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パレスチナ・ガザ地区のイスラム組織ハマスが拘束していた人質8人が30日、イスラエルとの停戦合意の一環として解放された。
ハマスはイスラエル人3人とタイ国籍の5人を赤十字に引き渡した。人質はその後、イスラエル軍に引き渡され、イスラエルに移動した。
これを受け、イスラエルは刑務所から110人のパレスチナ人受刑者を釈放した。これには終身刑に服していた32人と未成年者30人が含まれている。
イスラエルは、人質が引き渡される際の人質の扱いに反発し、パレスチナ人の釈放を遅らせた。
1月19日の停戦発効以来、ハマスからはこれで15人の人質が解放された。まだ82人が拘束されている。
30日に最初に解放されたイスラエル兵のアガム・バーガーさん(20)は、ガザ北部のジャバリアで、覆面をした武装勢力に連れられてがれきの中から登場した。
バーガーさんは壇上で証明書を受け取ると、武装したハマス戦闘員が民間人の群衆を押し戻すなか、赤十字に引き渡された。
バーガーさんは、2023年10月7日に誘拐された非武装の偵察部隊の女性兵7人のなかで、ガザに残っていた最後の1人だった。
テルアビブの「人質広場」では、大画面で見守っていた群衆が歓声を上げた。
10年前にバーガーさんと同じ部隊に所属していたヤヘル・オレンさんは、「彼女の顔を見て、家族の元に戻るのを見て、とても興奮している」とBBCに語った。
イスラエル軍が公開した写真には、バーガーさんが、18日に解放された同じ部隊の4人の若い女性と抱き合う姿が写っていた。
家族は声明で、「今、癒やしのプロセスを始めることができるが、すべての人質が帰還するまで回復は完了しない」と述べた。
その約2時間後、ガザ南部ハンユニスで、残りの7人が解放された。
解放されたのは、イスラエル人のアルベル・イェフドさん(29)、ガディ・モーゼスさん(80)、タイ出身の農業労働者ポンサック・サエンナさん、サティアン・スワンナカムさん、ワチャラ・スリアウンさん、バンナワット・シーサオさん、スラサック・ラムナオさん。
武装勢力に先導された人質たちは、歓声を上げて携帯電話で撮影する群衆の中を通り抜けて、車を並べて待機していた赤十字に引き渡された。
この引き渡しは、イスラエル襲撃を主導したハマス指導者、故ヤヒヤ・シンワル氏の自宅跡地の前で象徴的に行われた。シンワル氏の自宅は、イスラエル軍によって爆撃された。シンワル氏自身も昨年10月、南部ラファでイスラエル軍に殺害された。
引き渡しを取材したジャーナリストはBBCに対し、「多くの混乱と押し合いがあった」と語った。このジャーナリストによると、シンワル氏の名前やハマスへの賛辞が叫ばれていたという。
群衆の中にいた女性は、「ガザの男性たちとガザの抵抗を誇りに思っている」と述べた。
一方、テルアヴィヴでは、人々がイスラエルの旗や人質の写真を持ちながら、この様子を不安そうに見守った。
停戦の不安定さを示すように、イスラエルはハンユニスでの人質解放時の混乱が再発しないという保証を受けるまで、受刑者の釈放を一時停止した。
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、「衝撃的な光景」は「ハマスのテロ組織の信じられないほどの残虐性を示す追加の証拠だ」と述べた。
首相府はその後、仲介者から「今後解放される人質の安全な退出が保証される」という約束を受け取ったと発表した。
停戦合意の下でイスラエルとハマスが約束した繊細で複雑な相互の措置は、今回も含め、たびたび遅延が生じている。
イスラエルは先に、25日の人質解放の際にアルベル・イェフドさんが含まれていなかったとして、数十万人の避難民がガザ北部に戻るのを2日間遅らせた。
ハマスは2023年10月7日にイスラエルを攻撃し、約1200人を殺害、251人を人質として連れ去った。この攻撃はガザを荒廃させた戦争を引き起こした。
ハマスが運営するガザの保健省によると、イスラエルの15カ月にわたる軍事攻勢で4万7460人のパレスチナ人が殺された。
30日までに、290人のパレスチナ人受刑者が釈放されている。爆破やその他の攻撃で長期刑を受けた者から、罪状なしで拘束されていた未成年者までさまざまだ。
ほとんどは占領下のヨルダン川西岸地区や東エルサレム、ガザに戻ったが、最も重い罪で収監されていた約70人は他国に追放されている。