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2009年8月11日

 あいつがダメだから、景気が悪いからと、うまくいかない理由を他人や世の中に押し付ける。自分を省みず、あのせい、このせいと不満を言っているうちに、憎しみとか妬みの感情がわいてきて、またトラブルを生み、愚痴をこぼす。うまくいかない人というのは、こんな悪循環から抜け出せないものだ。

寺田啓佐(てらだ・けいすけ) 1948年生まれ。25歳のときに寺田本家に婿入りし、23代当主となる。自らの病気を契機として、自然の生命力に溢れる酒造りに舵を切り、『五人娘』などの日本酒を送り出す。 (撮影・田渕睦深)

 利根川に接し、稲の黄緑色がまぶしい千葉県神崎町。この町で330年続く蔵元・寺田本家の当主の寺田啓佐も、そんな悪循環の中にいた。電化製品の販売会社に勤めていた25歳のとき酒蔵に婿入りした寺田は、すぐに売り上げ急落に直面。実質的な社長として寺田が打ち出す手はすべて空振り、片や社員はといえば始業時間に集まらないありさま。「俺はこんなに一生懸命なのに。こいつらが悪い、世の中のせいだ。そう思っていました」。

 廃業寸前までいった小さな酒蔵はしかし、今ではインターネットの日本酒ランキングで全国1万銘柄の50位以内に位置するなど根強いファンをつけ、構造不況業界にあって業績も右肩上がりだ。寺田は悪循環を完全に断ち切った。
 

 「婿入り翌年の1975年から売り上げが落ち始めました。消費者の日本酒離れが始まっていたんです。そんな中で私は、いかに儲けて勝ち組になるか、そればかり考えていました。利益を出すためなら、原料を安く抑え、手間暇かけずにコストダウンを図る。だから、別にルール違反じゃなかったし、みんなもやっていたので、アルコールや添加物で水増しした酒を、手間を省いて造っていました」

 「でも経営は好転せずに借金がかさみ、居酒屋や蕎麦屋を開いたけど、みんな空回り。『こんな若造の下ではやってられない』と、杜氏も番頭も辞めましたが、『お前ら何だ。自分だけが頼りだ』と思っていました。ストレスでお腹が痛くて、人の問題、金の問題、自分の体の問題、ぜんぶ八方塞がりでした。病院に行くと、直腸が腐っていて、即手術。35歳でした」

 病床で寺田は、自分はどう生きたいのかを考えた。「そこで、『発酵すれば腐らない』という大テーマに行き当たったんです」と言う。

 発酵とは、微生物が有機物を分解し、新しい物質を作り出す現象だ。味噌も醤油も発酵食品で、もちろん日本酒も、原料である米と水と麹を微生物の働きによってアルコール発酵させたものだ。原料が腐ることなく別の物質に変わるのは、発酵しているから。寺田にとっては当たり前の知識だ。

 自分の体も会社も“腐った”のは、発酵していなかったからだと、寺田は考えた。じゃあなんで、発酵できなかったのか。


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