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2011年2月28日

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私市正年 (きさいち・まさとし)

上智大学外国語学部・アジア文化研究所教授。
北海道大学文学部卒業、東京都立大学経済学部中退、中央大学大学院博士課程修了。モロッコ・ムハンマド5世大学、エジプト・イブンハルドゥーン研究センター、フランス・エクサンプロパンスIREMAM(地中海アラブ・ムスリム研究センター)、アルジェ大学CREAD(応用開発経済研究センター)などで研究に従事。
専門は、歴史学、マグリブ・アラブ地域研究。
主な著書に、『北アフリカ・イスラーム主義運動の歴史』(白水社、2004)、『マグリブ中世社会とイスラーム聖者崇拝 』(山川出版社、2009)、『アルジェリアを知るための62章』(明石書店、2009)、共編著に『イスラーム地域の民衆運動と民主化』(東京大学出版会、2004)など。

追いつめられたカダフィー

 2月22日から調査のためアルジェに滞在している。アルジェリアの南部はリビアと国境を接しているのでリビアから避難してくる者もいるようだ。1月14日チュニジアのベン・アリー大統領が国外亡命、2月11日エジプトのムバーラク大統領がシャルム・シェイクに逃亡、そして今リビアの独裁者カダフィーが追いつめられている。独裁者たちが民衆の力によって次々と倒されていく激動のさまを、すぐ近くのアルジェリアから観察している。アルジェリアにおけるリビア情勢や中東の政変についての情報の量とスピードは、日本の比ではない。新聞はほとんど全面と言ってよいくらい、リビア情勢、中東政変に関するものに割いている。

 しかしそれにしてもカダフィーの市民に対する攻撃は狂気の沙汰である。軍事用ヘリコプターから無差別の爆撃をしたり、チャド、スーダン、マリ、ギニア、ナイジェリアなどの出身のアフリカ人傭兵(その数6000人、報酬は一人に付き1日1000~2000ドルともいわれる)が市民を撃ち殺したりして、反体制派住民への攻撃を続けている。すでに死者は2000人を超えているようだ。歴史には数々の独裁者が登場したが、これほど残酷な行為をした者はいるだろうか。アルジェリアの新聞には、ヒトラーとネロにたとえられた記事も掲載された。ネロは暴君の代名詞であるが、彼は最後は自殺したはずである。まだ良心の呵責を感じていたのかもしれない。カダフィーにそれがあるとは思えない。彼は最後まで戦い、リビアを血の海にすると脅すが、本当にそうなる前に手は打てないのか。新聞にはカダフィーは「気狂いか、正気を失った者か、それとも自己顕示欲者か」という記事もあったが、独裁者の「正気」ほど怖いものはない。

 カダフィーの支配はトリポリ周辺にほぼ限られているようである。どのような結末になるかわからないが、カダフィー体制の崩壊は時間の問題であろう。しかしその後の民主的な政治体制の確立はチュニジアやエジプトよりもはるかに難しい。何よりもカダフィー体制は部族国家を基盤とし、いわゆる憲法も議会も存在しないからである。社会主義とイスラームを結合させた直接民主主義体制「ジャマーヒリーヤ」の内実はカダフィー一族の独裁体制でしかない。

第二段階に入ったアラブ民主化革命

 リビア情勢があまりに悲惨なので、チュニジアやエジプトの影が薄くなってしまったが、ジャスミン革命から始まったアラブ民主化革命は第二段階に入ったともいえよう。チュニジアとエジプトでは、軍が民衆に発砲せず、比較的犠牲者が少なく独裁体制を倒すことができた。だが、その後の歩みは平たんではない。チュニジア市民もエジプト市民も、旧体制によって革命の成果が横取りされることを恐れ、抗議を継続している。チュニジアでは、2月25日10万人以上の市民がデモ行進し、ガンヌーシー首相(1999年からベン・アリーの首相を務める)の退陣を要求、さらにムバザア暫定大統領の退陣をも要求していた。

 そして27日、ガンヌーシーが辞意を表明した、とのニュースも入ってきた。エジプトでも同日、多数の市民がタハリール広場に集まり、シャフィーク内閣の解散とNDP(国民民主党)の解党を要求し、さらにチュニジア、リビア、イエメン、ヨルダン、バーレンにおける市民との連帯を呼びかけた。

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