2024年8月31日(土)

BBC News

2024年8月31日

パリ・パラリンピックは競技2日目の30日、日本勢が計5個のメダルを獲得した。陸上男子で3個、競泳男子で2個だった。

唐沢が5000メートルで2大会連続メダル

陸上男子5000メートル(視覚障害T11)では唐沢剣也が、東京大会に続き2大会連続となる銀メダルを獲得した。

唐沢はスタート直後から先頭走者のすぐ後方で、ガイドランナーとともにレースを展開した。ハイペースで周回を重ね、終盤には前を行く選手との差を懸命に詰めたが、あと少し及ばず2位でフィニッシュした。タイムは14分51秒48で、アジア記録を更新した。

金メダルを勝ち取ったのは、ブラジルのジュリオセザール・アグリピノドスサントス。終始レースをリードし、14分48秒85の世界新記録を出した。銅メダルはブラジルのエウチン・ジャッキスが手にした。

パリ・パラリンピックの公式サイトなどによると、唐沢は10歳のとき網膜剥離のため失明。2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックで視覚に障害のある選手が活躍したことに触発され、競技を開始したという。

唐沢はレース直後のインタビューで、「金メダルを目標にしていたところで銀メダルということで、ちょっと残念な結果ではあったんですけれども、全力は出し切って最低限、自己ベストは更新できたので、そこはよかったと思います」と話した。

車いす400メートルでは佐藤と伊藤がメダル

陸上男子400メートル(車いすT52)では、佐藤友祈が銀メダル、日本選手最年長の61歳の伊藤智也が銅メダルを、それぞれ勝ち取った。

佐藤はこの種目で、東京大会の金メダルを含め、3大会連続のメダル獲得となった。伊藤は2012年ロンドン大会以来、3大会ぶりにメダルを手にした。

この日の決勝では、両選手とも前方でレースを引っ張った。だが中盤で世界記録保持者のベルギーのマキシム・カラバンが抜け出し、そのまま優勝した。

佐藤が所属するモリサワなどによると、佐藤は2010年に21歳で脊髄炎を発症し、下半身などにまひが残った。2年後のロンドン・パラリンピックで活躍する車いすアスリートの姿を偶然テレビで見て、心を動かされ、パラ陸上を始めたという。

パリ・パラリンピックの公式サイトによると、伊藤は34歳のとき多発性硬化症を発症して車いす生活となり、翌年に競技を開始した。パラリンピックでは、2008年の北京大会で金メダル2個、続くロンドン大会でもメダルを獲得。この日の銅は6個目のメダルとなった。

競技後のインタビューで、佐藤は「金メダルを獲得して、マキシム選手を打ち倒して(金メダルを)日本に持ち帰ると言っていたので、それがかなわなくて率直に悔しいです」と思いを述べた。そして、「次のパラリンピックでマキシム選手という壁をまた打ち倒すべく動き出せるということが、僕にとっていま救いになっています」と続けた。

伊藤は「うれしいです。走りは今ひとつでしたけれども、とりあえずメダルに届いたのはよかったなと思います」と話した。

競泳の鈴木が2日連続のメダル

競泳男子では、100メートル自由形(運動機能障害S4)で鈴木孝幸が銀メダルを手にした。

鈴木は50メートルの折り返しでは4位だったが、そこから追い上げ、1分21秒71のタイムで2位に入った。金メダルはイスラエルのアミオマル・ダダオン、銅メダルはメキシコのアンヘルデヘスス・カマチョラミレスが獲得した。

鈴木は29日の50メートル平泳ぎ(運動機能障害SB3)で金メダルを勝ち取っており、2日連続のメダル獲得となった。今大会を含め、出場したパラリンピック6大会における通算獲得メダルは12個に増えた。

レース後のインタビューで鈴木は、「ラスト25メートルとか20メートルくらいでちょっとバテてきてしまって、タイムがベストではなかったのは残念だったんですけど、しっかり2番を取れたので、そこはよかったのかなと思います」と振り返った。

そして、「まだ個人2種目があるし、リレーもありますので、ここから少し空くので、休養をしっかり取って次のレースに照準を合わせたいと思います」と話した。

富田は400メートル自由形で2大会連続メダル

約50分後にあった400メートル自由形(視覚障害S11)では、富田宇宙が銅メダルを獲得した。

富田は4番手でレースを進め、残り100メートル付近で順位を一つ上げて、4分32秒33のタイムでフィニッシュした。金メダルはチェコのダヴィド・クラトフヴィル、銀メダルはオランダのロヒール・ドルスマンが勝ち取った。

富田はパラリンピック初出場だった東京大会でも、この種目でメダル(銀)を手にした。この日の銅で、2大会連続のメダル獲得となった。

自身のサイトによると、富田は16歳のときに難病の網膜色素変性症が判明し、大学と社会人生活にかけて徐々に視力を失った。東京でのパラリンピック開催が決まったのをきっかけに競泳を始め、2015年に強化選手に選ばれると会社を辞め、競技に専念してきた。

富田はレース直後のインタビューで、「素晴らしい会場で多くの方の声援を受けながら泳ぐことができて、こういった結果で皆さんに恩返しができることを心から感謝しています」と述べた。

また、「目が見えなくなって障害者になって、苦労もたくさんしましたけど、自分が障害を負ったことにもありがとうといいたいです。障害があったからこそ、こういった場に立つ機会をいただけたので」と話した。

(英語関連記事 Paris Paralympics 2024 medal results

提供元:https://www.bbc.com/japanese/articles/c4gxvx1pxzro


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