青山学院大学シンギュラリティ研究所 講演会

2018年5月20日

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ゴン川野 (ごん・かわの)

フリーランスライター

小学生より写真とオーディオをはじめ、高校では写真部部長として暗躍。コピーライターを経て雑誌ライターに転職。バブル期にオーディオ誌で荒稼ぎしてハイエンド機器を揃える。現在はアップル株値上がりで撮影スタジオ兼リスニングルームの新築を画策中。阿佐谷在住。合資会社GON代表。

 青山学院大学シンギュラリティ研究所の設立を記念した講演会の内容を、6回にわたり掲載していく。第2回は、「シンギュラリティと自動運転社会」と題して、Windows95と98の主任設計者を務めた中島聡氏(XEVO会長)が、5月13日に講演した内容を紹介する。 

中島 聡(なかじまさとし)。1960年東京都生まれ。Xevo Inc.(旧UIEvolution Inc.)ファウンダー。チーフソフトウェアアーキテクト。早稲田大学大学院理工学研究科卒業。 マイクロソフトでWindows95、Windows98、Internet Explorer 3.0/4.0のチーフアーキテクトなどを務めた。現在シアトル在住(写真・NAONORI KOHIRA)

 私が誇れる堅い経歴としましては、Microsoft社にてWindows95と98の主任設計者を務めたことです。それから、2000年にUIEvolutionという会社を興してクルマのためのソフトウエア開発をやってきした。その後、Xevo(ジーボ)という会社で機械学習、ディープラーニング、クラウドサービス、データアナリティクスなどの技術を駆使してクルマのUIの進化をAIまで推し進めることに挑戦しています。Xevoのソフトウエアは世界で2500万台のクルマに搭載されています。私は現在、会長になって他のことをやっています。その成果が著作の出版と毎週配信されるメルマガです。堅い仕事だけでなく、ゲームソフトも作っていたし、ティーンエイジャー向けのSNSの設計も手がけたこともあります。この幅広い経験を活かして、シンギュラリティについて語りたいと思います。

 今回はAIの話ですが、我々に大きなインパクトを与えてきたのは、1995年に登場したインターネットです。特に2007年からの10年が大きいですね。何が起こったのかと言えば、Apple社がiPhoneを発売したんです。スマホとインターネットを分けて考える人もいますが、私はスマホとインターネットの結びつきが人々の生活をガラリと変えたと思っています。

リアルでは無気力、バーチャルではヒーロー

 また、世代間でもギャップは広がっています。10代の子供達が片時もスマホを手放さないことが問題になっています。これは10年ほど前の話ですが、学校の父兄会でスマホばかりやっているお子さんのことで悩んでいる。スマホのゲームばかりやっているが、どうすればやめさせられるのか方法が分からない。私はそのお子さんと直接、話をしたのですが、勉強もスポーツも、そんなに得意ではない。しかし、オンラインゲームの中ではチームリーダーを務めて、ヒーローとして尊敬される存在なんです。我々の世代から見るとバーチャルの友人は本物の友人ではないと思ってしまいますが、実はその子にとってはバーチャルの中にいるのが本物の友人なんです。彼は20人ぐらいのチームを率いて毎日、モンスターを倒すことで自我の崩壊を防いでいたんです。彼のアイディンティティを保つのがスマホのゲームでいいのかどうかという議論はありますが、それほど大きな変化をインターネットとスマホは引き起こしていたのです。

自動運転が社会を変革する

 ではAIが普及するとどうなるのか、これよりもっと凄い変化が起こると予測できます。まず、これからの10年の変化は穏やかなものでしょう。しかし、その先の10年で爆発的な変化が訪れると私は考えています。その時になると従来のビジネスモデルや社会常識のようなものが一気に時代遅れになるでしょう。それに備えておきましょう。

 インターネットの起爆剤はスマートフォンでしたが、AIの起爆剤の一つに自動運転があると考えています。これはトヨタが発表した「e・Palette Concept」ですが、EVを所有するのではなく利用する。モビリティのサービス化を目指しています。もちろんこれには自動運転が含まれており、タクシーのような送迎サービスだけでなく、無人での配達、移動店舗、移動オフィス、移動ホテルのような様々な用途が含まれています。この構想の一部を2020年の東京オリンピックまでに実現するとアナウンスしています。

 これを実現するには都市のあり方も変えなければなりません。社会設計が変わってきます。人がどう移動するか、自動運転のEVはどこを走るか。例えば東京であれば、首都高の建て替えが必要になるかもしれない。その時、今までの発想で首都高を建て替えていいのでしょうか。地上デジタル放送への切り換え、この時に政府は莫大な予算を使って地デジ化を果たしました。でも、現在はストリーミングの時代です。

 地デジはギリギリ、タイミング的には間に合いましたがそれで良かったのか。日本では地デジが邪魔してストリーミング化が遅れてアメリカのNetflixやAmazonに遅れを取りました。同じようなことが社会設計でも起こりえます。莫大なお金を掛けて首都高を造り直したら、全く時代遅れになっていたというパターンです。

