2023年12月4日(月)

BBC News

2023年11月8日

»著者プロフィール

ヨランド・ネル、BBCニュース(エルサレム)

10月7日。それは、イスラエルが持っていた無敵感と軍事力が打ち砕かれ、国民一人ひとりが感じていた安全が損なわれた日だった。

しかし初めは、それほど大変なことには思えなかった。

この日の朝、携帯電話にパレスチナ自治区ガザ地区からロケット弾が飛んでくるという「警報」が入った時、私たちはその襲撃の規模についてまったく分かっていなかった。私は同僚たちに、オフィスに向かうとメッセージを送った。同僚の中には、ユダヤ教の祝日で休みを取っている人もいた。

それからすぐに、私はテレビの中継で自分が語っている言葉の衝撃を、それを口にしている最中から、受け止めるのに苦労し始めた。

激しいミサイル攻撃の中、私はオフィスの防空シェルターを出たり入ったりすることになった。しかしこの空襲こそ、前例のない複雑な、長年にわたって計画されていた襲撃の目隠しだった。

ショッキングな映像が入ってきた。ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスの戦闘員が、境界のフェンスを切断し、バイクで通り抜ける様子。イスラエル南部にパラシュートで降下する様子。厳重警備の軍事基地に押し入る様子。そして、占領したキブツ(農業共同体)の庭で自分たちを撮影する様子。

それからの痛ましい数時間、イスラエルのテレビ局には、今ではすっかり有名となったノヴァ・ミュージック・フェスティバルの参加者たちからの電話が相次いだ。それぞれ銃撃者たちから隠れながら殺りくの様子を語った。スデロトの街では、武装したパレスチナ人部隊がいる様子の映像を、恐怖におののく住民たちが拡散した。

多くの人々が組織的かつ容赦なく殺され、この日はイスラエルの75年の歴史の中で最も多くの犠牲者が出た1日となった。ガザ地区に近いキブツで一家を皆殺しにする様子の映像も後から出てきた。最終的に、約1400人が殺害されたとみられている。

タイミングも重要だった。今回の襲撃は、ユダヤ教の贖罪(しょくざい)の日「ヨム・キプール」に始まった第4次中東戦争からほぼ50周年にあたる日に起こった。

イスラエルの一般市民を襲った痛みとショックは、あれから1カ月たった今でも鮮明だ。だが襲撃の翌日、10月8日にアシュケロンを訪れた私が目の当たりにしたのは、その最大限といえるものだった。

私たちがいるまさにその道沿いで、イスラエルの治安部隊が武装した人物たちと戦い続けていた。ロケット弾警報も鳴り続けており、病院では行方不明の子供を探す親たちが、涙を流したり、苦悶(くもん)で崩れ落ちたりしていた。

ある母親が苦悩に満ちた表情で、「ガザを破壊しろ」と叫んでいた。

この戦争の初期、イスラエルには復讐(ふくしゅう)への渇望と、敵を前にしての抑止力回復を望む声があった。しかし世論調査によると、人々の反応はそれ以降、複雑化している。ガザ地区への激しい砲撃や全面的な地上侵攻が、ハマスにさらわれた人質に与える影響への懸念が高まっているからだ。

これまでに約240人が人質になったと考えられている。そこにはイスラエル人も外国人も、兵士も民間人も、老いも若きも含まれている。人質解放を求める抗議デモや訴えは、日に日に激しくなっている。

ハダス・カルデロンさんは、ニル・オズでハマスの襲撃を生き延びた。しかし、この日を境にカルデロンさんの生活は、人質となった子供のエレズちゃん(12)とサハルちゃん(16)、元夫のオフェルさんの帰還を求める活動一色になった。同じく拉致された母親のカルメラ・ダンさんとめいのノヤさんは、遺体で発見された。

「母とめいの死を悲しむひまもありません。まだ生きている子供たちとその父親のために闘わなければならないので」と、ハダスさんはBBCに語った。ハダスさんはイスラエル政府に対し、人質の安全が確保されるまで軍事行動をやめるよう訴えている。

イスラエルは人質が解放されなければ停戦しないとしており、ガザ地区への爆撃を続けている

ハマスが運営するガザ地区の保健省は6日、イスラエルの爆撃始まって以降、1万人以上が殺されたと発表した。うち4000人以上が子供だとしている。

10月7日のショックをさらに大きくしたのは、中東最強とされるイスラエル軍とその名高い情報機関が、攻撃を検知できなかったという現実だった。政治指導者も含め、こうした機関の人々が長年抱いてきた思い込みの多くにも、重大な欠陥があることが判明した。

2005年にイスラエルがガザ地区から撤退し、2007年にハマスが同地区を完全に支配して以降、イスラエル当局はハマスと、ハマスの小規模な同盟相手で、やはりテロ組織に指定されている「イスラム聖戦」の脅威を制限しようとしていた。

国防の専門家らが、イスラエルのガザ地区戦略を「芝刈り」と呼ぶことが多くなった。つまり、武装勢力の能力は、イスラエル軍によって時折削減されるだけだと。そして、それは死者数として表れると。

2008年や2012年、2014年、そして2021年にも、大きな衝突は起きている。

しかし、昨年8月と今年5月にイスラム聖戦を標的とした短期間の攻撃を行った後、イスラエル軍は、ハマスが衝突に参加しないという誤った安心を得てしまった。従来の常識では、ハマスはエスカレーションを望んでいなかった。

<関連記事>

イスラエルはこの時、約1万8000人のガザ市民に就労許可を与えたほか、カタールにハマスの公務員給与の支払いを許可することで、相対的な静寂を確保したと考えられている。

だが、その評価は危険なほど誤っていたことが判明した。今となっては、ハマスが実際には攻撃の時を待ちながら、より長距離のロケット弾や無人偵察機などの優れた武器を手に入れ、地下トンネル網を改善していたことは明らかだ。

イスラエルの技術、特にガザの周囲に建設されたカメラやセンサー、そしてトンネルを防ぐ深いコンクリート基盤を備えた高コストのフェンスが、ハマスの脅威を封じ込めたという考えも間違いだったことが分かった。ハマスの戦闘員は、このフェンスの約30カ所からイスラエルの領土へ侵入したとみられている。

戦争がまだ続いている今、10月7日につながった過ちの全容を明らかにするのは時期尚早だ。

イスラエルはまだ喪に服している。犠牲者の中でも、焼かれたりばらばらにされたりした遺体はまだ身元が確認できていない。ガザ地区の戦場では、さらに多くの兵士が殺されている。

しかし、戦後に広範囲に及ぶ調査が行われる可能性は高そうだ。イスラエル政界を揺るがしたこの1年が過ぎれば、ベンヤミン・ネタニヤフ首相の役割についても疑問が出てくるだろう。

イスラエルが、ガザ地区のハマス解体と人質の解放という新たな戦争目的をどれだけ効果的に達成できるか、そしてイランとその代理人による脅威の増大にどれだけ対処できるかに、多くがかかっている。

イスラエル南部で起きた血なまぐさい事件から1カ月がたった今も、ニュースは絶えない。

(英語記事 Israel's pain still raw a month after Hamas attacks

提供元:https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-67353167


新着記事

»もっと見る