池内恵「中東の眼 世界の眼」

2011年5月2日

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池内 恵 (いけうち・さとし)

東京大学先端科学技術研究センター准教授

1973年、東京都生まれ。東京大学文学部イスラム学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。日本貿易振興機構アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授を経て、2008年10月より現職。『現代アラブの社会思想』(講談社現代新書)で大佛次郎論壇賞、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社)でサントリー学芸賞を受賞した。定期的に発表している現代中東分析は、『アラブ政治の今を読む』(中央公論新社)、『中東 危機の震源を読む』(新潮選書)として刊行されている。書評・エッセー集『書物の運命』(文藝春秋)で毎日書評賞を受賞。「フォーサイト」でも執筆中。

 チュニジアとエジプトでの政変を皮切りにアラブ諸国の政権が次々と動揺している。イスラエルやイランも含めた、中東政治全体に再編成が進んでいる。各国の政治体制から、地域の勢力バランス、諸大国の中東地域への影響に至るまで、根底からの変化が生じている。

 リビアではカダフィ政権が正統性を失ったが、退陣を拒否して自国民に軍事力を行使し、仏・英主導で米が限定的に参加し、カタールなど一部の湾岸産油国も参加した多国籍軍による軍事制裁を招いた。カダフィ政権に忠誠を誓う側近や、一部の部族、そして傭兵が高度な兵器を蓄えてカダフィ退陣を拒否しており、制裁強化によって時間をかけてカダフィ派の軍事力を削ぎ、東リビアを拠点とする反政府勢力の軍事的強化を行う以外に、解決の見通しは立たない。カダフィ派部隊はミスラータやズィンターンといった、反政府勢力の本拠地ではない小規模の都市を狙い撃ちにして一般市民を標的にし、資金援助を通じて手懐けてきたアフリカ諸国の仲介で「人道的見地から」の停戦を勝ち取ろうとしているが、反政府勢力が合意する可能性はほとんどない。カダフィ政権側が停戦合意を守ると信じる者は、国内的・国際的にほとんどいない。

 イエメンではサーレハ大統領の退陣は確定的だが、退陣後の訴追回避や、ほとぼりが冷めたころに復帰できることを目論んだ条件闘争で、各地でデモ隊との衝突が続く。

 バーレーンでは、シーア派を中心とした権利要求の運動を、サウジとアラブ首長国連邦による軍・治安部隊の介入を伴う、大規模な弾圧によって当面は封じ込めている。強権支配の度合いがひどく、大統領への個人崇拝を強要し、過酷で陰険な弾圧を繰り出してきたシリアのアサド政権に対しても、4月22日の金曜日に、公然と「政権打倒」を連呼するデモが各地に広がり、戦車も導入した厳しい弾圧に発展した。4月29日の金曜デモでさらにデモと弾圧が続き、3月のデモ開始以来の死者は500人を超えたと見られる。丸腰の市民への発砲を命じられている軍の部隊の一部には反乱の兆しも見られる。アサド政権がカダフィ政権と同様に、急速に国際的な正統性を失っていく可能性は高いが、政権に依存する上流から中間層も厚くおり、エジプトのような政権中枢の追放も、リビアのような政権の孤立化とも異なる、過酷な強権支配と国際的孤立が一定の国民の支持の下で長期化する可能性もある。

中東の勢力バランスの組み換え

 リビアやシリアなどの反米政権は、自国民の反乱により崩壊の危機に瀕したことで、地域への影響力を低下させている。一方、米国に大きく依存した湾岸産油国でも、潜在的な体制動揺の要因が表面化しており、中・長期的には大規模な改革か混乱を予想しておかねばならない。大規模な原発事故によってエネルギー政策の根幹を揺るがされた日本は、当面は湾岸産油国からの化石燃料輸入に一層依存を深めざるを得ず、現政権と友好的な立場を表明していく以外に当面の選択肢はないが、それによって現地の政治情勢の分析を曇らせてはならない。「石油市場は安定を取り戻した」といった表層的な認識に基づいて中東から目を逸らすのではなく、2年といった視野での不安定化と流動化を見越した情報収集・分析体制が必要だ。

 ムバーラク政権崩壊の過程で国際的に高い関心を集めたエジプトは、一定の安定の下で民主化プロセスの歩を進めることで、リビアやパレスチナなど隣接地域への影響力も回復しかけている。対イランの関係強化というカードも繰り出して、地域大国としての存在感を取り戻そうとしている。進行が途絶したイスラエルとパレスチナの和平交渉も、異なる前提で再出発することになるだろう。4月27日には、ファタハとハマースに分裂したパレスチナ指導部の和解と挙国一致内閣の樹立に向けた合意を、カイロの会議で成立させた。近日中にカイロでアッバース大統領とハマースの指導部が正式な合意調印を行う予定だ。4月29日にはエル=アラビー外相が、ガザ地区の封鎖を緩める意向を示しており、ハマースを統合したパレスチナ指導部の再編が行われる可能性がある。2007年6 月のファタハとハマースの決裂・分裂を解消するための大きな動きである。ファタハとハマースのそれぞれが、支配地域でのエジプト型の「大規模デモ」の勃発 を恐れているのと、エジプトの暫定政権がムバーラク政権時代よりも米・イスラエルとの骨がらみの関係の制約なく仲介できること、そしてシリアが国内の鎮圧に忙しく、パレスチナ諸勢力への撹乱工作の手が緩んだといった要素が後押ししたのだろう。

 この合意が実施されれば、9月を目途にパレスチナ自治政府大統領選挙と議会選挙を行うことになる。それと同時に、昨年9月に再開され、イスラエルの占領地への入植問題で途絶していた和平協議の一年間の期限を迎えることになり、9月の国連総会で和平合意抜きでパレスチナ国家の国際的な承認を求めていく外交が本格化するだろう。それによってイスラエルは和平への妥協か、状況の一層の流動化を惹き起こして不本意な和平合意を避けるかの選択を迫られていく。

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