明治の反知性主義が見た中国

2019年2月28日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 2月初め、ドイツのメルケル首相が久々に来日した。

 首相就任以来の訪中回数に比例して緊密度を増す一方だった対中関係に対し、訪日回数は対照的に少ない。これは日本軽視の現われである。このままドイツ企業が中国市場にのめり込み続け、ドイツ経済の中国依存度が高まるなら、いずれ沈没するはずの中国経済の影響を真正面から受けてしまう。中国傾斜はメルケル政権にとって命取りになる――これまで我が国では、こんな主張が聞かれたものだ。であればこそ今回の訪日は「メルケルよ!ドイツよ!やっと目を覚ましたか」と迎えられたようにも思える。

 報じられるところでは、日独両国首脳会談で両国は安保・防衛協力を進めることを確認したとのこと。共同記者会見における「インド太平洋地域の平和と安定へのコミットを支援する。これは中国の領土的野心とも関係している。中国とは緊密に協力しなければならないが、簡単にことを進めてもらっては困る」とのメルケル首相発言から、中国に対する融和策から牽制策にドイツは大きく舵を切ったと歓迎する向きも、わが国には見られるようだ。

2018年5月24日に訪中した際のドイツ・メルケル首相(写真:代表撮影/ロイター/アフロ

 だが、中国市場におけるドイツの振る舞いを歴史的に振り返ってみるなら、最近のドイツの“方向転換”を手放しで喜んでばかりはいられないように思う。

日露戦争の最中に、中国で日本語を教えていた日本人

 ここで時計の針を1世紀ほど昔の清国末年に戻してみたい。

 日露戦争が勃発した明治38(1905)年3月から7月にかけて湖北省宜昌から長江を遡り、成都、嘉定、重慶など四川省各地を踏査したのは、山川早水である。四川高等学堂で日本語教師を務めていたこと以外、生没年も経歴もはっきりしない。それにしても、あの国家危急の時代、中国内陸深奥部の四川で日本語教師を務める日本人がいたとは……蛮勇なのか無謀なのか。個人的意志なのか。それとも国策が絡んでいるのか。いずれも不明だが、やはり驚く外はない。

 帝国海軍がロシア・バルチック艦隊を打ち破った日本海海戦(5月27日~28日)に先立つこと2カ月余りの「明治三十八年三月十八日、神戸を発し」た山川は、上海を経て長江を遡る。途中の旅館の設備の悪さに閉口しながら四川(蜀)に向かったが、四川省に入る手前の宜昌で山川はドイツ製品の進出ぶりに驚かされる。

 市街の西洋雑貨店に並ぶ商品は、「独仏品其大部分を占め、英米之に次」いでいた。日本商品より種類は豊富で値段も安い。日本製といえば「福神漬巻紙、洋傘置時計」くらいのもの。これでは西洋製品に太刀打ちできそうにない。

 山川は忸怩たる思いに駆られるのだが、本屋を覗いて「新訳書の多きには一驚」する。9割方が日本の科学書から漢訳したものであり、大部分が東京で学ぶ留学生が担当して上海辺りで出版したものだ。宜昌のような地方都市の書店でも「本邦諸科学書」からの翻訳書籍が売られていたとは、やはり驚きというしかない。

 雑貨店の商品ではドイツ、フランス、イギリス、アメリカの後塵を拝する日本だったが、科学技術関連書籍では西洋を圧倒していたことになる。かくて山川は「安んぞ心に快からざるを得ん」と、ひそかに喝采を叫ぶ。当時、先進科学知識・技術が日本経由で中国内地にまで持ち込まれていたことが判る。

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