1966年6月に静岡県で一家4人が殺害された事件で強盗殺人罪などで死刑が確定した袴田巌さん(88)の再審(やり直し裁判)で、静岡地方裁判所は9月26日、無罪判決を言い渡した。最高検察庁は10月8日、控訴しない方針を発表。静岡地検は9日、控訴する権利(上訴権)を放棄した。これによって事件発生から58年を経て、一度は死刑が確定した袴田さんを無罪とした静岡地裁の再審判決が確定した。
静岡地裁(國井恒志裁判長)は9月、「自白」した供述調書など、捜査機関による三つの証拠捏造(ねつぞう)が認められるとして、無罪を言い渡した。
これについて最高検は10月8日、畝本直美・検事総長による談話を発表。静岡地裁が証拠を「捏造と断じたことに強い不満を抱かざるを得ない」とし、判決は「その理由中に多くの問題を含む到底承服できないものであり、控訴して上級審の判断を仰ぐべき内容である」と思われるとしながらも、「袴田さんが、結果として相当な長期間にわたり法的地位が不安定な状況に置かれてきたことにも思いを致し、熟慮を重ねた結果、本判決につき検察が控訴し、その状況が継続することは相当ではないと」判断したことを明らかにした。
さらに最高検は、袴田さんが「結果として相当な長期間にわたり、その法的地位が不安定な状況に置かれてしまうこと」になった点について、「刑事司法の一翼を担う検察としても申し訳なく思っております」と述べ、「本件の再審請求手続がこのような長期間に及んだことなどにつき、所要の検証を行いたいと思っております」と結んだ。
地検が9日上訴権を放棄したことを受けて、静岡県警の津田隆好本部長は同日、「袴田さんが長きにわたって法的地位が不安定な状況に置かれてきたことについて申し訳なく思っている」とコメントした。証拠捏造についても、検事総長談話と同様の見解を示した。
控訴期限は10月10日だった。静岡地裁の再審無罪判決後、袴田さんの弁護団や支持者たちは、検察に控訴しないよう求めていた。
裁判所も謝罪
複数報道によると、静岡地裁が9月に再審無罪の判決を出した際、判決言い渡し後に國井裁判長は袴田さんの姉ひで子さん(91)に対して、「ものすごく時間がかかっていて、裁判所として本当に申し訳なく思っています」と謝罪した。
複数報道によると、閉廷後に弁護団と記者会見したひで子さんは、集まった支援者に感謝を繰り返した後、「裁判長が『主文 被告人は無罪』と言うのが神々しく聞こえました。私はそれを聞いて、感激するやら、うれしいやらで涙が止まらなかった。1時間ばかり涙があふれ出てきていました」と話した。
袴田さんは半世紀以上にわたり死刑囚として過ごした。国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによると、袴田さんは世界で最も長い期間、拘置された死刑囚だった。
9月26日の法廷に、袴田さんの姿はなかった。長年拘禁されていた影響で精神状態が悪化している袴田さんは、出廷を免除されていた。
日本で確定死刑囚が再審無罪となったのは、戦後5例目。
袴田さんは、1966年に勤めていた静岡県のみそ製造会社の専務とその妻、10代の子供2人を殺害したとして強盗殺人罪などに問われ、1968年に死刑判決を受けた。
弁護側は犯行着衣とされた5点の衣類に付着した血痕のDNA型が、袴田さんのものとは一致しないとする鑑定結果を提示。この信用性を認めた静岡地裁が2014年、再審開始と袴田さんの釈放を認めた。
静岡地裁は2014年のこの釈放決定で、「捜査機関が重要な証拠をねつ造した疑いがある」とした。しかし、検察が不服として即時抗告。東京高裁は2018年、再審決定を取り消した。
袴田さん側は上告し、最高裁は高裁に審理を差し戻した。2023年3月に東京高裁が再審開始を認め、計15回の審理を経て無罪が言い渡された。
袴田さんは2014年に静岡地裁の決定で釈放された後、姉ひで子さんに支えられながら暮らしている。
この事件は広く関心を集めてきた。静岡地裁の判決当日には地裁前に、約500人の傍聴希望者が列を作った。無罪判決を受けて、裁判所前に集まった支持者たちからは「万歳」と歓声が上がった。
争点は「血痕のついた衣類」
元プロボクサーの袴田さんは1966年当時、静岡県のみそ製造会社で働いていた。同社専務の自宅で火災があり、焼け跡から専務と妻、その子供2人の刺殺体が見つかった。捜査当局は袴田さんが一家4人を殺害して家に火をつけ、現金約20万円などを盗んだとして、強盗殺人罪などで逮捕・起訴した。
袴田さんは当初は無実を訴えていたが、取り調べを受けて自白した。後に袴田さんは、1日約12時間にわたって尋問されたり殴打されるなどし、自白を強要されたと話した。
1968年に殺人と放火の罪で有罪となり、死刑を言い渡された。
数十年にわたる法廷闘争は、みそタンクから見つかった赤い血痕のついた衣類を証拠として否定することで無罪判決に至った。この衣類は、事件発生から1年2カ月後、袴田さんの裁判が進められている途中で「発見」された。この衣類の証拠としての信ぴょう性を、弁護側は争い続けた。
静岡地裁は9月の再審判決で、捜査機関による「証拠には三つの捏造がある」と結論した。「自白」調書が肉体的・身体的苦痛を与えて得たものであるほか、犯行着衣とされた「5点の衣類」は捜査機関によって加工・隠匿されたものだと認定。検察と弁護側双方による実験結果や複数の専門家証言を踏まえて、衣類が発見されたタンク内で衣類を1年以上みそ漬けすれば「血痕は赤みを失う」と指摘した。
地裁は加えて、5点の衣類に含まれるズボンと同じ素材の切れ端が、袴田さんの実家から押収されたのも、「捜査機関によって捏造されたもの」とした。
2014年の時点で袴田さんの釈放を決定した静岡地裁の村山浩昭裁判長(当時)は、袴田さんは「捜査機関によってねつ造された疑いのある重要な証拠によって有罪とされ、極めて長期間、死刑の恐怖の下で身柄を拘束されてきた」と当時指摘。「無罪の蓋然性が認められるのに、このような過酷な状況に置かれてきたことは、これ以上の身柄拘束を正当化できなくさせる事情である」、「(袴田さんの)拘置をこれ以上継続することは、耐え難いほど正義に反する状況にあると言わざるを得ない」と結論していた。
袴田さんの弁護団や家族は、独房での何十年にもわたる拘禁生活には死刑執行の脅威が常につきまとい、袴田さんの精神状態に大きな打撃を与えたと話す。
主要7カ国で死刑を採用している国は、日本とアメリカのみ。日本では現在、死刑の執行方法として絞首刑のみが定められており、死刑囚には執行の数時間前に告知される。
(英語記事 World's longest-serving death row inmate acquitted in Japan)