佐藤忠男の映画人国記

2010年12月3日

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戦争や家庭内暴力、老いや死といったテーマを扱い、映画を通じて社会への問題提起を続けてきた新藤監督。98歳の監督が撮り終えたばかりの『一枚のハガキ』(2011夏公開)では、一家の大黒柱が赤紙一枚で戦争へと駆り出され、その一族が崩壊していくさまが描かれる。

 小説家は自伝的な作品を書くことが多いので郷里をよく描く。しかし映画は個人的な表現ではないと考えられてきたために監督が郷里を描くことは少なかった。例外は新藤兼人である。広島市の郊外の農家の出身で、自分をよく支えてくれた働き者の母や姉たちを敬慕してやまない彼は、母の思い出である「落葉樹」(1986年)や、姪をモデルにした「母」(1963年)などの映画でその村や広島を繰り返しよく描いた。息子のため、弟のため、よく働き、愛情をそそいでやまない広島の女たちへのつきせぬ讃歌のような作品ぞろいである。そしてこの「母」では同じ広島市出身の杉村春子(1906~97年)に素晴らしい演技をさせている。

 新藤兼人はまた身近に原爆の犠牲者を多く知っていることから「原爆の子」(1952年)をはじめ広島での原爆の慘禍を描いた映画もたくさん作っている。映画でよく使われる方言というものは関西弁や東北弁、幕末もの時代劇での薩摩弁など、ごく限られたものであるが、多作な新藤兼人が広島を舞台にしたシナリオをたくさん書いたために、地方都市であるわりには「それじゃけぇ……」という広島弁が映画で使われる率はかなり高い。新藤作品に親しんだ人は自ずから広島になんとはない身近さを感じないではいられないであろう。最新作は今年の東京国際映画祭で大好評だった「一枚のハガキ」(2011年)。自分の戦争体験を描いた内容で、98歳の秀作だからすごい。

2011「一枚のハガキ」近代映画協会/渡辺商事/プランダス
2011年夏、テアトル新宿ほか全国ロードショー

 新藤兼人のように自伝的なストーリーや身近な人々をモデルにして映画を作るわけではないが、それ以上に自分の郷里を愛着をこめて描いてやまない映画監督に、やはり広島県で尾道市の出身の大林宣彦がいる。大林監督は学生時代から8ミリや16ミリの小型映画を作っており、なかにはいまでもビデオで見ることができる秀作がいくつもあるが、そこにも尾道の坂の多い地形を巧みに使って面白い映画的な効果を発揮している場面が少なからずある。
  プロの映画監督になってから「転校生」(1982年)その他、尾道三部作、新尾道三部作などと呼ばれる尾道を舞台にした青春映画の秀作を相次いで出して、そのファンたちが尾道にロケ地巡りに行くようになった。べつに尾道市のためのPR映画として作ったわけではないが、その街の撮り方にこめられた愛着の豊かさが自ずからそういう街おこしのような効果を生むことになったのである。

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