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特務機関長 許斐(このみ)氏利 - 風淅瀝(せきれき)として流水寒し
牧 久 著

目次 立ち読み

日本一の柔道家をめざして福岡から上京するが、嘉納治五郎に講道館を破門され、右翼学生活動家として2・26事件で北一輝のボディガードを務める。軍人・長勇と義兄弟の契りを結び、戦時下の上海・ハノイで100名の特務機関員を率いて地下活動に携わる。戦後は、銀座で一大歓楽郷「東京温泉」を開業、クレー射撃でメルボルン・オリンピックにも出場した、昭和の“怪物”がいま、歴史の闇から浮上する。

<書籍データ>
◇四六判上製、424頁 
◇定価:本体1,800円+税
◇2010年10月20日発売
◇ISBN: 978-4-86310-075-6

<著者プロフィール>

牧 久(まき・ひさし)
ジャーナリスト。1941年、大分県生れ。64年、早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業。同年、日本経済新聞社に入社。東京本社編集局社会部に配属。サイゴン・シンガポール特派員。名古屋支社報道部次長、東京本社社会部次長を経て、89年、東京・社会部長。その後、人事局長、取締役総務局長、常務労務・総務・製作担当。専務取締役、代表取締役副社長を経て2005年、テレビ大阪会長。07~09年、日本経済新聞社顧問。著書に『サイゴンの火焰樹――もうひとつのベトナム戦争』(小社刊)がある。

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<立ち読み>
佐野眞一が、里見甫の生涯を描いた『阿片王――満州の夜と霧』(新潮社)に、里見の周辺を取り巻く人物の一人として許斐氏利の名前が出てくる。
佐野は「児玉機関一のならず者と恐れられ、戦後“トルコ風呂”のはしりといわれた東京温泉を銀座につくった怪しげな男」と氏利を表現している。また、上海の里見の許には、「阿片という蜜に群がる毒蛾のように、いかがわしげな連中ばかりが集まってきた」として、許斐氏利、児玉誉士夫、笹川良一、坂田誠盛(「松機関」機関長)、吉田裕彦(「児玉機関」副機関長)の名前をあげ、「魑魅魍魎の顔ぶれは、さながら、戦前の上海から戦後日本に延びた地下人脈の様相を呈している」と書く。
また、西木正明は同じく里見甫の生涯をテーマとした『其の逝く処を知らず――阿片王・里見甫の生涯』(集英社)の中で「上海の乱暴者」許斐氏利を登場させている。「李鳴」を名乗っていた里見が上海のナイトクラブ「ブルーバード」の女性をめぐって、許斐とケンカ沙汰になり、里見を護る青幇(犯罪秘密結社)の若者と許斐の子分達が大乱闘寸前、「李鳴先生」が里見甫だと気づいた許斐が土下座して謝り、その後、里見の舎弟分になった、と書いている。
岩川隆は『新版・日本の地下人脈――政・財界を動かす陰の力』(光文社)の取材で、昭和一三年から一九年まで上海領事館の副領事を務め、情報収集のための「岩井機関」を率いていた岩井英一に会った。岩井はこんな話をしている。
「ざっくばらんに言いますとね、おおよそ、あの時代に“上海”を舞台に“なにか”をやっていた人間たちはみな、他人に言えない”部分“を持っていたんですよ。(略)同じ運命のもとに上海に流れてきたというような気持を抱いている。それだけに前歴を問うことはタブーなんですよ。どこの生まれでどこの学校を出たかぐらいは問わず語りに喋るでしょうが、かんじんのところになると、ぼかしてしまう。ほんとうのことは本人しか知らないのです」
岩井はそんな人物として、児玉誉士夫、里見甫、許斐氏利、吉田彦太郎(のち裕彦)らの名前をあげた。岩川隆は、許斐について「上海で、ゴロつき、浪人たちにも一目置かれた」と注釈をつけている。
岩井英一はこの時、昭和一八年に上海で起きた「水田光義殺害事件」の記憶を語っている。水田は児玉機関の依頼でタングステンやモリブデンの買い付けを行っていた商社「東光公司」の社長だった人物である。岩井は事件の翌日、上海領事館に届けられた報告書を読んだ。
「長椅子。前額部にピストル発射の痕、火薬のスス。灰皿に吸いかけの煙草が一本、水田は煙草を喫わない、抵抗のあともなく顔面の筋肉も引きつったあとはない、テーブルに訪問客と茶を飲んだ形跡……」
岩井は一瞬、やったのは「許斐かな」と思ったというのである。犯人は結局、わからなかった。岩井は「許斐かな」と思ったと語っただけで、その説明はしていない。だが、長年、上海にいて情報収集にあたり、裏社会の実情に精通した副領事が、許斐かと直感的に思ったということは、当時、氏利が表に出せない“なにか”に関与していたことを暗示している。
簡単だが具体的に許斐氏利の経歴に触れているのは、秦郁彦の『昭和史の軍人たち』(文藝春秋)ぐらいではないか。
彼はこの本で二六人の陸海軍の将官の人物評をしているが、この中の「長勇――昭和維新の侠客」で長と氏利の関係を「義兄弟の盃をかわし」「いつの頃からか、許斐は長を親分と立てるようになった」と書く。許斐は長に「同じ捨てる命なら大陸へ出て行け」と勧められ、中国大陸に渡る。上海派遣軍の参謀だった長に依頼された仕事が、「親日政権を樹立するので、その要人を国民党系秘密結社のテロから守れ」だったという。長がその後、北部仏印進駐部隊の参謀長に就任すると、ハノイにはせ参じ「許斐機関」を設置して裏面から軍の工作を助けた、と秦は記している。
戦後、氏利は一転して、戦災の跡が生々しく残る東京・銀座に、当時としては奇想天外な歓楽郷「東京温泉」を作り、社長となる。戦前・戦中の特務機関を率いた武闘派から、時代の最先端をいく“軟派”な世界に飛び込み、実業人に変身したのである。
唯一、硝煙の臭いは忘れられなかったらしい。射撃を趣味とし昭和三一年のメルボルン・オリンピックにクレー射撃の選手として出場、三三年には東京で開かれたアジア競技大会で優勝。日本クレー射撃協会の三代目会長にも収まっている。しかし、戦前戦中については、多くを語らず、昭和五五年、六八歳で多くのナゾを残したまま逝った。

(続きは本書でお読み下さい)

 

 


<目次>

 

序 章 「許斐機関」との遭遇 立ち読み
第1章 許斐氏利の終戦
第2章 博多の暴れん坊
第3章 テロとクーデターの時代
第4章 大化会と二・二六事件
第5章 中国大陸へ
第6章 上海許斐機関 
第7章 日本陸軍の阿片工作 
第8章 「大東亜戦争」とハノイ許斐機関 
第9章 大歓楽郷「東京温泉」 
終 章 風淅瀝として流水寒し

 

 


 

 

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