2023年11月29日(水)

BBC News

2023年11月1日

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ファーガル・キーン、BBCニュース(エルサレム)

電波が届くところにいると、あるいは電話がかろうじて充電できていると、彼の電話は鳴る。

食事は、食べ物が見つかった時にとる。廃墟から廃墟へと移動し続ける。ガソリンが見つかる限り。

そして、マフムード・バッサム記者は、自分の妻と生後11カ月の子供のことも心配し続ける。空爆を避けるため、2人も移動し続けなくてはならないからだ。なので朝に家を出る時には、自分が帰宅する夜になっても2人が同じ場所にいるかどうか、わからない状態だ。

しかもそれは、夜になって自分が帰宅できた場合の話だ。道路が封鎖されていない、あるいは移動できないほど爆撃が激しくない、そういう場合の話だ。

パレスチナ自治区ガザ地区でマフムードさんは今、戦争に振り回されている。戦争がもたらすものに。そして、戦争が奪い去るものに。

マフムードさんは同胞の苦難を、誠実に記録し続けている。10月7日に今回の紛争が始まって以来、病院と避難民キャンプと爆撃現場の間を、行き来し続けてきた。訪れる爆撃現場は、どうしようもなく増え続けている。

BBCのガザ報道は、現地にいるBBCのラシュディ・アブ・アルーフ特派員たちに加え、マフムードさんたちフリーランス・ジャーナリストに助けられている。容赦ない連日の空爆にさらされる、現地の民間人の苦しみを伝え続けている。

つながらない電話を何時間もかけ続けて、ようやく通じた時、マフムードさんは自分が何を感じているか話してくれた。自分の仕事が、自分の感情にどう影響しているか。

「目の前で起きていることが本当につらくて、でもしっかり伝えなくてはと思う」一方で、「自分は時々カメラの後ろで、ただ立ち尽くして涙を流している」のだと。「そういう時、ただ黙っていることしか自分にはできない」。

私の知り合いの戦場ジャーナリストの多くは、容赦ない人間の苦しみを前にして、人間として深い無力感を感じている。助けが必要な人がこれだけいる時、いったいどうやって助ければいいのか? しかし、目の前の人たちに食べ物や応急手当を提供するため立ち止まっていたら、いったいどうやって記者としての自分の仕事ができるのか?

私たちは援助職員ではないし、医療従事者でもない。しかし、私たちは人間だ。

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このジレンマは、自分の地元で取材しているマフムードさんにとって、いっそう重たいものになる。

筆者のような外国からの特派員には、飛行機に乗って帰国できるという特権がある。戦争の記憶はついて回るかもしれないが、少なくとも自分の身の安全は確保できる。自分の大切な人たちの安全も同様だ。

ガザ地区はとても狭い。全面積は366平方キロに過ぎない。マフムードさんが戦争の現場で知り合いを見つけてしまう可能性は、十二分にあるのだ。

「私はジャーナリストで、自分が目にしていることを伝えるのが私の使命です」と、彼は私に話した。「けれども時には立ち止まって、現場の子供たちと一緒に座って、水をあげたり、何が必要なのか探って、その子たちに必要なものを提供したりする。そうしなくてならないんです」。

彼が撮影した素材映像が、私たちのコンピューターに連日届く。それを確認するたびにチーム全員、彼があまりに落ち着いていることに強く打たれる。

自分が撮影して話を聞いている取材相手はおそらく生まれて初めて、しかも想像を絶する最悪の状況で、報道カメラを前にしているのだろうと、彼はそのことを決して忘れない。

今回の戦争は、近年まれにみるほど、ジャーナリストにとって危険な現場となっている。すでに30人以上が殺された。国際NGO「ジャーナリスト保護委員会(CPJ)」は、ガザにいる記者たちはかつてないほどの犠牲を払っているとコメントした。

CPJの中東専門家、シェリフ・マンスール氏は、「ガザにいる記者にとって、非常に危険な事態だ」と話す。

「この3週間近くの間にガザで殺された記者の数は、イスラエル・パレスチナ紛争取材で過去21年以上の間に殺された人数より多い。多くのジャーナリストが同僚を失い、自宅を失い、そして安全な避難先も出口もない状況で避難を余儀なくされた」

ガザのような場所では、記者同士の結びつきは強い。それだけに、同僚を失う衝撃はどうしようもなく、骨身に染みる。

イギリスに住むヤラ・エイドさんは、ガザで育ったパレスチナ人の記者だ。今回の戦争の早い段階で殺された友人、イブラヒム・ラフィ記者を深く悼んでいる。

「イブラヒムは一番の親友でした。その彼がいなくなってしまった。パレスチナ人の記者だったけれども、ジャーナリストだけではなくて。21歳でした。私にとって弟でした。親友でした。夢を追いかける人でした」

「写真家で、人生を愛していた。誰よりも、いつもにこにこしている、そういう人でした。ほほ笑んでいない彼の顔を、見たことがない。いつでも、本当に大きくにっこり笑っていた」

「誰よりも私を応援してくれる友達だった。本当にたくさんの夢を抱いていて、ガザの美しさを全世界に見せる写真家にすごくなりたがっていた」

ガザで取材する記者たちは、自分だけでなく自分の家族も危険にさらされていることを知りながら、仕事に出かける。カタールが拠点の衛星放送局アルジャジーラのガザ支局長、ワエル・アル・ダフダオウ記者は空爆で妻と息子と娘、そして赤ちゃんの孫息子を失った。

しかし彼はその翌日、仕事を再開した。それが自分の責務だからと。

ここエルサレムからガザの様子をうかがっている私たちからすると、彼のような職務への献身はあまりにも見事だとしか言いようがない。

(追加取材: ハニーン・アブディーン、アリス・ドヤード、モーガン・ジショルト・ミナード、ジョン・ランディ)

(英語記事 Reporting on Gaza: 'Sometimes from behind the camera I just stand and cry'

提供元:https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-67281679


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