MIHO MUSEUMの企画展「若冲ワンダーランド」で、伊藤若冲の大作「象と鯨図屏風」が初公開され、話題を呼んでいます。この屏風絵は昨年8月、北陸地方の旧家で発見されたもの。鑑定をされたMIHO MUSEUM館長で東京大学名誉教授の辻惟雄氏に、真筆と判断した理由や絵の見どころなどを伺いました。

象と鯨図屏風(左隻)撮影 山崎兼慈 MIHO MUSEUM所蔵
象と鯨図屏風(右隻)撮影 山崎兼慈 MIHO MUSEUM所蔵

――先生が鑑定をされるに至った経緯をお聞かせください。

辻館長:この屏風は、北陸の旧家に長い間眠っていたものです。明治の終わり頃には家にあったそうです。古美術に関心をもつこの家の夫人が若冲の落款に気づき、昨年の夏、北陸に住むM氏を通じて私の勤めるMIHO MUSEUMに鑑定を求めて来られたのです。

辻館長。背後の作品は 「蟹・牡丹図衝立」
一基の内「蟹図」 個人蔵

――この屏風絵を初めて目にされた時の印象と、真筆だと判断した理由を教えてください。

辻館長:一目見て、本物だとわかりました。筆の使い方や樹木・鯨・波頭などの独特の描写……すべての条件が揃っていました。屏風には「米斗翁(べいとおう)八十二歳画」の落款があり、「若冲居士」の朱肉が押されていました。「米斗翁」とは若冲が晩年名乗っていた号です。もちろん、署名は、弟子が似せて書く場合があるので決め手にはなりませんし、絵画自体も弟子が真似て描く場合があります。でも、若冲の絵は癖があるので似せるのは難しいのです。

――この屏風絵の見どころは?

辻館長:単純な分かりやすい絵なので、表情や姿形がこちらに伝えてくるものを素直に感じ取ればいいでしょう。この絵は若冲が80歳ぐらいのときに描いたものですが、まるで子どもが描いた絵のようです。たとえば、垂直に吹き出している潮。あんな吹き出し方は実際にはありませんが、勢いがあって面白いですね。波も奇妙な生き物のよう。若冲以外にあんな波を描く人はいません。象もぬいぐるみみたいで可愛らしい。耳の形も、座り方も実際にはありえない形ですが、とても面白い。「こうあってほしい」という思いをそのまま描いたのではないでしょうか。若冲は動物が好きだった。その動物をただスケッチするのではなく、親愛のまなざしで描いている。生涯、純粋な子ども心を失わなかった若冲らしい絵です。

――若冲は本物の象や鯨を見たことがあるのでしょうか?

辻館長:象は享保13(1728)年6月に、雌雄2頭がベトナムから長崎に上陸しました。雌は病死しましたが、雄は将軍吉宗の観覧に供すため、翌年3月に江戸に向かい、4月頃、京に着いたそうです。享保14年といえば、若冲は14歳の好奇心旺盛な年齢。沿道の群集に混じって見た可能性は大いにあると思います。鯨については、当時、紀州で捕鯨が盛んでした。また、当時、大坂で行われていた見世物にも鯨が出ていたという記録があります。ことによるとそれらを見たかもしれません。

――若冲はこの屏風絵をだれかに依頼されて描いたのでしょうか?だとすれば、どんな人が依頼したのでしょうか?

辻館長:祇園祭の宵山に、旧家が祭りの見物客に屏風をお披露目する風習があるのですが、この絵はそういう場所で、大勢の人に見てもらうような絵です。そういう場所には奇抜な絵のほうが向いているのです。資料が残っていないので、あくまで推測ですが、財のある商家が大勢の人に見せるために注文したのかもしれませんね。

――数十年前まで若冲は知る人ぞ知る異端の画家でしたが、1974年に先生が『若冲』(東京美術出版社)を著されたことで注目を浴び、2000年に京都国立博物館で開催された「没後200年」の展覧会をきっかけに爆発的なブームが起きました。若冲人気が高まった理由は何でしょうか?

「鸚鵡図」 
和歌山県・草堂禅寺蔵
「雨龍図」個人蔵

辻館長:30数年前は一般の人の“絵を見る目”が遅れていたんですね。正統派の絵だけに関心があった。今は、若冲の絵のような不思議な美しさが理解されるようになった。若い人の目が、若冲に近寄ってきたといえるでしょう。子どものような純粋な心で、不思議な視点で描いた若冲の画風が、現代人にアピールしているのかもしれませんね。今回の展覧会には、水墨で描かれた「象と鯨図屏風」のほか、色鮮やかな作品も多数出展されています。若冲が創り上げたワンダーランドでしばし遊んでみられてはいかがでしょう。

聞き手:辻一子

若冲ワンダーランド(~2009/12/13)
滋賀県甲賀市・MIHO MUSEUM(琵琶湖線石山駅からバス)
〈問〉0748(82)3411
http://www.miho.or.jp/japanese/index.htm

※「今月の旅指南」は月刊「ひととき」に掲載されていますが、この記事はWEB限定です。