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不屈の春雷――十河信二とその時代(上)
牧 久 著

目次 立ち読み

 

東京帝大在学中に時の鉄道院総裁・後藤新平と出会い、鉄道院に入る。帝都復興院で関東大震災の復興事業に携わるなか、贈収賄の嫌疑をかけられる。無罪を勝ち取ったが鉄道省を去り、満鉄の理事として動乱の中国へ赴く。
十河が故郷・西条市に寄贈した膨大な資料をもとに、鉄道省贈賄事件の真相など埋もれた事実を丹念に掘り起こし、十河信二と彼の生きた時代を生き生きと描き出したノンフィクション。一代の風雲児、波乱の前半生――。

<書籍データ>
◇四六判上製、368ページ
◇定価:本体1,800円+税
◇2013年9月20日発売

<著者プロフィール>

牧 久(まき・ひさし)
ジャーナリスト。1941年大分県生れ。早稲田大学第一政治経済学部卒業。日経新聞副社長、テレビ大阪会長を経て現在、日本経済新聞社客員、日本交通協会会員。著書に『サイゴンの火焰樹――もうひとつのベトナム戦争』『特務機関長 許斐氏利――風淅瀝として流水寒し』『「安南王国」の夢――ベトナム独立を支援した日本人』(各小社刊)がある。

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<立ち読み>

私(筆者)は東海道新幹線が開通した昭和三十九年の四月、日本経済新聞社に入社し、東京編集局社会部に配属になった。先輩記者がオリンピック取材に集中する中、“トロッコ”の私は、本社遊軍に席を置き、先輩たちの手の回らない現場取材で都内を駆け回る毎日だった。新聞社では、記者(汽車)になれない半人前の記者を“トロッコ”と呼んでいた。新幹線開通の日は今でも鮮明に覚えている。
***
国鉄総裁として悪戦苦闘しながら東海道新幹線の実現に漕ぎ着けたのは、間違いなく十河信二であった。新幹線計画が世に出た時、「戦艦大和、万里の長城、ピラミッドとならぶ”世界三大バカ“に並ぶ愚挙」とも揶揄された。十河の信念と決断がなければ新幹線は生まれなかっただろう。しかし、昭和三十七年に起きた常磐線三河島事故で、百六十人もの犠牲者が出た。その責任追及の矢面に立たされ、追い打ちをかけるように新幹線建設費の大幅な不足が明るみに出る。新幹線開通を一年半後に控え、十河は、“石もて追われる如く”国鉄総裁の座を去らなければならなかった。
十河信二は国鉄総裁に就任した時、密かに遺書を認めた。「残された愛するものたちへ」と記されたその遺書には、新幹線建設にかけた彼の思いが込められている。

 

一、予既に古希を過ぐ 余生を君国に奉仕するを得ば 満足 之に過ぐるなし
一、不敏にして他に報恩の途を知らず 一意国鉄に殉ぜんことを念願する此以之
一、万一職場に於いてたほるるが如き機縁を得らするならば 是予にとりて至幸とす
一、広軌新東海道幹線は我民族にとり明治以来の夢なり 夢は生命なり この夢を実現せしむることは先人に対する予の責務ともいふべし
一、万一世にこの責務を完遂することを許さるならば 天恩の深きに感泣せんのみ

明治四十二年、鉄道院に入って以来五十五年。師と仰ぎ続けた初代総裁、後藤新平や彼を継いだ仙石貢、鉄道技師の島安次郎ら先人が思い描いた「広軌新東海道幹線」の夢がやっと実現したのである。「これでいいんだ、これでいいんだ」との声が口をついて出たのは、「先人たちへの責務」を果たし終えたことへの”満足感“だったのかも知れない。
十河は、国鉄総裁に七十一歳の高齢で就任した最初の記者会見で「鉄路を枕に討死の覚悟」と述べて世間の顰蹙を買う。平和主義と民主主義が正義の御旗になっていた昭和三十年代初めに、その大時代的表現は、「戦時中の亡霊が現れた」とマスコミの批判の嵐に晒される。十河は、心底から広軌新幹線の建設にその命を懸ける覚悟で総裁を引き受けたのであり、明治以来、屍累々たる広軌鉄道派の先人たちの無念な思いに対する”弔い合戦“と考えていた。彼にとっては大げさでもなんでもない本音そのものだったのである。
***
「カミナリ総裁」と呼ばれ、周囲から恐れられた十河だが、この開通式の一番列車のテープカットを自分の手でやりたいと、彼自身がだれよりも強く思い続けていた。「日経新聞」の国鉄担当記者だった大谷良雄は昭和三十七年五月三日の三河島事故発生から一か月ほどたった六月初め、東京・麴町にあった国鉄総裁公邸に夜回りする。遅れて中日新聞社の高橋久雄記者もやってきた。事故の責任をとって辞任すべきだとの声が政府、国会、国鉄内部からも強まっている最中である。
十河は夜十時すぎ、大谷らが待つ公邸へ帰ってきた。十河は事故発生以来「この一カ月、泣き通しです」「遺族の方々に申し訳ない」と言いながら、二人の前でポロポロと涙を流した。その後だった、と大谷は「交通ペン20周年記念号」に書いている。

〈僕は新幹線のテープを切りたいのだ。テープを切るまでやめたくないのだ〉

十河の本音が二人の記者の前で飛び出した。大谷の頭の中には「十河総裁涙ながらに留任の意向語る」という朝刊の見出しがよぎった。だが、公邸を出て考えてみれば、十河の口から留任の意向が出れば”十河無責任論”は一段と高まり、留任とは反対の方向に一挙に傾くかもしれない。公邸を出た二人を、後ろから同席していた秘書が追っかけてきた。多分、三坂健康だったのだろう。「お願いです。今日の会見の中身は絶対に書かないでください」と拝むように懇願した。いつも本音を率直に話す十河のファンでもあった大谷は秘書の気持ちに同情し、この特ダネを流してしまったという。高橋記者も同じだった。
十河には新幹線開業までにまだやり残したことがあった。大幅に不足することが確実な建設費の確保にメドをつけねば、新幹線建設が頓挫する恐れが残っている。三河島事故の責任を取って辞職するわけにはいかなかった。当初から織り込み済みだった新幹線の予算不足問題に、自ら決着を付けねばならないのだ。それをどんな形で表に出すか。
十河の二期目の任期切れ直前の昭和三十八年四月末、工事費の大幅不足が突然、マスコミに流れる。国会でも大騒ぎとなり、十河はその責任をとって同五月、「任期満了」を理由に、新幹線開業を待たずに退任に追い込まれた。その裏にはどんな事情が隠されていたのか。

 

(続きは本書でお読み下さい)

 

 


<目次>

 

序 章「明治以来の夢なり」 立ち読み
第1章 ストライキの青春
第2章「巌頭の感」の衝撃
第3章 恩師・後藤新平と鉄道
第4章 西条学舎と米国留学
第5章「種田・十河時代」と盟友たち
第6章 関東大震災と帝都復興院
第7章 復興局疑獄事件
第8章 「友情」の無罪判決
第9章 動乱・満州の風雲児

 

 

 

 

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