
ラシュディ・アブアルーフ・ガザ特派員(イスタンブール)、アンドレ・ローデン=ポール(ロンドン)
パレスチナ・ガザ地区の住民らは、停戦が実施されると、通りに出て喜びを表現した。しかし、自宅のあった場所に戻り、破壊の厳しい現実を目の当たりにする人が増えるにつれ、その喜びは薄れている。
ガザ最大の難民キャンプがある北部の町ジャバリアでは、全域ががれきと化している。住民がインターネットに投稿した写真や動画から、その様子が見て取れる。
ジャバリアのアルファルージャ地区に戻ったドゥア・アルハリディさん(28)は、「私は娘2人と生き延びた。家のがれきの下から脱出した」とBBCニュースに話した。
そして、「このがれきの下に、夫、義母、義姉妹の遺体が10月9日から埋まったままになっている」、「遺体を取り出し、尊厳ある埋葬をすることだけを望んでいる」と続けた。
ハマスが運営する保健当局によると、かつてパレスチナ人25万人以上が住んでいたジャバリア難民キャンプは、今回の戦争でイスラエルの最大かつ最も暴力的な軍事作戦の場となった。約4000人が殺害されたという。
重量挙げのプロ選手で、パレスチナ代表として国際大会に出場してきたフセイン・アウダさんも、ジャバリアに戻った。家族10人を開戦直後に失ったという。
「今日起こった最高のことは、100日ぶりに家族の墓を訪れ、祈ることができたことだ」とアウダさんは投稿。併せて、3階建ての自宅と、所有するスポーツクラブの破壊を示す動画も公開し、こう述べた。
「私にとって誰より大切な人たちをここで失った。兄弟、息子たちだ。生計を立てるすべも失った。戦争は、私たちの中にある美しいものすべてを殺してしまった」
ロイター通信によると、南部の都市ハンユニスでは、通りで人々が歓声やかけ声を上げ、その合間を武器を持ったイスラム組織ハマスの戦闘員が車で走り抜けた。
市内の一部地域では、警察の制服を着たハマスの警官らが配置された。この警官たちは、イスラエルの攻撃を避けるため、何か月間も隠れていた。
もとはガザ市の住民で、いまは家族とともにハンユニスに避難しているアフメド・アブ・アイハムさん(40)は、ガザ市が「恐ろしい」状態になっているとロイター通信に話した。
専門家たちによると、ガザ地区内で最大の被害を受けたのはガザ市だという。市内では、人々がパレスチナ国旗を振ったり、携帯電話で状況を撮影したりしているのが見られた。
アイハムさんは、停戦で人命が救われるかもしれないが、祝っている場合ではないとした。そして、「私たちは深い痛みの中にいる。今は互いに抱き合って泣く時だ」と述べた。
一部の住民は、エジプトとの境界に近い南部の都市ラファへ向かっていた。
モハメド・スレイマンさんは、「停戦合意が発効したとのニュースを、喜びと幸せを感じながら受け取った」、「うまくいけば事態が好転し、私たちはラファに戻れるだろう。すべての避難者が無事に自分の家に戻れるよう願っている」とBBCアラビア語に話した。
ラファからは多くの人が避難した。イスラエルが、ガザ南部での作戦開始を前に。住民に避難を命じたからだった。
パレスチナ紙アルアヤムの記者ムハンマド・アルジャマルさんはラファで、自分が失ったものに思いをめぐらせていた。
「家は完全に破壊され、すべてががれきと化した」、「ニワトリ小屋も、実を分け合ったイチジクの木も、もはや過去のものだ」と、アルジャマル記者は話した。
停戦合意がいかにもろいものかは、19日にたちまち明らかになった。
停戦は予定から3時間遅れで実施されたが、その3時間の間にパレスチナ人19人が、イスラエルの言う「テロの標的」に対する攻撃で殺されたとされる。
同日午後には、イスラエル人の人質の女性3人がイスラエルに戻った。停戦の第1段階の6週間では、この3人を含む計33人の人質が解放されることになっている。
ガザ住民らは、停戦が再び崩れることを恐れている。