サイゴンの火焰樹

もうひとつのベトナム戦争

牧 久
サイゴンの火焰樹
サイゴンの火焰樹
もうひとつのベトナム戦争
牧 久

日経新聞の特派員として、ホー・チ・ミン作戦開始の直前にサイゴンに派遣された著者が戦火のなかで見聞した「知られざるベトナム戦争」。

定価:2,640円(税込み)
四六判上製、448頁
発売日:2009年 5月20日
ISBN:978-4-86310-047-3
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ホーチミン作戦」とは何だったのか――。 1973年パリ和平協定が交わされ、アメリカ軍はベトナム全土から一斉に撤退。ニクソン大統領は「ベトナム戦争の終戦」を宣言した。翌年、ニクソン大統領はウォーターゲート事件により辞任、後を継いだフォード大統領はケネディ政権が推し進めたアポロ計画による膨大な出費、オイルショック後の景気停滞やベトナム戦争に対する膨大な戦費と不況の関係などの国内問題に集中しなければならなかった。
こうした状況下、北ベトナム政府はアメリカの再介入はないと判断し、パリ和平協定に違反して南ベトナム軍に対し全面攻撃(ホー・チ・ミン作戦)を開始した。
著者が日経新聞の特派員としてサイゴンに派遣されるのは、75年3月、ホーチミン作戦がまさに始まろうとする時期だった。国外強制退去となる10月までの半年あまり、一時はひそかに遺書をしたためる戦火のなかで見聞した「知られざるベトナム戦争」を臨場感あふれる筆致で回想したのが本書である。
南北ベトナムの統一へ向けた北ベトナムのしたたかな政治力。強権的に南北統一を成し遂げてゆく北ベトナム、そしてそのなかで翻弄される南ベトナムの市民たち。「ベトコン」の女兵士と結婚した元日本兵の銀行員との出会い、ボートピープルとなった画家との30年後の邂逅――。本書は、炎えたつような真っ赤な花が繁ったサイゴンのひと夏へ捧げる30年後の挽歌である。

著者プロフィール
牧 久 (まき ひさし)

1941年大分県生まれ。1964年早稲田大学第一政治経済学部政治学科卒業。同年、日本経済新聞社に入社。東京本社編集局社会部に配属。サイゴン・シンガポール特派員。名古屋支社報道部次長、東京本社社会部次長を経て1989年東京・社会部長。その後人事局長、取締役総務局長、常務労務・総務・製作担当。専務取締役、代表取締役副社長を経て2005年テレビ大阪会長。2007年から日本経済新聞社顧問。

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プロローグ 三十年ぶりの再訪・再会

二〇〇五年四月三十日。雨季入りを前にしたホーチミン市(旧サイゴン)の空には、南国特有の抜けるようなブルーが広がっていた。前夜のスコールに洗われ、道端の火焔樹の燃えるような花の色が目にしみた。大通りには約五十メートルおきに、ベトナム社会主義共和国の国旗「金星紅旗」がそよ風に揺れ、あちこちの横断幕には、「自由と独立ほど尊いものはない」というホー・チ・ミン語録とバク・ホー(ホーおじさん)の肖像画が微笑む。道路という道路が、バイクと自転車で埋め尽くされ、街中が着飾った家族連れであふれていた。若者たちの表情は明るく、かつての悲惨な戦争の傷跡はどこにも感じられない。
「戦勝三十周年」の記念式典が開かれた市内中心部の旧大統領官邸(現統一会堂)の前庭は、この朝の式典に参加したのだろう、いくつもの勲章をぶら下げた正装の老軍人たちが、おたがいに記念写真を撮りあっていた。ロシアや中国、キューバなど外国からの招待者も目立つ。地方からやってきたと思われるアオザイ姿の女性や、老夫婦たち…お祝いムードがあふれていた。日が落ちると、サイゴン川に仕掛けられた花火が次々と打ち上げられ、街のすみずみまで、明々と照らし出す。大通りを埋め尽くした市民たちのどよめきが、空にこだました。道路わきに停めたバイクには家族全員だろうか、四人も五人も乗ったまま、花火を見上げている。街の喧騒は深夜まで絶えなかった。
三十年前、一九七五年のこの日朝、北ベトナム軍のソ連製戦車が、厳重に閉じられた正門を押し倒し、大統領官邸に突入した。ベランダで白旗が大きく振られ、屋上に赤、青の二色の地の真ん中に金星の入った南ベトナム民族解放戦線旗が高々と掲げられた。その瞬間、「ベトナム共和国」は消滅し、長かったベトナム戦争は終わった。あの夜、サイゴンの街はどの家もシャッターを堅く下ろし、人通りは絶え、不気味に静まり返っていた。崩壊した南ベトナム政府軍の反撃を警戒して、一晩中、照明弾が打ち上げられ、街は昼間のように明るかった。時折、パチパチパチと機銃掃射の音が、深夜の街にこだました――。
戦勝三十年を祝う花火の音と光に反応するように、私の記憶はゆっくりと、あの日々にタイムスリップしていった。(中略)
今から思えば、私がサイゴンに滞在した八ヶ月間は、長いベトナム戦争と、その後のベトナムの歴史が凝縮された「ホーチミン革命」の真っ只中にあった。バク・ホー(ホーおじさん)は陥落前のサイゴンでも人気は高かった。チュー大統領やベトコンは嫌いでも、民族民主革命の〝ホー思想〟に期待を寄せる文化人、宗教人、言論人や一般市民は多かった。そんな人たちにとって、目の前で強権的に押し進められる社会主義革命は「裏切られた革命」そのものだった。三十年余が経った今、ベトナムの歴史は、革命の勝者である共産党政権がその歴史を綴り、敗者の姿は舞台上には現れない。私の体験は、時間とともに消え去る泡のようなものかもしれない。
しかし、歴史的事実の中には、ある時間を経て初めて見えてくるものもある。私はトアン氏や落合さんに代って、あの苛酷な日々を、私の体験を通して書き残そうと思った。幸い、進行する革命のど真ん中から、書き送った原稿は、日経の縮刷版に残っている。捨てずに取ってあったメモ帳や取材ノートもある。再訪の旅を終え、タンソニュット空港に向かう小型バスは、三十年前、退去命令を受けたあの時と同じ道を、バイクの群を縫うように走った。沿道の火焔樹の並木には、燃えるような真っ赤な花が咲き乱れ、その一つ一つがベトナム戦争で犠牲になった三百万人にも及ぶ市民や兵士たち、南シナ海を漂流し続けた百五十万人ものベトナム人の魂のようにみえた。以下は「サイゴンの革命の記憶」を辿る私の旅である。(続き は本書でお読み下さい)

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