2024年4月20日(土)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2016年8月22日

山﨑武司(Takeshi Yamasaki)
1968年生まれ。中学校卒業時には5つの相撲部屋からスカウトを受けるなど野球以外でも活躍。愛工大名電高校では1年秋からレギュラーを獲得し、高校通算56本塁打を放つ。86年ドラフト2位で中日ドラゴンズへ入団。96年に39本塁打を放ち、本塁打王を獲得。しかし、それ以降伸び悩み、2003年にトレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。04年に戦力外通告を受け、引退を決意するも、新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任した田尾安志氏から熱烈なアプローチを受けて現役続行を決意して移籍。見事に復活を遂げて、07年には本塁打王と打点王の二冠を獲得。中心打者として活躍した。11年に戦力外通告を受け、中日へ移籍。13年に引退した。
(写真・NAONORI KOHIRA)

 「努力は嘘つかないって言葉は、嘘だと思ってた。そんなことしなくても、結果を出せばいい」

 中学時代、相撲の大会に出れば愛知県を制し、陸上では全国大会に駒を進めるほど、山﨑武司はスポーツに関して万能だった。その万能さは、努力という概念を奪うほどだった。

 1986年、名門、愛知工業大学名電高校時代に、甲子園未出場ながら通算56本塁打を放ち、強肩強打の捕手として注目を集めた山﨑は、中日ドラゴンズから2位指名を受ける。

 「真っすぐだけなら、170キロだって打てる」。プロに入っても、その自信が揺らぐことはなかった。3年目には2軍でホームラン王と打点王を獲得し、自信は膨れ上がる一方だった。

 「あの時の俺は、完全に本能だけでやっていた。だから、人の話は聞かなかったし、そもそも聞く耳すらなかった」

 山﨑はこれを、「成長が遅れた原因」と振り返る。プロ入り後8年は、才能と力を持て余しながら、1軍と2軍を行き来した。

 「なんとなく感覚を掴んだ」9年目の95年に16本塁打を放ち頭角を現すと、96年は開幕からレギュラーとして活躍し、6月には月間MVPに輝いた。最終的には39本塁打を放ち、松井秀喜を抑えてホームラン王に輝いた。

 「周りの反応がガラリと変わった。皆、自分をホームラン王として扱う。妙なプレッシャーを感じ、〝来年も30本くらい打てたらいいや〟って、どこか守りに入っていた」

 それは、初めての感情だった。自信に満ち溢(あふ)れた男がその称号を手にしたとき、それは守らなければならないものに変わった。

 自信が不安に変わった翌年、「真逆の風が吹いた」と本人が語るほど、成績を落とした。以降も、一定の成績は残すものの、飛び抜けた数字を残すことはできなかった。2002年のシーズン終了後、自らトレードを志願しオリックス・ブルーウェーブへ移籍した。


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