ジェレミー・ボウエンBBC国際編集長
今年はイスラエルとパレスチナの人たちにとって、イスラエルが独立のために戦い勝った1948年以来、最も甚大な犠牲が出た年だ。そして今は、昨年10月7日にイスラム組織ハマスがイスラエルを攻撃して以来、特に危険な事態を迎えている。
レバノンを拠点にするイスラム教シーア派組織ヒズボラの通信ネットワークを攻撃することで、イスラエルは戦術的な勝利を確保した。まるでスリラー小説で読むような、奇想天外で派手な手段によって。
しかし、今回の事態はイスラエルに戦略上、深刻な失点を与える可能性もある。というのもレバノンの強力な民兵組織と政治運動に屈辱を与えたからといって、ヒズボラに対する抑止効果にはつながらないからだ。
しかも、ヒズボラの攻撃を食い止め、もう1年近く自宅に戻れずにいるイスラエル北部国境地帯のイスラエル人6万人超が帰宅できるようにするという、イスラエルの戦略的目標も、今回のことで実現に近づいたりはしない。
イスラエルは重要で大胆な武器を使った。どれも、目的を果たすという点に置いて明らかに非常に効果的だ。
しかし、中東で広く信用されているニュースレター「アル・モニター」によると、イスラエルは期待していた形では、通信機器を武器として使えなかったのだという。
そもそもは、ヒズボラが動揺している間に、イスラエルが壊滅的な攻撃でたたみかけるという計画だったのだそうだ。ニュースレターの報道によると、通信機器攻撃は、大々的な情勢激化の幕を切って落とすものになるはずだった。一大攻勢の一部として、あるいはレバノン南部侵攻の発端として。
しかし同じニュースレターによると、ヒズボラがポケベル型機器を怪しみ始めていたせいで、イスラエルは攻撃を前倒しするしかなかったのだという。このためイスラエルは、自分たちはヒズボラの通信ネットワークに侵入してヒズボラに屈辱を与えることができるのだと示してみせたものの、今回のことで中東地域が全面戦争からわずかにでも後退したことにはならない。むしろ、全面戦争へと近づいたことになる。
中東での事態激化を鎮められるかどうかは今や、一切がパレスチナ自治区ガザ地区にかかっている。
ガザでの戦争が続く限り、たとえレバノンでの紛争だろうが、紅海でのイエメン武装組織フーシ派の攻撃だろうが、イラクでの緊張悪化だろうが、なにひとつ事態が鎮静化することはない。
レバノンへのアメリカ特使アモス・ホックスティーン氏はもう何カ月も、懸命に働いてきた。外交で事態鎮静化を実現するため、レバノンと、間接的にヒズボラと、そしてイスラエルと、協議を重ねてきた。今回の通信機器攻撃についてイスラエルは、アメリカ政府に直前まで知らせなかったと言われているので、それもホックスティーン特使にとって助けにならない。
ガザ停戦は間もないというアメリカ政府の予測はまたしても、二つの不動な存在に直面しているようだ。
不動な存在の片方は、イスラム組織ハマスの指導者ヤヒヤ・シンワル氏だ。彼は、イスラエルが恒久的にガザ地区から出ていくことを望んでいるし、ガザに残るイスラエル人の人質と交換にパレスチナ人受刑者の大量釈放を求めている。
もう片方の不動な存在とは、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相だ。彼は、イスラエルがハマスに対して完全勝利を収めることができるし、そうするのだという立場からまったく動いていない。
ガザでの戦争が長引くほどネタニヤフ首相には得策なのだというのが、イスラエル国内での大方の意見だ。人質の家族や支援者たちは、人質の帰還実現のためにハマスと合意するよう、政府に圧力をかけ続けているのだが。
他方で、ネタニヤフ首相の連立政権を支える超右派のナショナリストたちは、ハマスと合意すれば連立を崩壊させると首相を脅している。
イスラエルと同盟諸国は、レバノンのヒズボラという仇敵に戦争を仕向けるのはまったく正当な自己防衛行為だと主張する。
しかし、ヒズボラ戦闘員と共に殺された、あるいは負傷した家族や、たまたまそこに居合わせた人たちのことなど気遣うことなく、イスラエルが今回の攻撃を実施したようだと、レバノンとその周辺では激怒と警戒が広がっている。
防犯カメラ映像では、ポケベル型機器の持ち主が混雑する市場で食品の買い物をする最中に、機器が爆発する様子が映っていた。レバノン報道によると、父親の機器が爆発した際、幼い娘も殺害されたのだという。
ヒズボラは今回の攻撃に動揺するだろうが、組織としてすぐに体勢を立て直し、ほかの通信手段を見つけるだろう。レバノンは小さい国だ。メッセージを手で運ぶのは簡単なことだ。
ヒズボラと、ヒズボラを支援するイランは現在、間違いなく手負いの状態だろう。イランの駐ベイルート大使は実際、今回の攻撃で負傷している。
しかしまたしても中東地域は、全面戦争の瀬戸際へと追い詰められた。
このようなことが続けば遅かれ早かれ、瀬戸際から崖の下へと転落してしまう。
(英語記事 Bowen: Tactical triumph for Israel, but Hezbollah won't be deterred)