佐藤忠男の映画人国記

2011年12月22日

»著者プロフィール

 昔、映画がまだ無声で弁士がスクリーンの脇で説明をしていた頃、その名人と言われた徳川夢声(1894~1971年)が島根県美濃郡益田町(現益田市)の出身である。外国映画の芸術的に高い作品を得意としてインテリ層のファンが多かった。トーキー以後、弁士はみんな失業したが、彼は俳優として映画に残って独特の味のある名脇役となった。フランスの小説家・劇作家・映画監督マルセル・パニョル(1895~1974年)の『ファニー』の翻案の「春の戯れ」(1949年)という人情ものの高峰秀子の父親役などが印象に深い。テレビ時代になってからの洒脱なトーク番組の聞き手役などでいっそう本領を発揮した。膨大な日記を残していて昭和史の味わい深い資料になっている。

 渋い男っぽさで中年以後に人気が出た芦田伸介(1917~99年)と、逆にマザコンの役で人気を確立した佐野史郎がともに島根県松江市の出身。芦田伸介では「わが命の唄艶歌」(1968年)のレコード・プロデューサーの役がいかにも臭い気取った演技で、そこが独特で良かった。佐野史郎では「写楽」(1995年)の喜多川歌麿など気障なうえにも気障で、そこがやっぱり独特でいいのである。

 小さな体でテレビの喜劇などで画面せましと大奮闘していた白木みのるは八束郡八束町波入(現松江市)の出身である

 監督では東宝の森繁久弥主演の「社長」シリーズなど、サラリーマン喜劇をたくさん作った松林宗恵(まつばやししゅうえ・1920~2009年)が邑智(おおち)郡桜江町鹿賀(現江津市)のお寺の出である。にぎやかで和気あいあいとした映画が上手かった。

 現在活躍している俳優では、渡哲也・渡瀬恒彦の兄弟がともに安来市の生まれである。ただし、のち淡路島に移ってそこで育っている。兄の渡哲也はいまでは温厚そのものの風格で多くの若手に慕われているが、学生時代は喧嘩に強い硬派だったという。空手をやっていて、大学の空手部の仲間や弟の恒彦が本人に無断で日活撮影所の募集に応募したことが映画界入りのきっかけとなった。本人にあまり欲はなくても回りがほおっておかなくて、どんどん盛りあげられてゆくというタイプなのであろう。その感じがのちの役柄にもつながっている。日活時代はアクションものが主だったが、「東京流れ者」(1966年)などは名作である。無骨さと甘さが自然に身についているところが良かった。

 弟の渡瀬恒彦はサラリーマン生活を経験してから東映に入って俳優になり、はじめは兄に似たアクションものをやっていた。そして兄よりは地味だが演技派として注目されるようになる。うわべはクールだが、じつは温かい人情を内に保っているというような役どころを中心に演技の幅は広く、テレビの刑事ものなどで目下大活躍中。

関連記事

  • PR
  • 新着記事

    »もっと見る