日本を味わう!駅弁風土記

2011年1月20日

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福岡健一 (ふくおか・けんいち)

ウェブサイト「駅弁資料館」館長

日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長。2001年からこれを個人で運営、無予約非取材を原則に全国各地をめぐり、年間約400個の駅弁を食べる。「時刻表博士」でもある。

沼津駅の構造は戦前の蒸気機関車の頃から変わっていない。
機関車を付け替えて長い時間停車する駅であったため、
当時は「沼津までぬまず食わずで行こう」と駅弁がよく売れた。
そんな昔懐かしいホームでは、昔ながらの幕の内弁当が、
古めかしい立ちそば屋で売られている。

 沼津駅には蒸気機関車の薫りが漂う。当たり前の話であるが、現在にSLが牽引する列車はもはや来ることがない。1968(昭和43)年6月30日の御殿場線684列車を最後に、沼津駅の構内から煤煙が消えた。しかし駅の基本的な構造は、今でも往事の姿をほぼ残している。5年ほど前までは、昔の幹線鉄道の要衝が必ず備えた、長旅の乗客が煤を拭うための洗面台が、プラットホーム上に残っていたほどである。そして、沼津駅の幕の内駅弁「御弁当」も、石炭の黒煙が薫ってくるような、古めかしい味わい深さを感じさせる。

「沼津までヌマヅ食わずで行こう」

 沼津駅は1889(明治22)年2月1日、国府津~静岡間の鉄道の開業に伴い現在地に開設された。沼津には機関区が置かれ、同年7月には東海道本線の新橋~神戸間が全通、鉄道の要衝として位置付けられた。1934(昭和9)年12月の丹那トンネルの開通により、東海道本線が御殿場経由から現在の函南経由に付け替えられてからは、電気機関車と蒸気機関車を付け替える駅として、その要衝の地位を不動にした。東日本と西日本を結ぶ、果ては鉄道連絡船を介して帝国の首都と欧亜を結ぶ列車が、東京駅を立ち約2~3時間を経て沼津駅へ滑り込み、5分程度の停車時間を持つ。その頃の沼津駅では、駅弁が大いに売れたようだ。「沼津までヌマヅ食わずで行こう」とまで呼ばれたとも記される。

 往事は長旅の旅客で賑わった駅は、現在は通勤通学客を中心に一日約4.5万人の乗降客で賑わう。沼津市は約20万人の人口を抱える静岡県東部の拠点都市として、工業や漁業で発展を続ける。しかし、沼津駅の全国的な地位は往事と比ぶべくもない。1964(昭和39)年10月に開通した東海道新幹線は、建設上の都合で沼津を素通りした。沼津機関区は昭和と共にその輝かしい歴史に幕を閉じた。最盛期には一日60本以上が発着した特別急行列車や急行列車は、今では新宿と沼津を小田急線経由で結ぶ異色の特急「あさぎり」4往復と、東海道本線東京発着で唯一残存した夜行列車である寝台特急「サンライズ瀬戸・出雲」のみに減少した。

老舗が誇る絶妙の「味」

沼津駅の「御弁当」740円(桃中軒)

 それでも、駅弁は生き続けている。1891(明治24)年から沼津駅と共に歩む老舗の駅弁屋である桃中軒(とうちゅうけん)が、新幹線の止まる三島駅とほぼ同じ品揃えで、沼津駅の構内営業を継続している。明治生まれの「鯛めし」から2003(平成15)年生まれの看板商品「港あじ鮨」まで、最近は春夏秋冬の季節の駅弁や、地元の高校との共同開発駅弁など、十種を超える駅弁を取り揃えている。

 「御弁当」は幕の内の駅弁であるから、その内容は日の丸御飯に焼魚、かまぼこ、玉子焼その他のおかずを添えるものとなり、駅弁売店での姿は間違いなく地味である。しかし食べてみれば、沼津が誇るあしたか牛の旨煮がビーフの旨みを詰め、玉子焼にはダシが利き、サワラの照焼は口にホロホロと溶けてゆく。そして粒の立つ白御飯が、水分を適度に調整してくれる昔ながらの経木折に助けられ、常温でクールな旨みと香りを出し、おかずの風味を引き立てる。

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