 シンギュラリティの定義は、人工知能が人工知能を設計することです。今の人工知能は人間が設計したので、理解できるプログラムですが、AIがAIを設計した場合、もう人間には理解できないプログラムが生まれる。つまり、人間がおいてけぼりになってしまう。これがシンギュラリティです。この定義に関しては専門家の間でも意見が分かれますが、シンギュラリティは人間の知能を超える通過点ではなく、その先の話です。際限なく進化が始まります。その結果、生まれてくるのがロボットであり、自動運転です。

 今回は自動運転車の話をしたいと思います。皆さんもご存じのように自動運転には、5段階のレベルが設けられています。

LEVEL 1 運転支援
LEVEL 2 部分運転自動化
LEVEL 3 条件付き自動運転
LEVEL 4 高度自動運転
LEVEL 5 完全自動運転

 レベル1とか2は運転支援になります。レベル3が現在の自動運転のレベルになります。私はTeslaを所有していますが、例えば高速道路では自動運転に任せられるレベルです。レベル4になれば、一般道でも運転を任せられるようになります。ごく稀に悪天候になったりすれば別ですが。これが実現するのは2020年ぐらいだろうと言われています。それからレベル5になると運転席自体がなくなります。これが2025年ぐらいでしょうか。まあ、メーカーは自社の技術をアピールするために数年後に「レベル4を実現しました」と宣言するかもしれませんが、これを信用していいかどうか分かりません。まあ、ざっくりとした言い方をすれば、レベル4の実現は2025年頃とみて間違いないでしょう。

自動運転と事故のジレンマ

 先日、Uberがレベル4の自動運転の実験をしているときに人身事故を起こしました。これは不運と言えば不運な事故でした。まっ暗な道で、理由は分かりませんが、Uberはライトをハイビームにしていなかった。時速60kmぐらいで走行中に赤い自転車を押した歩行者が現れた。人間の運転でも避けられなかった事故かもしれませんが、自動運転中ということで大騒ぎになりました。

 TeslaのCEOのイーロン・マスク氏も言っていましたが、自動運転車が事故を起こすと毎回、大きく報道されますが、人間が起こす交通事故は毎年、アメリカで何万件も起こり、世界全体では100万人以上の人がなくなっているんです。自動運転に対する社会の許容度は非常に厳しいと言えます。

 例えば、自動運転中にハンドルを切らないと事故が避けられない場合で、1人の人をひくか、家族連れにつっこむか、コンクリートの壁に激突して自分が死ぬかという選択肢しかない場合、自動運転車はどう対応すべきかという問題があります。これと同じ状況は人間が運転中にも起こりえます。この場合は、その場でどうするかを判断しています。ところが自動運転の場合は、どうするかは予めプログラミングされているわけです。自分の命がかかっていないプログラマーが事前にプログラミングをしているわけです。前もってプログラミングしておくというのが特殊ですし、プログラマーに判断を任されるのも異例なので、これは自動運転のジレンマとしてよく取り上げられる事例です。

 自動運転で難しいのは、人とクルマが混在する場合です。時速15kmの低速であればクルマはすぐに止まれます。また時速70km以上で高速道路を走っていれば、人や自転車はいないので問題ありません。その間の中速、40kmぐらいで一般道を走っている場合が一番問題です。また、クルマに標識を認識させる場合も、一昔前なら、STOPという標識のパターンを認識させるようなプログラムを作って認識できるようにしていました。

 現在はマシンラーニングを使って、AIに標識のラベル付きで渡して、大量の写真を読み込ませてやると自動的に標識を判別できるようになります。しかし、学習の仕方が人間とは違うので、ちょっとした変化で標識を認識できなくなります。例えば標識に蛾が2匹とまっているだけでSTOPサインが分からなくなることがあります。

 2025年頃、機械の運転が人間の運転よりも安全になります。人間に運転を任せれば年間何万人、世界中で100万人以上の人が交通事故の犠牲になっています。それを超える運転レベルには到達しますが、社会的な許容度はそのレベルでは満足させられません。人間の運転より10倍安全なレベルにならなければ法的に一般道を走らせるのは難しいと言われています。また、事故が起こった場合の責任の所在はどこになるのか。クルマに乗っていた人か、クルマを貸したところか、作ったメーカーなのか、プログラミングをした人なのか、そういった法律的な問題も出て来ます。アメリカでは自動運転の設計者に責任があるとされています。

 もう1つの問題は、自動運転の普及によって社会のシステムで時代遅れのものが出てくることです。時代遅れになるということは、損をする人が沢山出てくるわけです。これもまた自動運転が社会で普及するための障壁になります。それを余りにも気にしすぎていても先に進めなくなります。

 自動運転の可能性はUberのように自動運転車を大量に保有している企業が、個々のクルマではなく、それら全体をコントロールするAIもしくはクラウドサービスを保有して、配車サービスなどをおこないます。これは個別の自動運転が独立した動物だとすると、Uberはハチや蟻のような集団を制御していることになります。個別の働きではなく、全体で行動する。これが私の考えているAI自動車になります。

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