WEDGE REPORT

2011年12月2日

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倉都康行 (くらつ・やすゆき)

RPテック代表取締役、国際金融評論家

1979年東京大学経済学部卒。東京銀行、バンカース・トラストを経て、チェース・マンハッタン銀行。2001年4月に金融シンクタンクのRPテック株式会社を設立。

リーマン・ショック後の一連の金融危機は、世界金融が大きな潮目にあることを物語る。
金融が先進国の成長のエネルギーを創出してきた時代は、曲がり角に─。
グローバル・インバランスを抱える現状では、経済問題を先進国だけで解決するのは不可能だ。
欧米はすでに「規制緩和」イデオロギーから抜け出し「金融の不自由化」へと方針を転換している。
日本も、大きな発想の転換で、防衛的な為替管理を実行せよ。

 ギリシャ問題に端を発する金融危機が収束しない。2008年9月のリーマン・ショックから続く一連の危機は、一過性のものなのか。あるいは大きな潮目の変化なのか。

 1979年に旧・東京銀行(現・三菱東京UFJ銀行)で外為業務を始めてから、30年以上、金融業界に身を置いてきた私にとって、自由な市場の持つ合理性は、疑うことのない絶対的な価値だった。しかし、金融の時代、グローバリゼーションの時代が頓挫しつつあるとはっきりと認識するに至ったことを、ここに告白する。

金融膨張の終わり
サラ金モデルの破綻

 ギリシャ危機と、リーマン・ショックを引き起こしたサブプライム・ローン問題の本質は変わらない。

 通貨リスクがないユーロ圏の中で、信用力は低いがリターンの高いギリシャに貸し込んだドイツやフランスの大銀行。信用力の低い低所得者層に高い利率の住宅ローンを提供した米国のサブプライム・ローン。どちらも「サラ金ビジネスモデル」のようなものである。

 先進国経済は成熟期に入っている。サービス業や製造業といった剰余価値を生み出すネタが尽きてしまったのだ。ちょうど線香花火が燃え尽きる手前できらめくように、金融が成長のためのエネルギーを創出してきたのがこの10年だったと言えよう。

 すべての端緒は87年のブラック・マンデーである。株価の大暴落を受けて金融緩和が実行された。それまでは実体経済をみた金融調節だったのが、資産価格をみた金融調節に変化したのである。以来、株価が下がるたびに金融緩和が実施された。市場は株価が下がれば当局が金融緩和してくれるものと思い込むようになり、危機があるたびに金融取引が増えていった。借金が増えている途上ではうまく回り、投資も生産も増えて、借金が増え過ぎたことは認識されない。ブレーキがかからなくなる。しかしいつかは破綻が訪れる。

 これが初めて表出したのが、00年のITバブル崩壊であった。しかしこの時点では、まだ皆金融緩和が必要だと思っていた。その後、不動産バブル、リーマン・ショックへと至って初めて、状況のあまりの深刻さから、金融緩和への反省がみられるようになった。

 日本と同様に、根治策は不良債権処理しかない。しかし、米国も欧州も日本より困難だ。

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