2025年5月23日(金)

BBC News

2025年4月26日

教皇フランシスコの葬儀のため聖ペトロ広場に大群衆が集まった(26日午前、ヴァチカン市国)

21日に死去したキリスト教カトリック教会の教皇フランシスコ(88)の葬儀ミサが26日午前、ヴァチカン市国の聖ペトロ広場で執り行われた。多数の国・地域の元首や首脳、王族、宗教指導者のほか、聖職者や一般参列者が集まり、平和と清貧を重視し、しいたげられた人々の尊厳尊重を説き続けた教皇を追悼した。教皇庁によると、広場とその周辺やローマ市内の通りに集まった人数は、計約40万人という。

葬儀ミサの後、教皇の棺(ひつぎ)はヴァチカンを離れ、教皇の生前の希望通り、ローマ市内のサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に運ばれ、同日午後3時過ぎに非公開の儀式で埋葬された

歴代教皇はヴァチカン内に埋葬されるのがここ100年来のならわしだったが、教皇フランシスコはローマの玄関口「ローマ・テルミニ駅」に近い、にぎやかで庶民的な地区にあるこの大聖堂を、自分の墓所に選んでいた。教皇は2024年に出版した著書の中で、「私は教皇になる以前から、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に対して、献身の思いを大いに抱いていた」と述べていた。

教皇庁によると、葬儀ミサのために広場とその周りに約25万人が集まった。さらに、ヴァチカンからサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂へと教皇の棺が移動するローマ市内の沿道には、約15万人が並んだという。

教皇は「あらゆる人に寄り添い」

葬儀ミサは午前10時(日本時間同日午後5時)過ぎ、聖ペトロ大聖堂に安置されていた教皇フランシスコの棺が聖ペトロ広場に運ばれて始まった。枢機卿団を率いるジョヴァンニ・バティスタ・レ首席枢機卿(91)が司式した。

枢機卿は、カトリックのミサの式次第にのっとり、自分が罪深い人間であることを告白して神に慈悲と永遠の命を願う「回心」の祈りで、ミサを始めた。

復活したイエス・キリストが使徒たちに、信者を導く羊飼いとなるよう告げる新約聖書の一節が朗読されたほか、さまざまな形で教皇フランシスコを祝福し、その魂を天に迎え入れるよう神に願う祈りが繰り返された後、レ枢機卿は亡き教皇の旅路をたどる説教を行った。

「教皇フランシスコがこの地上から永遠へと移ってからのここ数日、あふれ出る親愛の思いが(各地から)寄せられた。それは、教皇フランシスコがいかに大勢の思いと心に触れたかを物語っている」と枢機卿は説教を切り出した。

枢機卿は続けて、教皇が「司牧のリーダーシップ」を示し、「多くの人々と直接接し、あらゆる人の近くに寄り添うことを望んだ」と述べた。そして、「とりわけ、苦難の中にある人たち、特に社会の隅に追いやられた、弱い立場の人たちに、制限なく自分をささげた」と教皇をしのんだ。

枢機卿は、「彼は人々の間の教皇だった。すべての人に、開いた心を向けていた。さらに彼は、時代の示すものに注意をはらっている教皇で、教会の中にどういった聖霊が目覚めているかに注意を払っている教皇でもあった」とも述べ、時代や社会の変化に積極的に取り組んだ教皇の業績に言及した。

枢機卿はまた、教皇が難民や移民のために尽力したことにも触れ、教皇としての初の外国訪問は、多くの移民が欧州へ入るための玄関口にしていたイタリア南部のランペドゥーザ島だったと指摘。「何千人もの人が海でおぼれ死ぬという、移民の悲劇」を象徴する島なだけに、教皇がそこにまず訪れたのは「大事なことだった」と述べた。さらに、教皇がその後も、ギリシャのレスボス島やメキシコとアメリカの国境地帯など、移民の問題で注目される土地を次々に訪れたと指摘した。

「壁でなく橋を」

近年は各地で続く戦争に直面し、平和を求めて教皇が「絶え間なく声を上げ続けた」と枢機卿は述べ、「戦争は人の死と家や病院や学校の破壊につながる。戦争によって世界は常に、前より悪くなる。戦争は常に全員にとって、苦痛に満ちた悲劇的な敗北だ」という教皇の言葉を引用した。

「壁でなく橋を築くように」と、教皇フランシスコは繰り返していたのだと、枢機卿は強調した。

聖職者や各地の宗教代表者、一般参列者のほか、アメリカのドナルド・トランプ大統領、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領、ウィリアム英皇太子、キア・スターマー英首相、エマニュエル・マクロン仏大統領、イタリアのジョルジャ・メローニ首相を含む各国・地域の首脳や王室関係者らも大勢参列した。

各国代表は、葬儀が始まるまで聖ペトロ大聖堂に安置されていた、棺に納められた教皇を弔問した。弔問を終えたゼレンスキー大統領が、参列者が20万人以上集まった広場に出ると、拍手が上がった。

ウクライナとアメリカの両政府によると、葬儀の前には大聖堂内でゼレンスキー大統領とトランプ大統領が会談した。

葬列ミサの後には、教皇の棺は「ポープ・モービル」として知られる専用車の改良版に載せられ、約6キロにわたりローマ市内を巡った後に、墓所となるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に運ばれた。

ヴァチカンによると、市内の沿道には約15万人が並び、教皇の棺を見送った。

沿道の人たちは、教皇の棺が通ると拍手で見送った。

教皇庁は現地時間午後3時すぎ、教皇の棺が埋葬されたと発表した。近親者のみが立ち会ったという。

カトリック教会はこの後、「ノヴェンディアーリ」と呼ばれる、9日間の祈りの服喪期間に入る。

(英語記事 Pope being buried after funeral brings together politicians, royalty and 400,000 mourners

提供元:https://www.bbc.com/japanese/articles/c5y6rw52gxdo


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