古都を感じる 奈良コレクション

2009年11月1日

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西山 厚 (にしやま・あつし)

帝塚山大学教授、前奈良国立博物館学芸部長

帝塚山大学文学部文化創造学科教授。前奈良国立博物館学芸部長。徳島県鳴門市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。奈良国立博物館では「女性と仏教」など数々の特別展を企画。主な著書に『仏教発見!』(講談社現代新書)、『僧侶の書』(至文堂)など。日本の歴史・思想・文学・美術を総合的に見つめ、書き、生きた言葉で語る活動を続けている。

 唐招提寺金堂の10年にわたる解体修理が終わった。2009年11月1日から3日間、金堂の落慶法要が営まれる。

 2000年、金堂の大修理工事が始まった。金堂全体を覆う巨大な素屋根がかけられ、本尊の盧舎那仏をはじめとする堂内のすべての仏像が他所へ移された。2001年夏には鴟尾(しび)をおろし、約4万枚の瓦もおろして、建物の解体作業を始めた。金堂の全面的な解体修理は、建立されて以来、初めてのことだった。

解体修理が終わり、落慶法要が営まれる唐招提寺金堂 (C) JTB Photo Communications,Inc. *禁転載

 

 唐招提寺は奈良時代に唐からやって来た鑑真が創建した。天平宝字3年(759)、今からちょうど1250年前のことである。

 伝戒の師を求める日本僧栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)の懇願に応え、鑑真は日本へ行く決意をした。ただし、栄叡と普照は鑑真本人に来てくれと頼んだわけではない。鑑真は弟子たちに誰か日本へ行く者はないかと尋ねたが、応じる者はなかった。

 代表して愛弟子の祥彦(しょうげん)が言った。「日本は遠く、百度行こうとしても一度も着かないと聞いています」。中国にいれば、素晴らしい師のもとで充実した日々がこれからも続く。しかし日本へ向かえば、たどり着かないまま死ぬ。どちらを選ぶか。後者を選ぶ人はいないだろう。

 そのとき、鑑真は言った。「では、私が行こう」。

 なぜ、鑑真はそんなことを言ったのだろう‥‥。

 師が行くのならと弟子たちも行動をともにすることになった。そして11年が過ぎ、鑑真たちはまだ中国にいた。栄叡は死に、普照は去った。すでに36人もの弟子が死んでいた。弟子たちが言ったことが正しかったのだ。日本は遠く、百度行こうとしても着くことはない。しかし、鑑真はあきらめない。それはなぜなのか?

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