2015年11月8日にミャンマー(ビルマ)で行われた総選挙では、アウンサンスーチー(1945-)率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝を収め、テインセイン大統領の与党・連邦連帯発展党(USDP)は大敗を喫した。

総選挙を控え、ヤンゴンで有権者に投票を訴えかけるアウンサンスーチー氏(Getty Images)

アウンサンスーチーが勝利収めた総選挙 

 秘密投票と公正な開票が保証され、結果が無視されることのない、民主国家では「あたりまえ」の選挙が、ミャンマーでは実に1960年以来55年ぶりのできごとだった。長い間、この国では軍が政権の中心に居座ったため、選挙といっても形だけの信任投票か、たとえ複数政党制で実施されても政府が結果を無視したり(1990年総選挙)、はじめから有力政党の参加を封じ込めたりする不完全なものだった(2010年総選挙)。

 今回、有権者は圧倒的な大差でNLDに勝利をもたらし、アウンサンスーチーを指導者とする民主化推進への強い意思表示を行った。NLDは民族代表院(上院)の80%、人民代表院(下院)の77%の議席を獲得、両院には軍人議員の枠がそれぞれ25%ずつ存在するが、それを含めても上院の60%、下院の58%の議席を占有するに至った。これでNLDは大統領を選出する決定権を獲得し、本年3月の政権交代に向けた準備を開始した。

 NLDの当選者の大半は無名の新人である。そのことからわかるように、国民は各選挙区のNLD候補者に魅力を感じて投票したというより、アウンサンスーチーに投票したのだといえる。彼女への期待と支持は軍政下の1990年代から一貫しており、そこに陰りはいっさいみられない。

アウンサンスーチーに対する4つの誤解

 日本でもこの間、アウンサンスーチーに関するニュースが増え、概ね正確な報道がなされてきた。しかし、政治指導者としての彼女の能力が未知数だとして疑問を投げかけ、国民が過去の軍政による抑圧に執着し、その反動として「感情的にアウンサンスーチーを選んだ」といった書き方も一部に見られた。政治指導者としての能力が未知数なのは、これまで国民の圧倒的支持があったにもかかわらず、一度も政権の座に就くことが許されなかったのだから当然である。誰でも「初めて」を経験しないとその道に入って能力を磨くことはできない。また、「感情的にアウンサンスーチーを選んだ」という指摘も、長期に及んだ軍政への嫌悪感が強かった国民の多くからすれば、自然な反応であったといえよう。

 アウンサンスーチーに対する報道が多様化することに問題はない。しかし、もし誤解に基づく報道や分析があるとすれば、ビルマ近現代史を専門とする筆者として、その問題性を指摘しないわけにはいかない。ここでは一部メディアを含め、日本人ビジネスマンや政府関係者との会話を通じて、筆者がよく耳にするアウンサンスーチーに対する誤解を4つに絞って紹介し、その背景を探ることにしたい。

誤解①アウンサンスーチーは頑固?

 彼女が頑固だという評価は1990年代からあった。いわく「軍政に反対するあまり、自国の経済発展をないがしろにし、軍政と協力してミャンマーの経済開発に協力する姿勢を見せず、徒(いたずら)に民主主義の理想論ばかりを説く---」。軍政への彼女の一貫した抵抗姿勢が、逆にこのような受け止め方を一部で生じさせたのであろう。しかし、アウンサンスーチーはひとつのイデオロギーにこだわるような頑固者ではない。

 彼女の思想の最も特徴的な部分を言い表せば、それは「常に変化する現実を客観的に見つめ、そこから正しい目的を導き出し、その目的に相応しい正しい手段だけを用いて行動する」ということに尽きる。詳しくは拙著『アウンサンスーチーのビルマ』(岩波書店、2015年)にわかりやすく示してあるのでそれを読んでほしいが、彼女にとって目指すべき目的とは、常に変化する現実の中で優先順位がつけられ、変わり得るものとみなされ、より大切な事は、目的達成のための手段が正しいかどうかであるとされる。

 2013年4月に彼女が日本を公式訪問した際に、東京大学(本郷)でおこなわれた講演で、「たとえ成功できなくても、正しい手段を用いたのであれば自信を持ちなさい」と語っているが、それはまさにこのことを指摘したものである。

