チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年2月15日

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城山英巳 (しろやま・ひでみ)

時事通信社外信部記者

1969年生まれ、慶應義塾大学文学部卒業後、時事通信社入社。社会部、外信部を経て2002年6月から07年10月まで中国総局(北京)特派員。 外信部を経て11年8月から2度目の北京特派員。11年、早稲田大学大学院修士課程修了。現地での中国取材は10年に及ぶ。16年5月に帰国し、現在外信部記者。近著に『中国 消し去られた記録〜北京特派員が見た大国の闇』(白水社)、著書に『中国臓器市場』(新潮社)、 『中国共産党「天皇工作」秘録』(文春新書、「第22回アジア・太平洋賞」特別賞受賞)、『中国人一億人電脳調査』(文春新書)がある。14年に戦後日中外交史スクープで13年度「ボーン・上田記念国際記者賞」を受賞。

 中国内陸部・重慶市のトップ、薄熙来共産党委員会書記(党中央政治局員)の腹心であり、公安局長として権勢を誇った王立軍副市長が、四川省成都の米国総領事館に駆け込み、政治的保護を求めるという前代未聞の事態が起こり、共産党内部に衝撃が走っている。自身と「権力」でつながった王に腐敗疑惑が浮上する中、今秋の共産党大会で最高指導部・政治局常務委員会入りを狙う薄熙来の運命はどうなるのか――。共産党指導部の「風雲児」的存在である薄熙来とは一体、何者なのか――。

薄熙来機関紙『重慶日報』

 「(毛沢東時代の革命歌を歌う「唱紅」キャンペーンの)市民の満足度は96.5%。(呉)邦国、(賈)慶林、(李)長春、(習)近平、(賀)国強、(周)永康ら中央指導同志も重慶を訪れた際、その正しさを十分肯定した」

 昨年12月22日の重慶市党委機関紙「重慶日報」は、市党委員会での薄熙来の発言を伝えた。

 通常は単なるプロパガンダである全国中の機関紙の中でも重慶日報は、毎日目を通さなければと感じさせる数少ない新聞だ。薄熙来という大物政治家が何を考えているか、これだけ鮮明に分かる新聞は少ないからだ。政治局常務委員6人の実名を挙げて自分の実績を誇示する政治手法を取る指導者も少ないが、それがそのまま紙面に反映されるということにも驚いた。

 翌年1月9日。党機関紙『人民日報』までも「共同富裕を探索する重慶」という記事を1面トップで掲載。「われわれの党の趣旨は『為人民服務』(人民のための奉仕)だ」という薄の発言を紹介し、薄率いる重慶を絶賛する長大文章を載せた。

 5年に1度の党大会で政治局常務委員を狙う薄熙来はまだ期待にあふれていた。この頃、筆者も薄の政治局常務委入りも「間近だ」との情報を得ていた。しかしそのわずか1カ月で、薄は奈落の底に落ちようとは想像もしなかっただろう。

共産党指導部の「風雲児」

 薄熙来の経歴を紹介しよう。父親は革命第1世代の元長老・薄一波(故人)で、高級子弟グループ「太子党」に人脈を持つ。1984年に遼寧省で勤務を始めて以降、省長まで上り詰め、2004年に商務相として中央に転出するまで20年間にわたり遼寧省で働いた。

 筆者は、商務相時代の薄を取材したことがある。国際会議の会場でエレベーターに乗る薄を追っ掛け、一緒に乗ろうとした。通常ならSPが阻止するが、薄は自ら招き寄せ、取材する機会を与えてくれた。スーツの仕立ての良さが目についたが、開放的かつ洗練された指導者という印象が今なお残っている。

 その後の07年の第17回党大会で政治局員に昇進したが、希望した中央での要職ではなく、重慶の書記に飛ばされるという「屈辱」を味わう。「薄氏はこの人事に不満が強かった。どうすれば5年後の党大会で政治局常務委員に名を連ねられるか。なんとしても中央に名が届くよう実績を作らなければならないと考えた」。中国筋はこう解説した。

 こうして始めたのが、「唱紅」「打黒」という2つのキャンペーンだった。

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