
ファイサル・イスラムBBC経済編集長
この7日間は、完全な混乱の事態などでは決してなかった――。ドナルド・トランプ米大統領と側近らは、どうにかしてそう説明しようと、涙ぐましい努力を夜通し続けていた。
この主張によると、トランプ氏は4次元チェスゲームで、中国に王手をかけたことになる。確かに、中国経済はアメリカという最大の市場で懲罰的な関税をかけられ、大打撃を受けている。トランプ氏は中国以外の国に対し、態度を和らげる姿勢も示したものの、それでもアメリカとして1930年代以来となる、巨大な保護主義的関税障壁を築いたことに変わりない。
世界各国には、一律10%の関税がかけられている。対米貿易で、輸出が輸入を下回っていても関係ない。明らかに巨額の貿易赤字を抱えている欧州連合(EU)も、イギリスも、まったく同じ扱いだ。
次に何が起こるのか、だれもが不安な思いでじっとしている。イギリスにとっては、対米輸出品で2番目に規模が大きい「医薬品」にも関税をかけられるのかが、大きな関心事の一つだ。
物流が混乱する可能性もある。中国製品を積んだ貨物船がアメリカの港に入るたび、数百万ドルの港湾税が課されるという、あまり知られていない問題が背景にある。この対象は、世界の商船の半数以上だ。
トランプ氏が関税の上乗せを90日間停止すると表明したとはいえ、国際貿易ルートの変更という煩雑な作業を迫られる企業にとっては、不確定要素があまりに多い。
中国への影響
目下の最大の問題は、世界の2大経済大国が、発情した雄シカのように対立していることだ。
米中両国は、世界全体の貿易の計約3%を占める。その2国間のビジネスに、とんでもなく高率の関税が大打撃を加えている。世界経済の主要道路が閉鎖されている状況なのだ。
それによる具体的で目に見える影響は、すぐに現実のものとして現れるだろう。中国で工場が次々と閉鎖され、労働者らは仕事を求めて工場から工場へ渡り歩くことになる。
自然災害が都市を完全に破壊した時のように、国内総生産(GDP)が大幅に減少し、中国政府は景気刺激策を打ち出す必要性に直面するだろう。痛みを伴うが、コストとしてはどうにかなる範囲だ。ただし、永遠にそのコストを負担し続けるわけにもいかない。
一方のアメリカでは、消費者物価が高騰するだろう。トランプ氏は国内企業に、値上げを控えるよう指示するかもしれないが、影響はすぐに現れる。
理屈の上では、これは他国での展開とは対照的だ。隣国カナダやヨーロッパでは、中国由来の値上げは起きないばかりか、値下げが発生するかもしれない。
貿易戦争から通貨戦争へ
今回ほどの大規模な貿易戦争の影響は、モノの流れにとどまらない。通貨戦争へと発展する可能性も十分ある。
貿易の混乱は金融市場(特に米国債市場)に波及している。株価はすでに打撃を受けている。
実のところ、この紛争ではゲーム理論にとって非常に貴重な事実が明らかになった。「興奮状態」にあると大統領が評した債券市場をトランプ政権が心配したことで、政権の弱点がどこなのかがはっきりしたのだ。
米国債はアジアで取引が続く中、実効利回りが5%まで上昇した。
この種の借り入れは本来、これほど不安定に動くべきではない。
このようなことが前回起きたのは、新型コロナウイルスの世界的大流行の初期、金融が脆弱(ぜいじゃく)化した「ダッシュ・フォー・キャッシュ」の時だった。2020年3月当時、世界は生きるか死ぬかに集中していた。この時の危機は、一段と悪化する危険性があったが、緊急措置によって軽減された。
トランプ氏が今回引き下がったのは事実上、一種の政策的緊急措置だったと言える。
アジアで米国債が急速に売られた背景には、中国政府の意向があったのだろうか? おそらく違うだろう。しかし、9日の事態は、トランプ氏の弱点を浮き彫りにしたのだった。
中国は世界2位の米国債保有国だ。もし中国が米国債をすべて手放せば、アメリカは壊滅的な打撃を受ける。だが、そのような行動は経済的な「相互確証破壊」の一種で、中国の損失も膨大になるだろう。
それより重要なのは、債券市場の動きが、市場がいかにトランプ氏の関税政策に懐疑的かをあからさまに示したことだ。
アメリカの中央銀行に当たる連邦準備制度理事会(FRB)は、債券市場を落ち着かせる力を多少は持っている。しかし現在、ジェローム・パウエル議長が救いの手を差し伸べる様子は見られない。
債券市場の懐疑的な見方は、台頭著しいスコット・ベッセント財務長官の心情と呼応している。ベッセント氏は、アメリカが中国に対抗するには味方が必要だとして、同盟関係にある国々と貿易協定を結ぶようトランプ氏に働きかけている。
アメリカはこれまで、本来は近い関係にあるそうした同盟各国を、詐欺師、盗人、略奪者などと呼んできた。それを考えれば、今回のことが最初から戦略だったはずはない。
これは重要なことだ。アメリカは中国との関係において、EU、イギリス、その他のG7各国を必要としている。一方で中国はおそらく、これらの国々が中立を保ち、中国の輸出品を買い続けることを必要としている。
世界各国は、トランプ氏のチームが、ペンギンしかいない島やアフリカの貧しい国々に関税をかけ、その理屈を説明するのに四苦八苦する姿を見てきた。大統領がわざと株式市場を暴落させているという主張を、トランプ氏本人が繰り返し拡散する様子も見てきた。さらに、関税率が発効後に変更されたことや、関税率の計算に使われたあまりに不合理な計算式も、ずっと目の当たりにしてきた。
こうした経緯の中でトランプ氏の対応は、事態を動かす力を世界各国に返したに等しい。今のアメリカがどういう交渉相手なのか、今のアメリカと何を交渉しているのか、味方も敵も、よくわからないからだ。
今はいったん、誰もが歓迎できる静けさが訪れた。だがそれは、あっという間に終わるかもしれない。
(英語記事 Trump may have backtracked, but this is far from over)