 軍事政権下のミャンマーにおいて、彼女は民主主義の実現こそが「いま」この国が必要としている「正しい目的」であると判断した。その際、それに相応しい「正しい手段」として非暴力闘争を選択した。民主主義の確立を目的に設定する以上、民主主義と矛盾する暴力を手段として選択することは本質的に矛盾する。もし暴力を手段として採用すれば、たとえ軍政を倒せたとしても、新しく成立する政府はやはり「暴力で生まれた」と解釈され、反対勢力による新たな暴力で危機に陥り、それを再び暴力で抑圧しようとする「負の連鎖」につながると彼女は考えたのである。そこには、政治における「暴力の連鎖」に苦しみ続けてきたミャンマーにおいて、国民自らの努力によって「非暴力で政権を交代させる」事例を築き、彼らに自信を持たせたい彼女の戦略的判断も影響していた。

 彼女を頑固だと考える人々は、この「正しい手段」にこだわる彼女の姿勢を批判しているのかもしれない。しかし、「目的が正しければ、手段は(非合法でない限り)何を用いても良い」という考え方がもたらす負の側面を、私たちは様々に見せつけられてきたのではないか。手段の選択を間違えると、最初に設定した目的は(いくらそれが正しくても)達成できないという考え方は、私たちが忘れてしまった大切なポイントを衝いているように思われる。「平和実現のため」の「手段」として「核兵器を保持する」などは、その典型であろう。彼女がいう「正しい手段」へのこだわりを、「頑固」の一言で片づけてしまうことは安易に過ぎよう。

誤解②アウンサンスーチーは独裁者を目指している?

 この誤解は、彼女が選挙前に「私は大統領より上の存在になる」と公言し、一部のメディアがその発言を問題視したため生じたものである。確かにこの発言だけを見れば「危ない発言」に映る。しかし、発言が飛び出た文脈を考える必要がある。ミャンマーの有権者は選挙前、たとえNLDが圧勝しても、軍の特権を保障した憲法の規定のために、アウンサンスーチーが大統領に就任できないとすれば、NLDに投票する意味がどこまであるのかという不安を抱いていた。それを払拭し、有権者を元気づけるため、彼女はこのような発言をしたのである。

 憲法の資格条項による制限(=外国籍の子供や配偶者がいる者を正副大統領の資格から除外する規定)のために彼女は大統領に就任できない。である以上、NLD党首としての彼女に残された唯一の選択肢は、自らの意向に従う別の人物を大統領に据え、その人物に影響力を行使することだけである。その明白な事実を、「大統領より上の存在になる」という、ドラスティックな表現で語ったのだと解釈したほうが自然であろう。

誤解③アウンサンスーチーは日本を嫌っている?

 これも一部のメディアが書き、かつ日本人ビジネスマンからよく聞かされる「解釈」である。しかし、アウンサンスーチーは日本を前向きに評価しており、重要な国として認識していることは間違いない事実である。

 アウンサンスーチーが日本を嫌っていると主張する人々には、1988年から2011年まで23年間続いた軍事政権期に、日本政府と日本企業がもっぱら軍政側との交流を重視したため、彼女が日本に不快感を抱いているはずだという「思い込み」があるようだ。したがって、NLD政権が発足すれば日本が「仕返しをされるかもしれない」という恐怖心がどこかにあり、それが「日本嫌いのアウンサンスーチー」という見方を生みだしているように筆者には思われてならない。

 しかし、彼女は復讐に興味を示さない人間であるし、そもそもそういう行為を国民に対して厳しく諫めてきた人物である。彼女はまた、「民主主義は規律ある国民の上に花を咲かせる」と認識している。日本(および日本国民)はその点で見習うべき存在として高く評価されており、民主化運動にデビューした当初から、民衆への演説でもそのことを何度か指摘している(これについては伊野憲治編訳、『アウンサンスーチー演説集』、みすず書房、1996年を参照)。

 さらに、彼女が日本の官僚制を高く評価していることも付け加えておきたい。アウンサンスーチーは1回目の自宅軟禁(1989-95)から解放されたあと、民衆に向けた演説の中で、「日本の官僚は前例があれば必ずそれを実行する」ことをほめ、前例があろうがなかろうが動くことなく、軍人に命令されて初めて動くミャンマーの官僚(制)を批判した。私たちから見ればネガティヴな受け止め方をする「お役所の前例主義」だが、彼女から見れば「規律ある国民」がつくりあげた長所として評価されるのである。

 そのほか、日本ではどこでもゴミが落ちていなくてきれいに維持されていることも、それがミャンマーでは稀な光景だけに、彼女の称賛の的となっていることも知っておきたい。先述の来日の際も、筆者が出席した東京のNGO3団体との会合で、彼女はこのことに触れていた。

