定年バックパッカー海外放浪記

2018年6月24日

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高野凌 (たかの りょう)

定年バックパッカー

1953年生まれの62歳。横浜生まれ、神奈川県出身。大学卒業後は商社、メーカー勤務を経て2013年定年退職。2014年春から海外放浪生活を始める。放浪歴は地中海、韓国、インドシナ半島、インドネシア、サンチアゴ巡礼など。サラリーマン時代は主として海外業務に従事。ニューヨーク、テヘラン、北京にて海外駐在を経験。身長170センチ、57キロ。獅子座。A型。現在2人のご子息は独立し、夫人との2人暮らし。孫1人。

(2017.9.5~10.15 41日間 総費用18万9千円〈航空券含む〉)

モンゴル平原には秋が来ていた

 9月7日。お昼過ぎに中国内モンゴル自治区(内蒙古)二連浩特(エレンホト)から乗った国際バスは国境を越えてモンゴル側の鉄道起点であるザミンウード駅に到着。バスの中で知り合ったモンゴル人カップル、ガラとミユキと一緒に夕刻発・翌朝ウランバートル着の夜行列車の切符を購入して一息ついた。

北京から内蒙古のモンゴルとの国境の街である二連浩特(エレンホト)まで夜行バスで12時間

 モンゴルに来るまでの慌ただしい日々を思い出した。4月25日に前回の旅行先のインドから帰国。6月初旬から3カ月かけて英国・アイルランドを自転車で一周するというのが2017年夏の計画であった。

 しかしインドから帰国直後に自分の実家と家内の実家に幾つかの懸案問題が浮上。全ての案件を決着するまで最低数ヶ月は要すると判断。取り敢えず英国・アイルランド旅行はキャンセルして、次の旅行プランを“真夏のモンゴルの祭典”に変更。7月末までに懸案問題を片付けて8月初旬に出発するべく目標変更。

 しかし全ての案件解決の目途が立ったのが8月下旬。旅行プランを“初秋のモンゴルを歩く”に変更。既に予約していたフライトを1万5000円追加して出発期日を延期。こうして9月5日に北京行き便に搭乗した次第であった。

高台の公園に鎮座するジューコフ元帥の胸像

モンゴル人カップルはどうして日本語を話せるのか

 2人が日本語を話せる理由を聞いて驚いた。ガラ君は川崎市駅前の日本語学校に2年間通って、途中から建設関係の仕事に従事。通算3年半日本に滞在。その間に奥さんのミユキさん(日本名のニックネーム)も来日して千葉県のアパートで生活。

 ミユキさんは長女の出産の時にはモンゴルに一時帰国。最終的に2人は昨年日本から出身地のウランバートルに帰国。現在はウランバートルのミユキさんのお母さんのアパートで親子3人暮らしている。日本で貯めたお金で新しいアパートを購入したので近々引っ越す予定という。

 2人の周囲にも日本に留学や仕事で滞在している人間がいるという。ちなみに2017年6月時点の日本政府統計では在日モンゴル人は9500人程度である。その後もモンゴルを旅行中に日本語を話すモンゴル人青年に何度か遭遇した。日本に滞在するモンゴル人は増えているのではないだろうか。

 私の印象では日本滞在経験者は総じて熱烈な親日家となって帰国しているようだ。

伝統的に嫌中国・親ロシアのモンゴル人にとり日本とは?

 朝青龍以来モンゴル人力士は日本の国技である大相撲の一大勢力を形成するまでになった。しかし正直なところ、相撲を除いては私のモンゴルについての知識はゴビ砂漠と遊牧民くらいであった。

 大阪外大でモンゴル語を専攻した司馬遼太郎も「長い歴史のなかで日本とモンゴルの直接の関わりは元寇とノモンハン事件くらいであった」という趣旨のことを書いていた。地理的には中国とさして変わらない距離にありながら、日本人が意外と知らない国“モンゴルの今を探る”をモンゴル旅行のテーマとした。

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