会話とは不思議なもので、話しているうちに自分でも意識していなかった自分の気持ちを発見することがある。例えば友人や恋人などと話しているうちにポロッと出た自分の発言に驚き、「私はこんなことを考えていたのか」と感じた経験がある読者も多いのではないだろうか。人は自分のことをすべて理解しているわけではない。むしろ自分のことがわからず、他者との会話や他者の視線を通すことで自分を理解することがある。

 この「意識していなかったが本当は興味があること」を、意識させることができるのが会話だ。哲学の始祖と呼ばれる古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、会話によって相手の哲学的洞察を深める手伝いをするが、その手法は「産婆術」と呼ばれていた。

会話がユーザーの興味を発掘する

 自分の興味を発掘する会話は、ビジネスにおいても重要な論点となっている。この点について考察を進めるためには、政治社会学者の堀内進之介とエンジニアの吉岡直樹の共著『AIアシスタントのコア・コンセプト―人工知能時代の意思決定プロセスデザイン』が非常に参考になる。同書において堀内・吉岡は、会話は「意欲前領域」、つまり自分が好きかどうかを判断する前の領域を刺激し、ユーザーの意欲喚起を可能にすると指摘する。そして、会話によって刺激された意欲後の状態とは、自分が何が好きかを理解しており、目でみて判断できる状態を指す。

 すでに気づいた読者もいるだろうが、購買データ等のパーソナルデータは企業に蓄積されており、AIの分析によってユーザーの趣味嗜好、そして「何が好きになる」かどうかは、ユーザー以上に企業が知っている。企業は(広告等によって)興味を刺激すればいいのだが、意欲前領域を刺激する方法は視覚メディアには難しい。例えばアマゾンの「おすすめ」機能は、自分の好みを理解している意欲後領域に対する情報を与えることしかできない。逆に言えば、意欲前領域の商品を提示しても、ユーザーはそれに反応できない。

 堀内・吉岡によれば、例えば糖尿病予備群のユーザーにスイーツを勧めれば、ユーザーはスイーツを手にする可能性は高い。しかし、そこに健康茶をオススメしたとしてもユーザーが手にする可能性は低い。しかし、会話の中でユーザーが健康を望んでいることを自覚させたり、健康茶の効用や予想に反して美味しいといった情報を伝えること、そしてそうした会話の連なりの中で、ユーザーが想像力を巡らせ健康茶を手に取る可能性は増える。ユーザーは健康になり、新たな選好領域を拡張することから、企業もユーザーも利益を得る(選好の多様化)。

 このことはまさに、意欲前領域を刺激することでユーザーを健康にするという意味で、「良い」サービスと言えるだろう。他にも特定ジャンルの書籍を読むユーザーの好みを分析することで意欲前領域を発掘し、ユーザーに適切な新しいジャンルの書籍をオススメすることもできる。

 こうしてユーザーの興味を開拓する試みは、会話(広い意味で聴覚)を利用することで達成可能だ。しかし、これは一歩間違えれば「洗脳」とまでは行かなくとも、企業の都合で不当にユーザーの興味を操作してしまう恐れがある。この点については注意が必要であり、技術の適用範囲や倫理規定などについて議論が必要である。

選択することは「苦痛」である

 上述の通り、我々は好きなものや欲しいものを目で見て理解している。しかし、モノで溢れた現代の消費社会において何が欲しいかを選択する事は、それなりに手間のかかる作業だ。そこで重要なのは、何が好きかを選ぶことより好きなものをオススメしてくれるサービスである。

 本連載でも指摘したように、「ネットフリックス」は大量の情報を分析することで、非常に精度の高いオススメ機能がウリだ。ネットフリックスに加入する多くのユーザーは、自分で好きな作品を検索するのではなく、ネットフリックスがオススメする作品を多く観ていることが知られている。