塚崎公義の新・日本経済入門

2017年9月4日

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塚崎公義 (つかさき きみよし)

久留米大学商学部教授

1981年、東京大学法学部卒業後、日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行。主に調査関連部署に勤務した後、2005年に銀行を退行して久留米大学へ。著書に『増補改訂 よくわかる日本経済入門』(朝日新書)、『老後破産しないためのお金の教科書』(東洋経済新報社)、『世界でいちばんやさしくて役立つ経済の教科書』(宝島社)、『なんだ、そうなのか! 経済入門』(日本経済新聞出版社)など多数。

 戦後の焼け野原から今まで、72年間の日本経済は、どのように推移して来たのでしょうか。知っているようで知らないことも多い戦後の日本経済史について、大きな流れを15分で振り返ってみましょう。

 戦後の日本経済は大きく3つの時期に分けられます。復興から高度成長へ(1945〜1973)、安定成長からバブルへ(1974〜1990頃)、バブル崩壊後の長期低迷期(1990頃〜)です。青年期、壮年期、老年期、といったイメージですね。

(grandeduc/iStock)

戦後の焼け野原からの復興、そして高度成長

 敗戦により焼け野原となった日本は、すべての物が不足する中、激しいインフレに見舞われながらもたくましく復興し、10年ほどで戦前の経済規模にまで回復しました。戦勝国の賠償要求が軽かった事は、幸運でしたし、政府(GHQ)が新円切り替え、経済民主化等を断行し、傾斜生産方式等を採用したことなどが奏功したとも言われています。

 加えて、日本国民が頑張ったことが大きかったのでしょう。日本人は戦前から教育水準が高く、勤勉な国民性もあり、優秀な労働力でした。工場は焼けてしまいましたが、日本人の優秀さまで失われてしまったわけではなかったのです。

 戦後10年ほどで復興を成し遂げた後、1973年までが高度成長期と呼ばれる時期です。次々と新しい工場が建ち、生産力が急激に増し、人々の暮らしは急激に豊かになって行きました。毎年10%近い経済成長で、敗戦国から一気に「世界第二の経済大国」に「のし上がった」のです。

 近年の中国経済が急速に拡大して来ましたが、当時の日本経済も似たような状況だったわけです。余談ですが、筆者は中国経済の研究者には、高度成長期の日本経済を学ぶようにアドバイスをしています。

高度成長期前半は外貨が、後半は労働力が不足

 復興期から高度成長期の前半までは、外貨が不足していました。すべての物が不足していましたが、特に資源等は輸入せざるを得ないので、外貨、特に米ドルが大量に必要でした。ドルは日本政府が印刷するわけに行きませんから、日本企業が輸出を増やして海外からドルを持ち帰ってくる必要があります。

 しかし、日本は焼け野原で、外国人が欲しがるような物は、なかなか作れませんでした。そこで政府は、ドルを稼げる産業を積極的に育成すると共に、「貴重な外貨は、国内で作れないものの輸入に使うこと。国内で作れるものは輸入せずに国内で作ること」という政策を採ったのです。

 高度成長によって立派な工場が建ち、輸出が増えてくると、外貨不足は解消に向かいましたが、今度は労働力不足が深刻化しました。幸い農村部では、トラクターの導入などにより労働力に余裕があったので、中学や高校を卒業した「金の卵」と呼ばれる若者たちが、大量に都会に働きに出て来たのです。それでも都会では労働力不足が深刻でしたが。

 金の卵といえば、NHKの連続テレビ小説「ひよっこ」の主人公がそうですね。彼らが都会で結婚して「核家族」を作り、盆や暮れに帰省して「帰省ラッシュ」の原因となっているわけです。日本経済の成長を牽引してくれた彼らに感謝です。

 高度成長期は、1973年の石油ショックで終わります。もっとも、石油ショック自体は単なる引き金であって、石油ショックが来なくても、遠からず高度成長は終わっていたでしょう。高度成長から安定成長に以降する時期だったからです。

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