
第2次世界大戦でナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)があったポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所が解放され、27日で80年となった。ポール・カービー欧州デジタル編集長が現地から報告する。
その数は減ってはいるが、アウシュヴィッツを生き延びた人々の声は依然、力強い。
「私たちは人間性すべてを奪い取られた」。ビルケナウ絶滅収容所の悪名高い「死の門」のそばで演説した4人の中で最高齢のレオン・ワイントラウブさん(99)は、そう述べた。
27日、世界の指導者やヨーロッパの王族、ヒトラーによるヨーロッパのユダヤ人大虐殺の生存者56人がともに、強制収容所の解放80年の式典に臨んだ。
「私たちは道徳の喪失における犠牲者だった」とトヴァ・フリードマンさんは話した。当時5歳半の少女だった彼女は、母親の手にしがみつきながら、ナチスによる大虐殺の恐怖を目にしたと語った。
彼女は、労働収容所の隠れ場から、「私の小さな友だちがみんな、整列させられて死に追いやられ、その子たちの両親の悲痛な叫びが無視されるのを」見たと述べた。
歴史が発する警告は明らかだった。生存者は誰よりも不寛容の危険性を理解しており、反ユダヤ主義は炭鉱におけるカナリアだ――。
死の収容所の入り口を覆う巨大な白いテントの下で、ワイントラウブさんは、特に若者に向け、「異なる人々に対する不寛容と憤りのあらゆる表現に敏感になる」よう訴えた。
ナチスは1941~1945年、アウシュビッツ=ビルケナウで約110万人を殺害した。
うち約100万人がユダヤ人で、7万人はポーランド人捕虜、2万1千人が少数民族ロマ、1万5千人がソヴィエト連邦人捕虜だった。さらに、人数不明の同性愛者も殺された。
占領下のポーランドでは1942年、死の収容所が6カ所に建設された。その中で、アウシュビッツ=ビルケナウは圧倒的に大きかった。
この日、体験を語った生存者には、1944年のワルシャワ蜂起の時に拘束された、カトリック教徒のヤニナ・イワンスカさん(94)もいた。 彼女は、ナチスの 「死の天使」と呼ばれたヨーゼフ・メンゲレが、収容所に残っていたすべてのロマを、もう生体実験で必要ではなくなったとして、ビルケナウで死に追いやったことを振り返った。
マリアン・トゥルスキさん(98)は、死の収容所からは数人しか生き残らず、今ではそれもごくわずかになったと話した。 彼は、「あの大虐殺によって、自分が何を経験し、何を感じたのか、決して私たちに語ることのない」何百万人もの犠牲者らに思いを寄せた。
アウシュヴィッツ博物館のピョートル・ツィヴィンスキ館長は、生存者が減り続ける中で、何があったのかの記憶を守っていくよう訴えた。
「記憶は痛ましいが、人々を助け、導いてくれる(中略)。記憶がなければ、歴史も、経験も、基準となるものもなくなる」。収容者の服を象徴する青と白のしま模様のスカーフを着けた生存者が聴き入る中、館長はそう述べた。
「ホロコースト犠牲者を想起する国際デー」と世界中で制定されたこの日の合言葉は「記憶」だった。
ポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領は、六つの死の収容所(アウシュビッツ=ビルケナウ、トレブリンカ、ソビボル、ベウジェツ、マイダネク、ヘウムノ)の記憶を同国が守っていく決意を語った。
大統領は、ビルケナウの街から3キロメートルの場所にある強制収容所「アウシュヴィッツ1号」内の、収容者数千人が処刑された壁で花輪をささげ、「私たちは記憶の守護者だ」と述べた。
ナチスの死の収容所の入り口から遠く離れた米ニューヨークの国連では、アントニオ・グテーレス事務総長が「記憶をよみがえらせることは道徳的な行為であるだけでなく、行動に対する呼びかけでもある」とアピール。ホロコースト否定(ホロコーストはなかったという主張や、ユダヤ人犠牲者はもっと少なかったなどとする主張)が広がり、世界中で憎悪がかき立てられているとの警告も発した。
事務総長はまた、収容所の記憶を後世のために書き残したものの、惨状を目撃したことで生じた心の傷に耐えられなかったイタリア人生存者プリモ・レヴィさんについて言及。生存者エリー・ヴィーゼルさんがレヴィさんを、「アウシュヴィッツで40年後に死んだ」と表現したことに触れた。
旧ソ連軍がアウシュヴィッツを解放した日を記念する式典のため、この日ポーランド南部を訪れた人々の中には、イギリスのチャールズ国王、オランダのウィレム=アレクサンダー国王とマキシマ王妃、スペインのフェリペ国王とレティシア王妃、デンマークのフレデリック国王とメアリー王妃もいた。
チャールズ3世は、現役の英君主として初めてアウシュヴィッツを訪問。生存者4人の証言を聞きながら涙をぬぐう姿が見られた。
また、収容所を見学し、犠牲者をしのんで花をささげた。
国王に近い人々によると、国王にとっては深い意味のある訪問だったという。側近の一人は「奥深い個人的な巡礼」と表現した。
国王はこの数時間前には、「過去の悪」を記憶することが今も「重要な課題」だと述べた。
国王はまた、17年前に自らがクラクフに開設した、ユダヤ人コミュニティー・センターを訪問。クラクフのユダヤ人コミュニティーについて、ホロコーストの灰の中から「よみがえった」と述べた。そして、未来の世代のため、今よりもやさしさと思いやりのある世界を築くことが「私たち全員の神聖な仕事」だと話した。
ポーランド生まれのイギリス人生存者マーラ・トライビックさん(94)は、ベルゲン・ベルゼンの強制収容所で解放された。この日、アウシュヴィッツでの式典に参加した。
「私たちは収容所であったこと、殴打、憎しみを目の当たりにした」と彼女はBBCに話した。「そして、独裁者の下で(子どもたちが)教えられたことは、子どもたちだけでなく、周りのものすべてに大きな悪影響を及ぼす。だから私たちは本当にそれに警戒しなくてはならない」。
イギリスのポスト・ホロコースト問題担当特使で、国際ホロコースト記憶連盟の会長を務めるピクルス卿は、ホロコーストの遺産と歴史的真実が「わい曲」によって脅かされていると警告した。
ビルケナウのテントの中で生存者の話を聞いた彼は、生存者らが体験を語れるのはこの先そう長くないとし、「記憶が歴史へと移行するのを目の当たりにした」とBBCに話した。
「それはとても怖いことだ。私たちがポスト・ホロコースト(ホロコースト後)の世界にいるとは思わない」
8カ国で1000人を対象に実施され、その結果が先週発表された調査では、ホロコーストは再び起こりうるとの考えが広がっていることが示唆された。アメリカとイギリスで特にそうした懸念が大きかった。
追加取材:ローラ・ゴッツィ(ロンドン)
(英語記事 Survivors of Auschwitz deliver warning from history as memories die out)