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2009年6月9日

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 「工場見学に来る小学生や中学生に『働くって、どういうこと?』と投げかけてみるんです。すると『会社に行っておカネをもらうことです』って。今の大人たちがそう言っているんですね。でも僕は、働くとは、人に必要とされ、人の役に立つことだと思います」

 働くとは何か。その問いを考え抜いてから仕事に就いた人が、今どきどれだけいるのだろう。世の流れから外れないように受験をして学校に入り、卒業が近づくと待遇やら評判やらを見比べながら就職活動をした人も少なくないはずだ。その点、筆者も胸を張れず、働くとは―と真剣に考えた記憶もない。社会人になってからの経験や出会いによって、価値観らしきものが育ってきたにすぎない。

大山泰弘(おおやま・やすひろ)1932年生まれ。父が興した日本理化学工業を74年に継いで社長となり、2008年より現職。現在、社員74人の7割超が知的障害者。(撮影・田渕睦深)

 日本理化学工業(神奈川県川崎市)の会長を務める大山泰弘も大差なかったといったら、叱られるだろうか。今ではチョーク製造で3割超の国内シェアを持つが、病気がちの父を手伝う格好で大山が入社した1956年には、社員十数人の小さな会社だった。教師か弁護士になりたかった大山青年は、渋々という感じで家業を継ぎ、専務として働いていた。

 「59年に、知的障害者の通う養護学校の先生が飛び込んできました。聞けば、翌年卒業する子の就職依頼でした。僕は門前払いのような感じでお断りしました」

 その先生は大山を3回訪ねた。最後は『子どもたちは卒業したら地方の施設に入ります。そうしたら働くことを知らずに一生を終えます。もう就職はお願いしませんから、働く経験だけさせてもらえませんか』と食い下がった。不憫に思った大山は、2週間の約束で実習を受け入れた。やってきた2人の少女は2週間、一心不乱にラベル貼りをした。昼休みのチャイムにも気づかなかった。

 「障害者だからチャイムがわからないって見方もあるでしょう。でも、ウチの社員たちは彼女たちの姿に打たれて、実習の最終日に『私たちが面倒を見てあげるから、専務さん、雇っていいじゃないですか』と僕に言うんです」

人間の幸せをかなえられるのが会社なら、
一人でも多く雇用しよう。

 結局、大山は2人を採用した。その時の気持ちは社員も大山も、「かわいそうだから」というものだったという。しばらくしてから大山は、法事で隣に座った禅僧に話の接ぎ穂として「施設にいて3食何とか付きのほうが幸せなのに、どうして彼女たちは毎日、満員電車に乗って会社に来るんでしょう」と尋ねた。

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