経済の常識 VS 政策の非常識

2011年8月18日

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 東日本大震災における日本の普通の人々の行動に世界の称賛が集まった。人々は雄雄しく耐え、秩序を保ち、復興に立ち上がろうとしている。しかし、危機に対処すべきエリートは批判されている。確かに、福島第一原発への対応を見れば、批判されても仕方がない。もちろん、海外のエリートが、いつも有能な訳ではない。IMFのストロスカーン専務理事の女性スキャンダルは、無実なのかもしれないが、スキャンダルにされたこと自体に有能さが疑われるということだろう。

エリートが弱いのは競争がないから

 日本の普通の人々が立派で、エリートがそうではないのはなぜだろうか。普通の人々は、他人に後ろ指を指されるようなことはしないという道徳律を持っている。しかし、エリートが、仲間に非難されたくないとだけ考えるとうまくいかない。エリートは、当然に正しい基本的道徳律を守るだけでは不十分で、代替的なプランを考えなくてはならない。それは、エリートの仲間にとっては都合の悪いこともある。原発は絶対に安全だから、事故が起きたときの対応や避難の訓練をする必要もないとされてきた。これに対して、万が一に備えて本気の避難訓練をすべきと発言するのは、原子力村の掟を破り、仲間に迷惑をかけることになる。すなわち、日本でエリートが村を作り、その間の競争が弱いことが、エリートの能力を低くしている。

 エリートにも様々な分野があるので一概には言えないが、日本国民が今、一番残念に思っているに違いない政治指導者の質について考えてみよう。多くの識者は、エリートの教育や文化、あるいは、たまたまそこにいた人の資質に問題があると考えがちだが、私は、エコノミストとして、本来あるべき競争が歪んでいるから資質が下がるのだと考える。

 現在でも、政治指導者間の権力を巡る競争はある。しかし、それが国民のためにはなっていない。本来の政治競争は、国民のためにはこうするべきだというプランを複数の政治指導者が提案して国民に信を問うものである。ところが、現実は、政治指導者間のプランなしの競争というか、闘争になっている。

 そうならないために一番簡単なのは、マスコミが、「ではあなたならどうするのですか」と聞くことだ。

 国民が、今一番願っていることは、東日本大震災の被災者を助け、福島第一原発を安全に処理することだ。野党が与党を批判するのは当然だが、マスコミは、与野党ともに、具体的にどうするのかと聞くべきだ。

政治指導者間の競争は歪んでいる

 浜岡原発の運転中止について考えてみよう。周辺に浜松と静岡という2つの政令市がある。もし事故が起きたら、何十万という人を避難させなければならない。風向きによっては100万人単位になる。そんなことは不可能だと私は思う。東海道新幹線も走れなくなるかもしれない。もちろん、安全性を高めて運転を続けるのが良いのかもしれない。中止は良かったが手続きが良くなかったのかもしれない。どうしたら良かったのか、マスコミは野党や与党内の反対派に聞くべきだ。浜岡原発に限らない。野党の具体的な震災復興提案を聞いたことがない。誰がではなく、何をするのかを知りたい。

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