編纂されたものの散逸したとみられてきた史書『天皇記』と関連づける説も出されています。

『続日本紀』の和銅五年条に『古事記』完成に関する記述がないことや、『古事記』本文の記述が推古天皇の代までで終わっていることは、こうした見方を裏づけているようにも思えます。

とはいえ、『古事記』の本文部分については、内容・用字などの点から、『日本書紀』に先行して8世紀初頭までに成立していたことは間違いないでしょう。『古事記』が日本神話や日本古代史を知るうえできわめて貴重な書物であることには変わりはないのです。

 

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古事記に秘められた聖地・神社の謎
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日本書紀に秘められた古社寺の謎
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悠久の舞台探訪 疫病を克服した古(いにしえ)の日本――神仏を畏れた真の理由とは?神道の第一人者が解説する、『日本書紀』から垣間見る、この国のり立ちと文化・歴史の真実。

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数多くの疫病に遭い克服してきた古(いにしえ)の日本――神仏を畏れた真の理由とは? 神道文化研究の第一人者が、『日本書紀』ゆかりの30の場所から、この国の成り立ちと文化・歴史の真実に迫ります。