2024年9月28日(土)

BBC News

2024年9月27日

イギリスの名優、デイム・マギー・スミスが27日、亡くなった。89歳だった。ロンドンの病院で家族に囲まれて安らかに息を引き取ったと、家族が発表した。

イギリス演劇界の大女優であると同時に、近年ではドラマ「ダウントン・アビー」や映画「ハリー・ポッター」シリーズで世界的に知られていた。

息子のトビー・スティーヴンズさんとクリス・ラーキンさんは声明で、「非常に悲しいことですが、デイム・マギー・スミスの死去を発表しなくてはなりません」と述べた。

「9月27日金曜日の早朝、病院で安らかに息を引き取りました。私生活をきわめて大事にする人で、友人や家族に囲まれて最期を迎えました。2人の息子と愛しい孫5人が残され、たぐいまれなる母親と祖母を失い、みな呆然(ぼうぜん)としています」

「この機会に私たちは、チェルシー・アンド・ウェストミンスター病院の素晴らしいスタッフが、母の最期の日々に絶え間なく優しく介護してくれたことを感謝します」

「皆さんの優しいメッセージや支援に感謝します」と息子たちは述べ、家族のプライバシーを尊重するよう求めた。

デイム・マギーは映画「ミス・ブロディの青春」と「カリフォルニア・スイート」で1970年と1979年にそれぞれ米アカデミー賞を受賞した。英アカデミー賞(BAFTA)は8回受賞している。

1990年に、「デイム」の称号をエリザベス女王から授けられた。

1934年12月28日に英東部エセックスで「マーガレット・ナタリー・スミス」として生まれたデイム・マギーは、1952年に舞台俳優として出発。1963年には、ナショナル・シアターで名優サー・ローレンス・オリヴィエ(後にオリヴィエ卿)の主役オセロを相手にデズデモーナを演じた。この舞台は2年後に映像化され、デイム・マギーはアカデミー賞候補になった。

1969年に映画「ミス・ブロディの青春」で型破りな教師を演じ、世界的に知られるようになり、米アカデミー賞主演女優賞を得た。共演したロバート・スティーヴンズさんとは結婚した。

スティーヴンズさんとは1975年に離婚し、翌年には劇作家ベヴァリー・クロスさんと再婚。「マクベス」のマクベス夫人や「リチャード3世」のエリザベス王妃など、古典の大役を舞台で演じ続けた。

1980年代には映画「眺めのいい部屋」などで世界的に注目されたほか、ロンドンやニューヨークで舞台「レティスとラヴェッジ」に出演。ブロードウェイではこれでトニー賞を得た。

その後も「ゴスフォード・パーク」、「ラヴェンダーの咲く庭で」、「マリーゴールド・ホテルで会いましょう」、「カルテット!人生のオペラハウス」、「天使にラブソングを」、「ミス・シェパードをお手本に」、「A German Life」など、数々の映像や舞台の作品に出演し続けた。

近年では映画「ハリー・ポッター」シリーズの教師、ミネルヴァ・マクゴナガルとして一気に若いファン層をつかんだほか、ドラマ「ダウントン・アビー」で一族を束ねる先代伯爵夫人ヴァイオレット・クローリーを演じて、さらに世界的な名声を高めた。

「ダウントン・アビー」で共演した俳優ヒュー・ボネヴィルさんは訃報を受けて、「ひとつの世代の、本当に伝説」だったとたたえ、「一度でもマギーと同じ場面に出たことがある人なら、彼女の目線がいかに鋭く、彼女のウィットがいかに鋭く、そしていかにとてつもない才能の持ち主だったか、同じように語ると思う」とBBCに話した。

デイム・マギーは、古典や現代劇、悲劇から喜劇、貴族や魔法使い、ホームレスの女性やナチス高官の秘書など、多岐にわたる役柄を限りなく多彩な表現力で演じた。その演技には無駄がなく、鋭く的確だった。劇場ではその空間と観客の息遣いを、時には沈黙をも自在に支配した。

どのような役も決して軽んじることなく、他のキャストが休憩中でも自分の台詞を口にしながらリハーサルの場を歩き回っていたという。

世界的に知られる大女優となったにもかかわらず、デイム・マギーは大げさに扱われることを嫌い、自分の業績についてはかつてただ単に、「私はただ学校に行って、ただ演技がしたくて、演技を始めて、今も演技しているだけ」とコメントしていた。

(英語記事 Actress Dame Maggie Smith dies at 89/Dame Maggie Smith obituary: A piercing presence on stage and screen

提供元:https://www.bbc.com/japanese/articles/cgq87yzn1jpo


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