日本を味わう!駅弁風土記

2011年3月17日

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福岡健一 (ふくおか・けんいち)

ウェブサイト「駅弁資料館」館長

日本全国と海外の駅弁を紹介するウェブサイト「駅弁資料館」館長。2001年からこれを個人で運営、無予約非取材を原則に全国各地をめぐり、年間約400個の駅弁を食べる。「時刻表博士」でもある。

御飯とは思えない独特の弾力性が他駅の類例を寄せ付けない、
駅前の大火が生んだ1897(明治30)年生まれの伝統の駅弁。
魚屋が駅弁屋の主人の見舞いにと毎朝持ってきてくれたアマダイを、
煮て崩して御飯にかけたら子供が喜んだことから生まれたお弁当。

 駅弁は、その商品寿命の長さも特徴のひとつである。有名な駅弁はたいてい、10年や20年、あるいはそれ以上の歴史が刻まれている。今回取り上げる静岡駅の駅弁「元祖鯛めし」など、1897(明治30)年から売られ続けているというから、その印象に違わない。

明治生まれの「元祖鯛めし」570円(東海軒)

 しかし、駅弁屋も普通の会社であり、駅弁も普通の商品である。マーケティングを行ったり、外部のリソースを活用したり、オーナーやリーダーのセンスを生かしたりして、駅弁屋は新たな駅弁を次々と生み出している。そしてそこには、それぞれの駅弁開発ストーリーが流れているはずである。

 元祖鯛めしは、現存する最古級の駅弁である。「元祖鯛めし」の誕生物語もまた、現在に伝わる最古級の駅弁開発ストーリーである。その内容は、単に地元の名物や名産を駅弁にしたわけではない、人の想いが込められた興味深いものとなっている。

被災をきっかけに生まれた駅弁

 1889(明治22)年2月の静岡駅の開業から約3年が経過した1892(明治25)年1月、静岡の市街を大火が襲った。静岡駅の開業と共に駅前で駅弁屋を始めた加藤弁当店の主人が、この火事で病に伏してしまう。そこで主人の馴染みの魚屋は、お見舞いにとアマダイを毎日のように置いて行った。これを煮てボロボロになった身を御飯にかけると、子どもたちに人気のタイご飯になったそうな。

 ここで、以前から子どもが好みお年寄りにも食べやすい駅弁を作りたいと考えていたという主人は、これを静岡駅の駅弁として売り出すこととした。当時の駅弁には合わないし似合わなかったであろう、煮崩れた魚の御飯の商品化には、困難を伴ったのではと思う。実際に、大火から駅弁「上等御弁当鯛飯」の登場までは、5年の歳月を要している。

 今でこそ小学生が電車で通学したり、子どもたちに人気のキャラクターを使った駅弁が販売されたりしている。しかし明治時代に小児の汽車利用が一般的であったとは考えにくいし、そもそも子どもが駅弁を買うことは現在でも考えられない。もちろん、現代と同じく親が駅弁を買い子どもに食べさせることを想定したのだろうが、1890年代に駅弁で子どものことを考えていた主人の先見性には恐れ入る。

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