「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているのだ。」
『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998年)の名セリフは、「職場のうつ」にもあてはまる。「職場のうつ」は、診察室で起きているのではない。職場で起きているのである。したがって、診察室で「治療」と称するごまかしを試みても、何の解決にもならない。
メンタルクリニックで行われていることは、選択的セロトニン再取り込み阻害剤(抗うつ薬)を出すか、休息・休職を勧めるか、癒しのカウンセリングを行うかであろう。
しかし、「職場のうつ」は、セロトニン・リセプターで起きていない。職場で起きている。したがって、リセプターにおいて再取り込みを阻害しても何の意味もない。
職場におけるうつの原因を取り除かなければ、解決にならない。薬が、職場の問題を取り除けるはずがない。
同じことは、休息・休職にもいえる。抗うつ薬が「職場のうつ」の原因を除去しないのと同じく、休息・休職もまた、原因を除去しない。
「職場のうつ」の原因は、職場にあるのだから、職場にもどれば、そこに原因が残っている。「職場のうつ」に抗うつ薬などごまかしにすぎないが、休息・休職も同じである。それらは、あくまで一時しのぎである。職場のストレスを除去しなければ、解決にならない。
カウンセリングの場合、カウンセラーたちは「傾聴して、支持して、共感せよ」と教育されていて、職域に関連した教育を十分には受けていない。「職場のうつ」については、職域の問題に特化した助言・指示・指導が必要だが、カウンセラーは具体策の提示については消極的である。
当事者からすれば、メンタルクリニックで出会う人々は、弥縫策しか講じない無力な存在にすぎない。皆、「どうする家康」状態で、手をこまねいているだけである。