 彼女はまた、1980年代に2年間、英国のオクスフォード大学で日本語を学び、漢字を1000字以上習得して三島由紀夫の小説を日本語で読めるまでになり、その後、1985年から86年にかけて京都大学東南アジア研究センター(現東南アジア研究所)に訪問研究員として滞在している。研究テーマは大戦中の日本‐ビルマ関係史で、滞在中、父アウンサン将軍(1915-47)と戦時中に交流した旧日本軍関係者への聞き取りをおこなっている。こうした経歴も知っておくとよいだろう。

誤解④アウンサンスーチーを選んだ国民の民度は低い?

 さすがにメディアの中で「民度が低い」という表現を使った事例は見かけなかったが、総選挙後に筆者が参加した都内のある研究会で、「申し訳ない言い方だが」という断りつきで、「NLDが圧勝した今回の選挙結果を見ると、ミャンマーの国民はまだまだ民度が低いように思う」と正直に(?)語った日本の元外交官がいた。これは逆に言えば、現大統領テインセインを支える与党USDPを選べば「民度が高い」ということになるが、それではその根拠は何なのか。

 おそらくそれは、テインセイン大統領が2011年3月に就任してから4年半、国際社会も驚くような前向きの改革をやり遂げ、政治的にも経済的にもミャンマーを発展させる方向に進めたにもかかわらず、有権者がそうした事実を評価できる能力を持ち合わせず、「民主化」や「憲法改正」を訴えるアウンサンスーチーのカリスマ性に引きずられ、NLDに投票したのだという解釈ではないだろうか。

 日本政府は「オール・ジャパン」と称して、これまでテインセイン政権下のミャンマーに多角的かつ大量の援助を実施してきた。「日本が全力で支援してきたテインセイン政権がもたらした改革の果実を、ミャンマー国民が評価しないというのはどうかしている」という反発が、政府関係者やビジネスマンの一部にあり、それがこうした解釈を生みだしているように思われる。

 そのような見方はしかし、一番肝心な部分を見誤っている。有権者の多くはテインセイン政権4年半の改革の成果を評価基準にして投票したのではない。彼らは改革が始まる前に23年間も続いた軍事政権の「ネガティヴな実績」を重視し、それを合算して投票態度を決めたのである。なぜなら、テインセイン政権が軍政の名残を見せていたからであり、そのような政権に対する退場要求を突き付けたかったからである。換言すれば、国民は立法と行政の分野から軍に完全撤退してほしかったのである。

 有権者の多くはまた、政策判断ではなく、この国の指導者を選ぶ格好の機会として今回の総選挙を受け止めていた。旧軍政出身のテインセイン大統領の続投を選ぶのか、それともアウンサンスーチーを選ぶのか、彼らのもうひとつの投票基準は「ミャンマーの顔」を誰にするのが良いのかということにあったといってよい。

 その際、指導者の良し悪しは「人物の道徳性」によって判断された。もともと非暴力で闘い続けてきたアウンサンスーチーは、暴力で国家を統治してきた軍事政権よりも道徳的に優位に立っていたといえる。さらに、15年にも及んだ長期自宅軟禁から2010年11月に解放されたあと、今日に至るまで、彼女が公の場で軍政から受けた過去の抑圧に関し「恨み節」を語ったことが一度もなく、旧軍政関係者への復讐をほのめかしたこともない点でも、彼女は道徳的に優位にあった。有権者はこうした点を評価し、彼女とNLDを選んだのだと推測される。

 「道徳的規準で国の指導者を判断する」という考え方は、ミャンマーの王朝時代から続く人々の伝統的理解である。それを21世紀のいまに引き継いでいるミャンマー国民を、はたして日本人である私たちが「民度が低い」と言って見下す権利はあるのだろうか?

おわりに

 以上、アウンサンスーチーに関する4つの誤解について書き連ねた。私たち人間は、事実を知って誤解だということに気がつけば、それまでの認識を変えることができる柔軟な生き物である。それができない場合、誤解は偏見と化す。そして偏見は恐怖を生みだす原因となる。これもまた、アウンサンスーチーが著書『自由』(邦訳、集英社、1991年)の中で論じていることである。ここでとりあげたアウンサンスーチーに関する誤解は、放っておくと彼女に対する偏見にまで悪化しかねないものばかりである。そうならないことを切に祈りたい。

  
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