2025年7月16日(水)

BBC News

2025年7月3日

ダライ・ラマ14世は、90歳の誕生日を迎える週に声明を発表した(2日)

チベットの精神的指導者でインドに亡命中のダライ・ラマ14世(89)は2日、伝統的な生まれ変わりの制度で、自らの後継者が選ばれると発表した。チベット仏教で600年の歴史があるこの制度が、現在の最高指導者ダライ・ラマの死去に伴い終わるのかという憶測を打ち消した。中国政府はこれに反発し、後継者は中国国内で選ばれ、中国政府の承認が必要だとした。

この日、ダライ・ラマ14世が暮らすインド・ダラムサラで、信者らが待ち望んだビデオメッセージが公開された。

その中でダライ・ラマ14世は、「ダライ・ラマの制度が続くことを確約する」と表明。後継者となる「転生者を認定する権限」を持つのは、ダライ・ラマのガンデン・ポタン信託財団のみで、「他の誰もこの問題に干渉する権限はない」と言明。同財団が「これまでの伝統に従い、生まれ変わった者の捜索・認定を実行する必要がある」と述べた。

チベットの伝統では、ダライ・ラマは死後に生まれ変わり、「化身」として「再臨」する。

チベットは1950年に中国に併合された。現在のダライ・ラマはインドに亡命しており、後継問題では争いが生じている。

中国政府は今回の声明を受け入れず、後継者は中国国内で選ばれ、中国政府の承認が必要だとした。

中国は発表に反発

チベットの自治を求めるなかで暴力の行使に一貫して反対してきたことが評価され、1989年にノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世は、後継者について迷ったこともあった。数年前には、後継者は女の子かもしれないと言ったり、いないかもしれないと言ったりした。

一方で、ダライ・ラマの制度が亡命チベット人の間で広く支持されているなら、制度は続き、自らの関係組織が後継者を選ぶとも述べていた。

ダライ・ラマ14世は、後継者は中国国外の生まれでなければならないと、一貫して主張してきた。2日の声明でも同じ主張を繰り返し、中国政府の反発を招いた。

中国外務省の報道官は、ダライ・ラマ14世の生まれ変わりは中国の法律や規制、「宗教儀式や歴史的慣習」に従わなくてはならず、中国政府の承認が必要だと述べた。

ダライ・ラマ14世は、チベットの地位の問題では常に、中国国内で真の自治を実現するという「中道」を提唱してきた。だが中国政府は、ダライ・ラマ14世を分離主義者とみなしている。中国政府はまた、チベットでの人々の生活水準は中国の統治によって大きく向上したとし、人権や表現の自由の抑圧はないとしている。

信者らは声明を歓迎

ダライ・ラマ14世による「制度継続の確約」メッセージは、信者らに歓迎されている。

インド・ダラムサラでは、ビジネスマンのツァヤン・ギャツォ氏(40)が、ほとんどのチベット人にとって今回の発表は「大きな安心であり、幸福の瞬間」だとBBCに話した。

「転生は必ず起きると信じていた。しかし(ダライ・ラマ14世から)実際にそれを聞いて、気分が高揚している」

ダラムサラでは、チベットの太陰暦でダライ・ラマ14世の90歳の誕生日に当たる6月30日から祝賀行事が開かれており、正式な誕生日の今月6日に終了する。インドの閣僚や、長年の信奉者である米ハリウッド俳優リチャード・ギア氏ら7000人以上が出席する。

デリーから来たというギャツォ氏は、「誕生日に立ち会うことができて幸せだ」と話した。

英ロンドン大学の東洋・アフリカ研究学院のチベット研究者、ロバート・バーネット教授は、今回のダライ・ラマ14世のメッセージについて、中国への「間接的なシグナル」との見方をBBCに示した。

「彼はここで二つのことを示唆している。一つは、自分の転生者を決めるのは中国ではなく自分だということ。もう一つは、制度継続に関する今回の決定を、コミュニティーの意見を聞くという、ほとんど民主的ともいえるプロセスを経て出したということだ」

専門家らは、中国も独自にダライ・ラマを指名する見通しだとしている。

英ウェストミンスター大学のディビエシュ・アナンド教授(国際関係学)は、「中国は数カ月や数年してから、自分たちの影響下にある少年を次のダライ・ラマだと認定し、それを押し付けるだろう。もちろん、大多数のチベット人はそれを拒否するし、世界の大多数の人はそれをばかにするだろう。しかし、中国はリソースという意味で絶大な力を持っているので、あくまでそれを押し付けようとすることを覚えておく必要がある」と述べた。

チベット亡命政府議会のユードン・オーカツァン議員は、「チベット内のチベット人の心を支配しようと長年試みてきたにもかかわらず」、中国は「完全に失敗した」とBBCに話した。

同議員はまた、中国が選んだダライ・ラマは「チベット人だけでなく、世界も認めないだろう。中国には将来のダライ・ラマを見つける正当性がないからだ」と述べた。

14世は2歳で「生まれ変わり」に認定

ダライ・ラマ14世は、1935年7月6日、現在のチベットの境界線から少し外れた小さな村で生まれた。両親は農民で、彼をラモ・ドンドゥプと名づけた。

2歳の時、仏教組織の捜索隊から歴代13人のダライ・ラマの化身、つまり生まれ変わりと認められ、4歳になる前にダライ・ラマ14世となった。

15歳だった1950年、中国の共産党政権の軍隊がチベットに進軍。ダライ・ラマ14世は国家元首として全権を握った。

1951年5月、中国はチベット併合を正当化する17項目からなる協定を結んだ。

1959年3月10日、中国の将軍はダライ・ラマ14世を中国の舞踊団の公演に招待した。しかし、チベット人はダライ・ラマ14世を拉致するための、わなではないかと恐れ、多くの人々が彼を守ろうと集まり始めた。

これが、中国軍のチベット領内への駐留に対する抗議行動へと発展。中国軍は残忍な弾圧に乗り出し、数千人が死亡したとされる。

この後まもなく、ダライ・ラマ14世はインドへと亡命。以来、北部ダラムサラで他の亡命チベット人らと共に暮らしている。

(英語記事 Dalai Lama confirms he will have a successor after his deathWho is the Dalai Lama and why does he live in exile?

提供元:https://www.bbc.com/japanese/articles/cd6gnl0q70zo


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