2024年10月10日(木)

古希バックパッカー海外放浪記

2024年7月28日

(2024.3.13~5.1 50日間 総費用23万8000円〈航空券含む〉)

職を求めてフィリピンに来た大卒女子

ドゥマゲッティのフェリーターミナル近くの海辺の遊歩道

 3月23日。ネグロス島の学園リゾート都市ドゥマゲッティのホステルで中国女子チャン・チーリン(仮名・26歳)と同室となった。チーリンは隣のベッドに寝起きしていた。フィリピンは乾季で猛暑、40度越えも珍しくない。古希ジジイは外出が億劫になりエアコンの効いた室内のベッドでゴロゴロ。ホステルに長逗留しているというチーリンは早朝にジョギングして、日中はベッドで本を読んだり音楽を聴いたりしている。

 そんなことから、しばしばチーリンとおしゃべりして時間を潰すことになった。彼女は西安出身。西安は近代的大都市だ。陝西省の省都で人口1300万人。旧名は“長安”、唐をはじめ、さまざまな王朝の都が置かれた古都。兵馬俑も近い観光都市。チーリンは上海の大学を卒業したが正規就職できず卒業後は上海で仕事を転々としてきた。

 マニラの中国系貿易会社の事務系の職を得たので、観光ビザで渡航してきたという。月給は人民元払い、手取り1万人民元(≒22万円)で借上げアパート付き。人民元は対ドルでも上昇基調なので、生活費をフィリピン・ペソに交換してもかなり手元に残る。中国語の貿易関係書類作成が主な仕事らしいが、悪くない待遇のようだ。労働許可証が下りるまで有給休暇扱いなので、マニラより自然環境の良い海岸リゾートのドゥマゲッティで過ごしているという。

フィリピン政府は中国人へのビザ発給を制限している?

 チーリンの知る限り、フィリピン政府は中国人の個人旅行観光ビザ発給はかなり制限しており、一時は申請しても90%は不可だったという。背景にはマニラを中心に中国人マフィアによる違法賭博があるようだ。筆者が2年前にマニラの繁華街のマビニ通りの老舗日本料理店で聞いた話では、中国系ヤクザがインターネット博打で荒稼ぎしており、当時のドゥテルテ大統領はたとえ外国人でも即刻死刑にすると宣言したと。

 ただし、投宿していたホステルにはその後連日数人の若い中国人観光客がチェックインしていたのでビザ発給条件を緩和したのかもしれない。

文化大革命が上海の銀行家一族の運命を変えた

 チーリンがなぜ西安ではなく、上海の大学を選んだのか不思議に思った。彼女は一人っ子であり、両親は当初地元の西安の大学進学を希望。ところが祖父母の強い希望で上海に進学したという。

 祖父の実家は上海の名家で両替や金貸しをする銀行を営んでいた。新婚の祖父母は上海の外灘の大きな邸宅に住んでいたが、共産党により邸宅は共同住宅とされ、さらに銀行は国有化で資産没収。そして文革では真っ先に陝西省の農村に“下放”された。(筆者注:文化大革命中に毛沢東の指令により、共産党員や都市の知識人階級が人民に学ぶという“学習目的”のために地方の農村に送られた)

 文化大革命の収束により祖父母は省都の西安に移動を許されチーリンの父親も長じて西安で就職した。ちなみに祖父母の食習慣に従いチーリン一家は家では上海料理を常食にしていた。

 祖父母の夢は老後を上海で暮らすことで、チーリンが大学卒業後上海で政府機関や大企業に就職すれば上海に生活拠点を移せると考えていたようだ。チーリンによると中国の戸籍制度は徐々に緩和されているが、いまだに地方から北京、上海など大都市への戸籍の移動は制限されているという。チーリンが上海で正規就業しようと卒業後も上海に残っていた背景には文革・下放という現代中国史に翻弄された祖父母の悲願があったのだ。

コネ・カネ目当ての若者共産党員、現代中国は特権階級支配社会

 親しくなってくると、チーリンは現在の中国社会への批判を口にした。いわく、親が共産党幹部の子女のネットワークである太子党が幅を利かせている。コネがなければ公務員になれない。
高校・大学の同期で共産党員になった人間が何人もいるが、所詮はコネ・カネ目当て。幹部にコネのない彼ら同期の下級共産党員らは、残念ながら下働きばかりさせられて愚痴をこぼしている。チーリンの批判は祖父母の怨念と自らの就職難体験から生まれたのであろう。


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