「鬼太郎」と「戦争」をつなぐもの

水木しげるさんを悼む


足立倫行 (あだち・のりゆき)  ノンフィクションライター

早大政経学部中退後、週刊誌記者などを経てノンフィクション作家に。近著に『倭人伝、古事記の正体』(朝日新書)。

足立倫行のプレミアムエッセイ

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11月30日に、手塚治虫氏と並び立つ漫画界の巨匠、水木しげるさんが亡くなった。

 享年93歳。「水木さん、100歳まで働き続けるんだろうな」と思っていたので、意外でもあり非常に残念だった。

 というのも、9月1日付けの新聞に載ったインタビュー記事を読んでいたからだ。

 地元・鳥取のテレビ局の企画で、幼年の頃に「のんのんばあ」と訪れた島根半島など自身の妖怪・原風景をたどる旅を終えたばかり、とかで「今は体も頭も調子がいい」と語っていた。記事に添えられたカラー写真の表情も意気軒昂、すこぶる元気そうだった。

 それが11月11日に調布市の自宅で転倒、頭部打撲による硬膜下血腫、緊急手術により一時回復したものの、30日に多臓器不全・・・・・・。

オチコボレや貧困と、戦地での不条理体験
2つの闇領域

 私は翌12月1日の午後、出先で訃報を聞いたが、夕方自宅に戻るとメディアから次々に電話が入った。1994年に『妖怪と歩く ドキュメント・水木しげる』なる評伝(というより3年がかりのルポ)を書いたので、追悼の言葉を寄せる「関係者」の一員と見なされたらしい。その中で追悼文執筆の依頼は2件あり、翌日の朝までに書いた。

 実は水木さんが亡くなる前夜、書庫で偶然水木さんと一緒に行った93年のアメリカ旅行のアルバムを発見、しばらく見入っていた(水木さんが呼んだ?)。

 一編はそのことにからめ、水木さんの人生を振り返った。

 水木さんは15歳で大阪に出たが、就職も学校も失敗続きだった。子どもの頃から奇妙なモノの蒐集家(オタク)で絵がうまかったけれど、それで生活はできない。今で言うオチコボレだった。そして一兵卒として南方戦線に送られ、左腕を失い、何度も死線をさまよった。戦後も「極貧」の紙芝居作家時代と貸本漫画家時代。少年漫画週刊誌ブームでメジャーデビューを果たすのは43歳の時だ。

 ただし、最初の運で前髪を掴んだ。オチコボレ「力」とオタク「力」を合わせて生んだ主人公。それが、墓場の穴から這い出てきた「幽霊族」の生き残り、(後に子ども達のヒーローとなる)「ゲゲゲの鬼太郎」だった。

 この成功で水木さんは、非常に稀有な「オチコボレの星」「オタクの星」となった。

 もう一編は、水木さんの矛盾だらけの言動(「怠け」を礼賛しながら本人は仕事中毒、など)や奇矯な振る舞い(葬儀で笑い出す、など)を理解するには、行動原理の最奥部にある戦争体験を知るべき、という一文。

戦死した日本兵。ニューギニア・ブナ(Getty Images)
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 水木さんはニューブリテン島(パプアニューギニア)の最前線で奇襲攻撃に遭い、分隊が全滅。たった一人で命からがら部隊へ生還した。だが、あろうことか上官に叱責され「次は真っ先に死ね!」と怒鳴られた。この不条理体験に比べれば、世間で言う常識や矛盾など何ほどのものか……(私は、この体験を基盤にして描いた自伝的戦争漫画『総員玉砕せよ!』こそ、数多い水木作品の中でも最高の傑作だと信じている)。

 オチコボレや貧困と、戦地での不条理体験。一見ほがらかでトボけた水木ワールドの根底には、2つの闇領域があり、それを抜きにして水木しげるという表現者は語れないと私は思った。

 しかし、2つの闇領域をつなぐものが、何かあるのだろうか? 追悼文から数日たってそのことが気になった。

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足立倫行(あだち・のりゆき)

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早大政経学部中退後、週刊誌記者などを経てノンフィクション作家に。近著に『倭人伝、古事記の正体』(朝日新書)。

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