まずはバイオハッキングと医療の関係だ。医療行為として体に電子器具を埋め込む方法はすでに存在している。だが、医療行為はあくまで「失った機能の回復」が目的である。例えばてんかんやパーキンソン病に対して、脳に埋め込んだ電極から電気信号を送ることで症状を和らげたり、電気を利用した義手が治療に該当するだろう。その一方、バイオハッキングには「今以上の能力強化」という側面がある。
次に、能力強化を目指すバイオハッカーの主張は、「自分の体をいじる権利」とでも呼べるものだ。他人に迷惑をかけない以上、自分の体を自分でいじって何が悪いのか、ということである(細かく言えば、無許可の遺伝子治療薬で病気になった患者を治療するのに保険が適応され社会的な負担が増える、という議論も可能だが、その点はここでは割愛する)。これに類似した主張はいくつかある。
アメリカでは、自分で購入した家電製品や車を自分たちで修理しようとする「修理する権利(Right to Repair)」と呼ばれる考え方がある。例えばiPhoneは国土の広いアメリカにおいて、一旦修理を依頼すると返却まで長い時間がかかる。それなら自分で修理するか、少なくともAppleに修理マニュアルを公開させ、民間の修理業者がそれを利用することを求めるのだ。一方メーカーは技術情報の流出を防ぐ目的や、あるいは素人が行う修理が危険だから、という理由でそれらを拒否する。ただし、実際に修理する権利を求める運動も行われており、法整備に向けた動きもある。
「修理する権利」に加え、特にITの領域においては「いじる自由(Freedom to Tinker)」と呼ばれる概念もある。詳述は避けるが、分解など自由に機械をいじることが、技術のイノベーションを促進する、という考えだ。これも修理する権利と同じく企業からの反発もあるが、いずれにせよ、自由な実践を肯定する立場である。
もちろん、個人で修理した自動車が高速道路で事故を起こせば他者を巻き込む。また自分で責任を取るといっても、バイオハッキングによって遺伝子をいじったことが、社会的にどのような影響を及ぼすかを予想することは困難である。
バイオハッキングと「ポスト・ヒューマン」
これまで修理する権利やいじる自由といった、積極的な改善行為の論点についてみてきた。その上で、バイオハッカーたちは何を目指し、また何を問題としているのか。最後に考察を深めたい。
筆者の考えでは、バイオハッカー達は人間の可能性を「拡張」させることで、これまでの人間像の更新を意図しているように見受けられる。本連載で指摘したように、IT企業は脳に電極を埋め込むことでテレパシーにも似たような能力を獲得しようとしており、バイオハッカーたちの活動もまた、現在の治療的段階の先にある「強化された人間」を想定しているように思われる。
昨今は「ポスト・ヒューマン」あるいは「トランス・ヒューマン」といった言葉に代表されるように、人間の能力拡張や、新たな人間像に対する議論がある(厳密にはこの両者の言葉の意味はかなり異なるのだが、本稿では割愛する)。人間=ヒューマンの活動はある種の人間観=ヒューマニズムに支えられているが、手にICチップを埋め込むことをこれまで想定してこなかった。だがほんの一昔前まで同じヒューマンでも奴隷がいることは当然だったが、現在のヒューマニズムにおいては、奴隷はあってはならない存在だ。何が人間であるかをめぐる議論は常に変化している。
バイオハッカーを将来の進化したヒューマンの可能性に賭けている人々と想定すれば、彼らの主張は一定程度理解できる。しかし、本稿が述べてきた懸念材料がある他、何が「ヒューマン」なのかをめぐる議論は加熱している。人工知能に権利を認める動きや、ペットロボットを家族のように感じるユーザーが現れる中で、人間と人間でないものといった、二項対立で語られる人間像には限界が近いと、彼らは感じているのかもしれない。だとすればバイオハッカーの活動は我々に「人間とは何か?」と問いかけているようにも思われる。バイオハッキングの背景には、人間をめぐる大きな問いが横たわっているが、この点については今後も本連載を通して考えていきたい。