春日若宮おん祭


西山 厚 (にしやま・あつし)  帝塚山大学教授、前奈良国立博物館学芸部長

帝塚山大学文学部文化創造学科教授。前奈良国立博物館学芸部長。徳島県鳴門市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。奈良国立博物館では「女性と仏教」など数々の特別展を企画。主な著書に『仏教発見!』(講談社現代新書)、『僧侶の書』(至文堂)など。日本の歴史・思想・文学・美術を総合的に見つめ、書き、生きた言葉で語る活動を続けている。

古都を感じる 奈良コレクション

3つの世界遺産と211の国宝を有し、1200年以上にわたって続く伝統行事・文化財も多い奈良。日本文化にとって、これほど大切な土地はありません。古都の呼吸が隅々まで行き渡る奈良にはファンも多く、かつて、和辻哲郎や白洲正子、入江泰吉ら多くの文化人も、その魅力に取りつかれてきました。
本連載では、2010年に平城遷都1300年を迎えた奈良のふか~い魅力を、日本史・仏教史の専門家として活躍する奈良通の著者が、タイムリーな話題とともに紹介します。

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今年、春日若宮社の祭神である若宮は数えで1007歳になった。

 若宮がお生まれになったのは長保5年(1003)3月3日。うち続く災害から人々を救うため、若宮に天下泰平・五穀豊穣・万民安楽を祈念する祭礼が始められたのは保延2年(1136)9月で、これが「おん祭」である。それ以来「おん祭」は、大和国最大の祭礼として、一度の中断もなく続けられており、今年が874回目になる。

 奈良に春日大社(当時は「春日社」)が創建されたのは神護景雲2年(768)のことである。平城京の東の端、御蓋山(みかさやま)の麓に、ほぼ同形同大の本殿四棟が南を向いて並んで建っており、第一殿には武甕槌命(たけみかづちのみこと)、第二殿には経津主命(ふつぬしのみこと)、第三殿には天児屋根命(あめのこやねのみこと)、第四殿には比売神(ひめがみ)を祀る。

 このうち武甕槌命は常陸国(茨城県)鹿島の神様で、鹿に乗って御蓋山にやって来たといわれる。鹿に乗る神の姿を描いた絵は古くからあり、奈良の顔になっている鹿たちは「神鹿」と呼ばれて大切にされている。

 経津主命は下総国(千葉県)香取の神様。天児屋根命と比売神はご夫婦で、河内国(大阪府)枚岡(ひらおか)の神様。こんなふうに、他所からやって来た神様が、春日大社には一緒に祀られている。

 そのご夫婦の神様、天児屋根命と比売神との間に生まれたこどもが、若宮である。

 誕生してからしばらくの間、若宮は社殿をもたなかったが、長久2年(1041)に本殿の第二殿と第三殿の間に仮殿を設けて若宮を祀ることになった。この年、「お供えは受け取らない」という託宣があり、若宮が待遇に不満をもっておられることがわかったからである。

 そののち長承4年(1135)に、本殿の南方に新たに社殿を建て、若宮をお遷しした。これが現在の春日若宮社である。

 春日若宮社が創建された翌年の保延2年(1136)に「おん祭」は始められた。

 そのころは毎年のように飢饉や疫病が起こり、多くの人々が死んでいった。「おん祭」で若宮に奉納されるさまざまな芸能のなかには、御霊(怨霊)を慰撫する時に演じられる芸能と共通するものがあり、「おん祭」の本来の性格をうかがうことができる。

 「おん祭」を始めたのは、藤原氏のトップである氏長者の藤原忠通(1097-1164)。当時は天皇を補佐する関白の地位にあった。「おん祭」を取り仕切ったのは春日社の神官ではなく、興福寺の僧侶であった。「おん祭」にかかる莫大な必要経費も、興福寺の僧侶が寄進した荘園の収入などで賄われた。

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「古都を感じる 奈良コレクション」

著者

西山 厚(にしやま・あつし)

帝塚山大学教授、前奈良国立博物館学芸部長

帝塚山大学文学部文化創造学科教授。前奈良国立博物館学芸部長。徳島県鳴門市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。奈良国立博物館では「女性と仏教」など数々の特別展を企画。主な著書に『仏教発見!』(講談社現代新書)、『僧侶の書』(至文堂)など。日本の歴史・思想・文学・美術を総合的に見つめ、書き、生きた言葉で語る活動を続けている。

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